第23話 密会
淡いランプの灯を前にしたミアは持っていた本のページを行ったり来たりしていた。僕に気づいて「あら」と声を上げた。
「勉強ですか」
「まあね。ここに薬の調合を記してあるのよ。塔の街で教えられたものから自分で試したものまで。でもどうしたの?武装してるじゃない」
「レイを追いかけてきたんです」
「来てないわよ」
ミアは興味津々に輝いて、薬缶を小さな火にかけた。
「適当なところに座って」
部屋は木造で、廊下側の壁が腰の高さからくり抜かれていた。ミアが特別に作らせたらしい。部屋からは寝ている病人の姿が見えた。彼らがどこに行くにしても、ミアが気づくようにということだった。剣士ともなると抜け出す者もいるらしい。
「ミアはここで住んでるの?」
「今はこんな状況だしね。住んでるみたいなものかしら」
ウラカの様子を見に来たの?と尋ねてきた。さっきまで寝苦しそうにしていたが、今は寝ていると。
「彼女、いい人なの?」
「いい人ですよ」
「あのさ。ちょっと話を解釈してから答えなさいよ。好きなの?」
「え?まさか」
「そうなの。美人さんだし性格もいい人じゃないの」
「性格がいい?」
「違うの?守ってあげたくならない?」
「特には」
ミアは薬缶からカップに何とも言えない液体を注いだ。僕が匂いを嗅ぐと、レモネードよと笑うので口に含んだ。それでも苦かった。
「ウラカは何を考えてるのかわからないでしょう?」
「職業柄でしょうよ」
彼女も飲んだ。あなたの口がお子様なんだわと笑った。そして調合した丸薬をくれた。これを水に入れるとレモネードになるのだと。
「じゃレイのことね?」
僕はミアに剣が盗まれたことを話した。ちょうど足湯で王子と会っていた頃、何者かに盗まれた。しきりに気にしていたレイが少し経って様子を見に行ったときに気づいたようだ。僕に叱られると考えて落ち込んでいたが、そのことについては僕自身が意外に思ったんだけど。
「さすがにお風呂には持ち込むことできないもんね」
「僕のことを気にしすぎです」
「疎いわねえ。そんなことレイは何とも思ってないわよ。あの子にとっては息をすることくらいのこと」
「どうでもいいと話したのに」
「あなたの方が気にしすぎよ」
「僕は情けない」
「今さら?」
僕はレモネードを飲み干した。苦すぎるのか、情けないのかわからないくらい苦しい。
「どこに行ったか見当はあるかって聞きに来たんでしょ?つまりいつもセゴと密会しているところを教えろということね?」
「え?」
「え?あ!」
「いつも密会して?」
「本当に情けないわね。気づいてなかったの?あなたがそういう気持ちがない人なのか、レイのことをどうでもいいと考えてる人ね」
「どうでもいいなんて思ってないんですけど」
「言い訳はそこまで。思うか思わないかなんてわからない。ちゃんと行動に出してるかどうかよ?」
薬草臭い手で僕の口を軽く押さえるようにして続けた。
「あのさ。あなたはね、親心すぎるのよ。話を聞いてると小さい頃に連れて来たんでしょ?」
まるで僕が人さらいみたいに言うけど、連れてこられた方だ。
「抜けきらないんじゃない?」
「変わったのは見た目だけで、中身は変わってないんですけどね」
「ほら。そういうところよ。見た目が変わるということは、恋に落ちる人も現れるわよ。そうなれば本人も成長するわ。まぁ今回についてはそうでもないんだけどね。これはわたしも親心?そういう子かしら」
指差すと、壁にぼんやりとした絵が映っていた。何世代も前の解像度の悪い監視カメラのようだ。
ノイタが第一王子の城の間に来たことがある。これと同じ呪術だ。これでも塔の街にいて、使えそうな術もいくつか学んだ。下手くそだから見えにくいし、それなりの術具を身につけたりすると見えなくなると話した。白亜の塔でフィリの剣を盗んだときと同じだ。あれも身につけていれば行動がバレなかった。
「二人とも映ってるわ」
「剣を持ってないから?」
「ここに来るときはいつも持ってないわよ。万が一のために部屋に隠してあるみたいだけど?」
「万が一?」
「あなたが戦わなければならないときのために。レイは剣なんていらないんでしょう?健気な子よね」
涙が出てきそうになった。レイがそこまで考えていてくれたことにもそうだが、いつも僕のことを気にかけていたことに思いを馳せた。
「だいたいこれくらいの距離で半時間くらい話してから、わたしのところでココア飲んで帰るわ。いつもは行くときも寄るんだけど。話の内容は、はっきり言うと、ないわ!」
「ない?」
「セゴが口説いて終わる」
「レイは?」
「知りたいの?」
意地悪な笑みを浮かべ、
「いや、あ、う〜ん」
「情けない。眼中にないわよ」
「でも会いに行くんですか?」
「あなたもウラカに話があると言われたら行ったじゃない。ちゃんと自分のことと照らし合わせなさい」
「確かに」
「城がどうなるのか、仲間が死んで悲しいとか話していると、一緒にいてほしいとなるのよ。レイはやさしすぎるわね。誰かさんが甘やかしてるわ」
「誰がですかね。僕はそんなことはないと思うんですけど」
「仲間が死んだのはショックかもしれないわ。でもね、皆覚悟してるんだからさ。わたしの弟もダセカも任務を任せられて死んだ」
ミアは少し笑みを浮かべたが、火にかけた薬缶を見ていた目は沈んでいた。
「でもセゴは生きてるわ。死ねと話してるんじゃないわよ。剣の腕もいいのに、女の子のこと考えてる」
「腕はいいんですか」
「弟から聞いてただけだからわからないけどね。弟は体力と生真面目さが取り柄みたいなところあった」
「あっ!」僕は椅子を蹴飛ばして立ち上がった。「何してる!」
不意にレイが術を使い、セゴを吹き飛ばした。ただでさえも薄暗い映像が土煙で掻き消され、術の影響のせいでノイズだらけになった。
僕は慌てて飛び出した。
どこだ?
