第19話 ルーツ

 僕はレイに部屋から出ないように言いつけて、ウラカの待機室へ忍び込んだ。ノイタから侵入経路を渡されていたが、落ちれば死ぬような際々を通らなければならないとは思いもしなかった。怖っ!落ちたら死ぬわ。この世界での自分は落ちても死なないくらいレベルアップしているのか。レイに守られているのは確かだから落ちても死なない可能性はある。できるかもしれない。やってみるか?しかし世界にレベルアップなんて概念があるのか?落ちて生きているのと生きているかもしれないと落ちるのとは違う気がする。

 やめとこう。

 まず落ちる勇気がない。

 ウラカに与えられた部屋は手前にくつろげる空間、奥には寝室が用意されていた。僕は開いた窓から薄暗い寝室に転がるように入った。

 物音に気づいたのか、ウィンプルを外したウラカが覗いた。僕は彼女の首に腕を通して、首筋に小さなナイフを突きつけた。彼女はハッと息を飲んだ。緊張が肩から全身にかけて一気に駆け抜けていた。

「動くな」

「やめておきなさい。わたしは聖女教会の人間です。万が一のことがあれば、王国の信頼に関わることになるかもしれません」

「それで?」

「え?」

「だから?」

 ウラカは次の言葉を準備してなかった。口ごもった。賢いのかバカなのかわからない人ではある。

「このひねくれた言い方は」

「動くな」

 僕は同時に後頭部に剣先が突きつけられたのを感じた。

「人に留守番させといて、どうせこんなことだろうと思った。同じ部屋でもないのに、わざわざ言うからいけないのよ。バカたれ」

「その声……」とウラカ。

「レイ、あのね」

 僕は振り向いた。剣先が鼻っ柱に据えられた。僕より侵入するのがうまいじゃないか。まったく気づきもしなかったぞ。どこから来た。

「シンが窓から部屋を出たところからわかっていた。まだまだ浅い」

 レイが答えた。よく騒いでくれなかったと、逆に安心した。わざわざ話したのは、遊びに来て僕がいなければ城ごとひっくり返すだろう。

 突然ウラカが割り込んだ。

 声を殺しつつ、

「何してるの!どうして二人がここにいるの?」

「レイがいるから」

「シンがいるから」

「そんなこと聞いてないわ。ていうかどうして逃げたのよ!」

「ウラカはわたしたちが逃げることを知ってて逃がしてくれたんでしょ?」

「何のこと?」

「シンが言ってた」

「違うみたいだね」

「何だ。お礼して損しちゃった」

 僕たちが海を渡る前に逃げることを知っていて、見逃してくれて、なおかつ困らないよううに部屋にお金も置いてくれてたのかと思った。

「あんたたちね?わたしがお風呂に入ってる間に盗んだのは。なぜ逃さないといけないのよ。こっぴどく叱られたわよ。船なんて空っぽのまま違う命令待ちよ。あれもタダで動いてるんじゃないんだから」

「シン、なぜコソコソする。なぜわたしを連れて行かない。ウラカに会いに行くんならわたしも連れて来ればいいじゃん。邪魔なのか」

「二人ともうるさい!」

「ごめん。怒らないで!つい興奮しちゃったのよ。ね、だから機嫌悪くしないで。もう大丈夫だから」

「なぜシンに偉そうに言われなきゃいけないのよ!悪いことしてるのシンなのに、わたしが悪いの?」

「だから二人同時に喋るな!」

『ウラカ!』

 隣の部屋からロブハンの神経質そうな命令口調が聞こえた。僕たちは窓の外へ追い出された。落ちれば死ぬぞ。ハイデルの宿みたいにすぐ下に瓦はないんだぞ。

「レイ、何で着いてきたんだよ」

「怪しいからよ」

「そりゃ忍び込もうとしてるんだから怪しいことしてたけどさ。ウラカに聞きたいことがあるんだよ」

 僕はレイに話した。レイは頷いて理解してくれたが、なぜ一人で忍び込む必要があるのだと聞いてきた。

「正面から行けるか?僕たちは逃げてきてるんだぞ」

「あ、そか」

 忘れてたのか。ウラカのよそ行きの声が聞こえた。わざと衣擦れの音をさせて、扉の近くで答えた。

「はい!すみません。今、着替えておりますので!」

「マジか」

 レイが覗いた。

「お!」

「え?」

「見たいんじゃないの!」

 くそ。レイにやられた。言い訳に決まってるのに。下を見れば落ちそうで怖いから見れないし、上を見れば青空にくらくらするし、さっさと入れてくれ。レイも暴れるな。

 ダメだ。

 目眩してきた。

「これから私は国王と会食があるので、貴様は待機しておくように」

「承りました」

「よろしい。今後については会食後に決まるので控えているように」

 僕は慌てて入ろうとして、ウラカに後ろ手で制された。彼女はロブハンが客室から出たのを見て、廊下へと通じる扉に鍵をかけた。

「入って!」

 レイが入ろうとして、担いでいた女王の剣を枠に引っ掛けた。

 あ!

