第17話  異界軍

 夜、炎が街を照らした。黒煙は風に流されることなく街の上空で停滞していた。また耳の近くで布をばたつかせるような翼の音、金属に似た鳴き声が眠ろうとする街を起こし続けていた。敵陣が現れて二十日ほどが過ぎた今、市街地は中央も東も戦場と化していた。僕たちは結界の効力も無限ではないことを見ていた。

「和睦もできない」

 僕は呟いた。カップの縁を意味もなく撫でながら、何度も同じ考えを繰り返していたが、結局口から零れ出るのは、これしかない。

 セゴの視線が厳しい。セゴは自信があるのか、外の世界を見ていないのかどちらかだ。仮にセゴが強くてもどうにもならないこともある。

「援軍も来ない」

「お言葉ですが、援軍が来ないと言いきるのはどうかと思います」

 セゴはたまらずに答えた。

「援軍はどこから来るんだ?」

「今のシンは意地悪だ」

 レイに叱られた。僕はレイを横目で見た。僕もイライラしている。セルフコントロールだが、セゴの肩を持つのは好きにすればいいが、もはやそんなことは言っていられないことくらい理解しているのだろう?

 和睦交渉をしていたので、攻めてこなかったということだが、それならなぜ軍使を斬り捨てたんだ。相手もやっていることがならず者と同じだ。初めから和睦などする気もなければ押し込んできてもよい。

 城が欲しいのか。

「セゴはどう思う?」

 ノイタは尋ねた。

「我々は結界が強固なので攻めあぐねていると話しています。そして殿下の活躍も効いているのではと」

「第三軍か。少しは効いてはいるだろうが。前にも話したように、今も空を飛んでいます。まだあれは納得もできるんですけど、我々と同じ姿で我々を食らうのは衝撃でしたね」

「食らう?」

「ええ。村人が食われていたとの報告があります」

「幻術とかではなく?」

「調べました。ご希望なら捕虜をご覧に見せます。死んでいますが」

 セゴに命じた。

 鎧箱が運び込まれた。

「カザミは見ない方がいい」

「いいえ。いずれ見なければならないのですから」

「レイ、勝手に開けるな」

 まったく興味だけは人一倍あるんだな。さっきまでのケンカも忘れるくらいしげしげと見ていた。

 そして、

「変なの」

 と僕に向いた。額に眼があるあんたもたいがい変な存在だ。

 身の丈は僕の半分ほど。肩から腕にかけては鎧のように硬く、胴にへそがある。両脚はO脚で足の裏は広い。手には鈎のような爪、薬指と中指は癒着していた。そして特徴的なのは顔だが、目は閉じられているのでわからない。鼻梁がなく、口からは上向きに牙が飛び出していた。

 レイが驚いたのは、

「体の中に布きれが詰まってる!」

「剥製だ」

 僕は剥製のことを教えた。聞いた後、やってることはどっちもどっちじゃない?と僕にだけ囁いた。

 そう言われればそうだな。

「これの集団が棍棒を持っているんです。恐れを知らぬかのように襲ってきます」

「本当に知らないんじゃない?」

 レイが簡単に答えた。要するに恐れさせれば逃げるかもしれないということだ。僕はなるほどなと感心していると、レイはセゴに尋ねた。

「第五軍にもいるの?」

「まだ報告はありません」

「なぜそれほどの部隊を連れて来ないんだろう?ノイタ王子の部隊は連中の被害に遭ったんですか?」

「そうだ」

 セゴは答えつつ、鎧のようなものを取り出した。兜、パンツが彼らの鎧だという。呪術部によれば、呪術がかけられているもの、何もないものもあるようだ。

 レイは剥製の臭いを嗅ぐと、何か思い当たるのか首を傾げた。

 カザミがそっと場を離れた。僕も臭いを嗅いでいると、レイが彼女のところへ椅子二脚持っていくのが見えた。セゴが三脚目を持っていきつつ、レイと何やら話した。こんなときでも話せるのはうれしいのか。

 レイが戻って来て、

「どこかで嗅いだ気がしない?」

「屠殺場だ」

 と僕は即答した。

 獣の臭いだ。

 異界軍の話は僕の中で眉唾ものだと判断していた。例のトンネルも怪しいし、共和国軍の異界軍を操る術も実在していないのではないか。


 再び医療部へと戻った。夜なのに働き者が多い部署で、誰かしら働いていた。仮眠室で寝ているミアを起こしてしまった。僕が謝ると「熟睡したわ」とレイに微笑んだ。レイは疲れてないのかと心配していた。