ミアが外へと叫んだ。アーチ状の出入口を抜けて、左!回廊を左へと指示されて走ると、小さな雨水の排水溝が敷かれた排水を管理するための空間に出た。そこに額の眼を輝かせたレイが崩れた壁際に腰を抜かしているセゴを見下ろしていた。
ああ、ダメだ。
今まさに鞭を振り上げたところだった。僕はレイを呼んだ。声すら聞こえていないほどで、近づこうものなら鞭の餌食になるかも。
『レイ』
彼女はハッと気づいた。
『我慢だ』
僕が近づくと、獲物に狙われたあったうさぎのように止まった。気にするな。僕はレイの震える肩を抱いて室内へと移した。ミアが兵士が駆けつけてくる前に隠れるように案内してくれた納戸の木箱に座らせた。
「ひとまずここにいて」
とミアが言い、セゴは生きているの?と尋ねると、レイは小さく頷いた。ミアが何とかごまかしてくると立ち去った。ごまかせるのか。
「額飾りは?」
言うと、レイは首に掛けていた女王からもらった琥珀の額飾りを結んだ。話す気はないようだ。ひとまずレイが落ち着くまで、僕も彼女の向かって左の側面に腰を掛けた。
「どうしてあんなことを?」
レイは黙っていた。同じことを尋ねたもののわずかに動いたのみだ。
「ずっと黙ってるのはダメだぞ」
僕の方も実際には問いに困っていた。いつも会っていたのか。これはそうなんだろう。レイの気持ちはどうなんだと。嫌な相手とは会わないよな。すなわち僕のレイへの気持ちに向き合わなければならないというのとだ。レイだけを責めるのは絶対に違わなくないか?
「怒ってる?」
ようやく発した言葉が、いつものそれだった。怒っているような見えてしまうんだろうか。
「いつもそう言うよね。僕は怒るときはちゃんと伝えてると思ってたんだけどね。気にさせたよね」
「そんなんじゃない」
「セゴと会ってたのは驚いた。好きなら話してほしかったかな」
「嫉妬してくれてるの?」
「嫉妬って何かわかる?」
「セゴが言ってた」
レイは自分の右の肩越しに僕をチラッと見た。僕は重い気持ちになっていたのは確かだ。レイに好きな人ができれば、認めようという気持ちは揺れているのかもしれない。
「わたしはウラカのことが好きだけど、シンと二人が話してるときはドキドキする。そんな感じ?」
「似てるのかな」
「セゴはわたしを幸せにしてくれると言ってくれた」
「それなのになぜあんなこと」
こんな騒動を起こしたのか。
「シンのことは忘れろと。わたしはシンに操られているんだ。シンが死ねばいいと言うから頭に来た」
「必死なんだな」
「剣を返せと言ったら知らないと言われたし。わたしはあの状況で盗めるのはセゴしかいないと思う」
「たぶんね。せっかく剣を守ってくれていたのにね」
「気づいてたの?」
「つい今ね。誰も扱えない剣でも扱えるかもしれない僕がいると、人の見る目も違うんだよね。そこから価値に気づく輩もいるだろうね。もともと気づいた奴もいるかも」
扉が開いた。
お互いに身構えたが、入ってきたのはミアだった。さっさと医療部の裏へと連れ戻された。堂々としたものだ。来た回廊を他の剣士が複数、騒動の後片付けをしていたが、ミアは臆することなく僕たちを連れ出した。ここは若い兵士が逢い引きに使うところで、たまにこんなもつれが起きると話した。駆けつけたほとんどが野次馬で、こっぴどくやられたのがセゴだと知って、もう今すでに笑い話になっていると話した。
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