 落ちる!

 とっさに光の鎖が僕の首に巻きついた。仰け反った僕を梯子にして部屋へ戻ってきたレイは、

「落ちるかと思った」

 と額の汗を拭った。

 こっちは死ぬかと思ったわ!ただでさえもちぎれそうな首なのに容赦ないのな。寝室にも鍵をかけたウラカは慌てて四つん這いで来た。

「お願いよ。とにかく静かに話してくれると約束して」

「わたしたちに約束という二文字はない。シン、ウラカに何しようとしてた?変なことしようとしてた?」

「レイ、今はそんな話をしに来たんじゃないんだ」

「そうよ。今は大人のお話なの」

「わたしを!(除け者にする)」

 慌てて口を塞いだ。

 ウラカは「レイ、そこにお菓子あるから食べてて」と指差した。お菓子で釣られるわけがないと言いながらも釣られていた。塔の街のヒモムスからコロブツの焼き菓子、食べるのが好きだな。この紅茶も飲んでいいか。好きなだけ食べて飲め。

「君にもいろいろ言いたいことはあると思うけど、後回しにしてくれるとうれしい。お金は申し訳ない」

「下着は?」

「知らない」

 僕とウラカはレイを見た。わたしの下着の下の金も盗まれていたと言われて、あれが下着だとは思っていなかったと答えた。ウラカは真っ赤な顔になった。あんなの見られたら恥ずかしくて、まともにあなたと話せないと修道服の袖で顔を隠した。

「大丈夫。下着だとわからないのは下着じゃないんだ」

「ええ?そ、そうなの?まぁ何となく納得できるような気もする。本当に納得していいの?」

「小さなことだよ」

「で、何なの?お金を返してくれるの?すっからかんよ」

「ウラカは何しに来た?待て。表向きの調停に来たことは見てきた」

「いたの?」

「特別に忍び込んでた。でもあんなのじゃ話し合いにもならない」

「で、シンは考えたのね?調停以外の理由があるんじゃないか。ひねくれてるわね。でも正しい。ただわたしにもわからないの。今回はロブハンが責任者なの。となれば評議会かもしれないし。本当に単なる調停だとは考えられない?」

「皆、殺されたいのか?」

「それは心配いらない。いくら戦争でも使者は殺してはいけないという暗黙の了解があるのよ」

「王国の軍使は殺されたぞ。片足ずつ斬られた二人が死体を担いで帰ってきた。君たち根性あるよな」

「へ?」

 僕はゆっくり頷いた。なぜ四つん這いで話しているんだ。ま、そんなことはいいとして、調停に表向きの意味しかないなら、教会関係者が城を出るときは死体だろうよ。

「良くない空気?」

「ちょっとね。でも気にするほどでもないよ。あそこにいた護衛の剣士連中は殺気を理性で抑えられるくらいだから大丈夫じゃないかな」

「それってちょっとどころじゃないわよね。これはまずいわ。裏の話があることを祈るしかない。ところで気になることがあるんだけど」

「もう話は済んだ。要するにウラカは何も知らされてないんだな?」

「まだこっちの話があるわ」

「じゃもう帰る。邪魔したね」

「ちょっとひどくない?こっちの話も聞きなさいよ。あれは?」

 ウラカは僕が立ち上がるのを引き止めると、お菓子を食べているレイを指差しつつ、また新しい剣を手に入れたのかと尋ねた。確かにレイは背中に剣を担いでいた。

「盗んだんじゃないぞ」

「買ったの?」

「買うもんか」

 僕はノイタから借りた封書を革帯から取り出した。それをウラカは手にしながら文句を言ってきた。

「機嫌悪くしないでよ」


『聖女教会の下、この二振りの塔の剣をお貸しすることをお約束いたします。この剣は現在は教会に所属していること疑わぬようお願いいたします。済み次第、お返しいただけること信じております。聖女教会評議会』