「交替制だし。でもこんな夜にどうしたの?」

 気になることがある。レイにも話していたが、改めてミアにも聞いてみようと来た。足を斬られた剣士のところへと案内された。

「くっつきそうなの?」

 レイが尋ねた。どこまでできるかわからないが、術師は何とかしようとはしているとのことだった。まるまる気休めでもないようだ。

「ダセカは蘇る?」

「できればいいけどね」

 ミアはレイにそれは無理だと笑ってみせた。できるなら世話はないんだけど、それでは魂が一つの体に封じ込められる。

「でもレイはずっと武器持ってるわけ?」

「油断すると、シンはすぐ使おうとするから持ってるの」

「どうしょうもない人ね」

「ミアはレイの味方なの?喜んで使ってるわけじゃないんだ。僕も斬り合うなんてしたくないよ」

 僕はふと考えた。

「レイ」

「ほい」

「まだアレできるの?」

 指を天井から地面に動かした。星を降らせる術。

「試してみないとわかんないけどできると思うけどどうして?」

「ここは見晴らしがいいし、一気にやっちゃえばよくね?もう和睦なんて気にしなくていいんだろ」

「やっちゃう?でも全部わたしのせいにならない?」

「なるだろ」

 レイは「簡単に言うなぁ」と口を尖らせた。僕もお尋ね者になるのは嫌に決まっているが、王国の救世主になれるともいえる。だからそれがどうした。救世主などいらん。ただ第五軍を倒したとして、他の軍が押し寄せてくるだけになる可能性もある。絶対に来るよな。王国の同盟があるんなら戦えるが、ここが孤立無援ならばどこまでも繰り返しだ。

「和睦以外の道ある?」

 レイが言うなんて珍しい。僕はつい今考えていたことを話した。レイも同意見で、あの術を使うのはいいけど、ずっと同じことやっていられないし。冬になれば食料も少なくなる。そうなれば街の人は城を頼ることになる。しかし城としてはすべてを抱え込むわけにはいかない。彼らを追い返すしかない。

「僕たちが和睦交渉に行く?」

「何するの?」

「話し合い」

 これまで話し合いで話し合えたことがあるのか。

「殺されるんじゃないのか?」

「殺せばいい」

「話し合いじゃないじゃん」

「二人で相談してるところ悪いんだけど」

 とミアが割って入ってきた。

 そうだ。ここは医療部の診察室兼病棟だった。僕たちは慌ててすぐに出ていくと言うと、そんなことはどうでもいいのよと答えた。

「あなたたちが国王や王子様のためにそこまでしてやる義理ないわ。この街のために命を犠牲にすることもないと思うの。剣を教会から預けられたのは王国なんだし。そりゃその剣を扱えるのはあなたしかいないかもしれないけど、あなたに任せていいことにはならないわ。でしょ?」

「ミアは好きだ」と、レイ。

「わたしもレイが好き。でもだからこそわたしはあなたたちには生きて逃げてほしいと思うわ。どこの誰かもわからない弟のためにしてくれたことも含めてね」

 ミアは淡々としていた。

「こんな城と一緒に野垂れ死ぬことないのよ。この状況を招いたのは国王なんだし。もっとうまく立ち回れていれば、戦も回避できていたかもしれない。もちろん王子様やカザミ様も悪い人ではないわ。二人を憎んでるわけでもない。でもそれとこれは別に考えないといけないわ」

 レイが「ミアは逃げないの?」と尋ねると、状況次第と答えた。塔の街で死んだ商人の父を思い出すと、逃げることは簡単ではないことは理解していると。

「ここにおいででしたか」

 セゴがノイタが呼んでいると告げに来た。呼んでいるのは僕だけだということで、僕は別の知らない剣士にノイタの執務室へ案内された。

「お一人ですか?」

「僕を呼んだのでは」

「シン殿と命じましたが、二人一緒に来るのかと」

 僕は椅子に腰を掛けて、執務机越しにノイタと向かい合った。レイと一緒にいたいんだなと思った。

「必要なら呼びますが」

「いや。二日後、聖女教会からの密使が来るということです。国王宛に封書が届きました。私も読みました」

「何のために?」

 ノイタは溜息を吐いた。もはや援軍など来るわけはない。国王も期待はしていない。では何のために受け入れるのかと尋ねると、ノイタはわざわざ教会が来るというのに断る理由はないだろうと答えた。

「調停だよ」

「調停?」

 王国と共和国軍の話し合いの間に入ろうということだろうが、共和国軍は軍使を斬り捨てたんだぞ。教会とはいえ、今さら何の話をするというんだろうか。政治のことはわからないが、一人や二人が死んでからが本格的な話し合いになるのか。

「誰が頼んだんですか?」

「陛下だ。君の剣のことを話しておいたんだが、さすがに動きが早いというか調停のメドが立ったから剣のことも見たかったんだろうな」

「教会の剣ですけど」

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