 さっと内容を読んだウラカは透かしを見て、聖なる封印を見た。

「どこかおかしい?」

「おかしくない。簡素化してあるけど効力はあるわよ」

 僕は封筒の匂いを嗅いだ。

「君の匂いに似てないか?」

「ここにわたしがいるんだから匂いくらいするわよ。でもわたしの匂いを覚えていてくれてうれしいわ」

「教会は援軍として騎士団を出してくれないのか?」

「出さないわよ。何で教会が共和国と争わないといけないの?」

「因縁とか」

「ないわよ。勝手に作らないでくれる?わたしたちは偉大なる中立と呼ばれてるのよ。ところで軍使はどんな密書を携えていたの?」

「知らん」

「聞いてないの?」

「聞いてないも何も。そんなもんよそ者に教えるわけない。話し合いしようぜみたいなことだろ」

「あなた、そんなことだから話し合いする前に揉めるんじゃない?」

「悪かったな。何なら今から城で剣を振り回してもいいんだぞ。レイも力を開放してもいいんだぞ。歩くトラブルメーカーが暴れるぞ」

「あ、ごめん。やけにならないでちょうだい。違うの。責めてるわけじゃないのよ。怒らないで。交渉なんてしてないからわからないのは当然よね。わたしが悪かったわ」

「そういう目で見てたんだな」

「見てない見てない。もう機嫌悪くならないで」

「甘いもんでも食べなよ」

 レイがお菓子を僕とウラカの口に運んできたので食べた。喉渇くわとウラカが呟いて動きを止めた。

「陛下からは調停のことは何も聞いてない?信じられる人?」

「わからないよ。陛下の前で剣の威力を披露させられたんだ。その後に調停のことを知らされた」

「ねえ、この国はその剣を何のために使うかわかる?」

「ん?」

「陛下は二振りの剣だけで敵を追い払おうとしているの?」

「おめでたい連中だな」

「でしょ?」

 僕は彼女の瞳の動きを覗くようにして見つめた。教会は何のために二振りの剣を預けたのか。まさかこれで敵軍を蹴散らせとは言うまい。

「国王陛下や王子、他の軍人はその剣で華々しく散るような人?」

 ウラカは言葉の調子と同じく僕を力強い瞳で見返してきた。

「誰があの剣を預けたんだ?」

「え?」

 ウラカの瞳が泳いだ。

「誰があの剣を何の目的でこの国へ預けたんだと聞いてる。塔の剣なんてしみったれた名前までつけて」

「評議会。手紙にあるわ」

「僕たちがこに来たときくらいに剣も来たんだ。手紙もだ」

 レイが、

「国王は逃げるよ」

 と話した。

「へ?」と僕たち。

「だからさっき聞いたじゃん。いつもシンはわたしのことちゃんと聞いてないのよ。やれやれだわ」

「いつどこで」

「会談を盗み聞きした後、シンが抜け出してきた廊下で。わたしは『逃げるの?』って聞いた」

「あ、そう言えば」

「シンみたいな奴は、どうせ釣った魚に餌なんてあげないのよ」

「何だそりゃ」

 そういうタイプなの?とウラカが窺うように見てきた。ややこしいからそっちに食いつくな。でもわたしはそういう人も好きよと頷いた。

 知るかっ!

「わたしね、セゴに一緒に逃げようって言われたの。陛下を守って城を出るときに一緒に来てくれって」

「い、行くのか?」

 衝撃的な話じゃないか。

「どうしよっかなあ」

「行ってしまえ!」とウラカ。「二度と戻ってくるな、歩く厄災!」

「ムカつくなあ。シンは?」

「え?」

 僕は止まった。レイが幸せになるんなら止めてはいけない。レイとなぜかウラカの視線も突き刺さる。

「シンが行かないなら、わたしも行くわけないじゃん」

 ウラカが「この子何か勘違いしてない?」と聞いてきた。

「たぶん」

「セゴという人が不憫だわ。まったく知らない人だけど。何か相談に乗れそうな気がする」

「セゴにもらった指輪は返しに行かないといけないじゃん」

「何か話がこじれてるわね。あなたの相棒プロポーズされてるわよ」

「僕が試されてるのかな?」

「天然じゃないの?」

「小悪魔かもね。新しいの買ってあげるから返してきなさい」

「買ってくれるの?」

 ウラカが「あぁそう」と低い声で言った。何だかんだ言ってもそういうことなんじゃないの。まったくやってらんないわ。ずっと見せつけられる身にもなれってのよ。でも期待しちゃうの。守ってあげるわ!

「まぁ国王がどこに行こうがどうでもいいとして、いつまで共和国の第五軍は動かないんだ」

「教会の調停待ちね。教会から申し出てあるから。でもいつまで待ってくれるかは指揮官次第ね」

「指揮官か。レイ、指揮官って誰だっけかな。王子に聞いたけど」

「ラナイて名前だった」

「ラナイ!?」

 僕はウラカの頭を抱えて口を押さえた。静かにしろ。ウラカは舌で手の平を舐めてきた。寒気がした。

「鳥獣使いのラナイ?」

「知らん」

「わかんない」

 光の剣の持ち主だとは話していたが鳥獣使いとは聞いていない。飛んでいるものを見て何とも思わなかったのかとボロカスに言われた。

「たいていのことは受け入れられるようになった。レイの額に眼があるんだぞ。あんたらは幽霊も実体化するし、絵から犬ころが出てきておまけに喋る。今さら何も驚かない。この街にはこういう鳥がいるんだろくらいにしか思わなかったよ」

「まあそうね。だからあんなに鳥さんが飛んでるのか。もうまともに解決できる気がしなくなったわ」

 声からは気が抜けていた。

 光の剣の持ち主は複数いるので特定はできないが、ウラカ調べによると光の剣と鳥獣使いの組み合わせはラナイという剣士だそうだ。

 調停の間、

「まさかあの鳥獣を殺してるとかないわなよね?レイ、何を指折り数えてるの?嘘でしょ?」

 レイが「五匹くらい?」と聞いてきたので、僕が三でレイが二かなと答えた。レイはわたしは一匹だと訂正した。そうか。国王の首を刎ねたときに、もう一匹殺したぞ。頭に来て二匹殺しているはずだ。

「六匹くらいかな」

 国王の首を刎ねた?ウラカはどういうことだと責め立てた。影武者だから気にするなと答えた。本当に気にしなくてもいいのねと念を押してきた。でも影武者であろうが刎ねようとした事実はあるわよね?でも誤解だったんだ。どんな誤解で国王を殺そうとするのかと。

「あんたたちどれだけの騒動起こしてるのよ。それにペット殺すの一番ダメな奴じゃない」

「ペットなの?」

「だからラナイって誰だよ」

 ウラカは床で頭を抱えた。

「もうこの国おしまいだわ。戦闘バカが二人もいればおしまいよ」

「ラナイてバカなのか?」

 レイが言うと、

「そうよ。あんたと同じくらい戦闘バカよ!話す前に剣が出るの」

 僕じゃなくてよかった。

「じゃ本人に聞きに行くか」

「軍使が殺されたんでしょ?もう今さら話し合いなんてできるわけないじゃないの。斬り捨てた奴もどうかしてるわ。まぁラナイならやるかもしれないけど」

「ウラカはラナイのこと知ってるのか?」

「知ってるも何ももともと教会にいた子よ。騎士団志望で今は共和国軍の指揮官?してるみたいね」

「じゃウラカがあっちで話してくれば早くね?」とレイ。「そりゃそうだな。知り合いなら話せるんじゃないか。もうこんな争いはやめようみたいに」と僕たちは話した。

「行って来い」

「わたしを殺したいの?」

 ウラカは膝をついたままブツブツ文句を言い始めた。あれやこれやと考えているようだが、なかなかまとまらない様子だ。

「シンは国なんて欲しい?」

 レイがお菓子をくれた。

「いらないかな。レイはいる?」

「いらない」

「そりゃ剣を捨てようとしてる二人にはわからないでしょう」

「そのことなんだけど」

 僕はウラカに教会が自分たちのものだと認めたんだから、もう教会で始末してくれと話した。そのために教会へ行こうとしていたのに途中で逃げたんだろうと返された。しかしレイを教会へ連れて行きたくない。

「わたしは構わないよ?」

「いいの?」と、僕。

「シンも約束してくれたし」

「行くには行くけど」

「けど?」

「わざわざ行く必要ある?」

「異世界へ連れてってくれるかもしれないんでしょ?」

「そこだよ」

「どこ?」

 ベタなやり取りはやめてマジメに話すと、異世界へ行けるかどうか尋ねてからでいいのではないか。

「普通にあんな船で海を渡れるとは思わないんだよね」

 ウラカ曰く教会でも有数のガレオンということらしいが、そういうことではないんだ。

「陸でもこの騒ぎだ。しかもそんときにはじいさんとばあさんがいなくて巻き込まれた」

「向こうから来たもんね。船に一緒に乗った日には何が起きてもおかしくないかも」

「あ、じいさんやばあさんに呼ばれたのかもしれないのか?」

「ねえ」ウラカ。「少しいい?」

 じいさんとばあさんて何のことだと尋ねられたので、その剣のことだと話した。なぜじいさんとばあさんなのかと聞くので、もともと国王が自分を剣に変え、女王も剣に姿を変えたと。誰かに変えられたとかではなくて、己の意思で姿を変えたということは、起源ということだ。

 だから何だよ。

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