第28話 渚、後輩男子とデートする


「きゃあああああ!!」


急斜面を竜の形をした車体が猛スピードで落ちていく。


きつくベルトを締めた渚の身体に、冷たい水しぶきがかかった。


この遊園地一番人気のアトラクションである「スプラッシュドラゴン」に乗った渚は、久しぶりに大きな声を出して叫んだ。


きっとこの周りの大音響が、私の叫び声をかき消してくれるはず。


渚はそう思いながら、自分の心の内を思いっきり空へ飛ばした。


「湊のバカヤロー!!」


「あんたなんか、すぐに忘れてやるからー!!」


けれどそんなことを叫んでも空しいばかりで、ちっとも気持ちが晴れることはなかった。


そもそも湊に堀内さんを紹介したのは自分なのだ。


文句を言う資格なんてない・・・


渚はラストに思いっきり声を張り上げた。


「湊!!幸せになってねー!!絶対だよーー!!」


しかし隣に座る和樹の耳は、渚の声をぜんぶ拾っていた。


渚先輩・・・今日は全てを吐き出して胸のつかえを下ろしてください・・・


そう和樹は心でつぶやいた。


アトラクションが終わり、渚は後ろを歩く和樹の方へ振り向き、大きな声で笑いながら言った。


「これ、初めて乗ったけど、こんなに楽しいなんて知らなかった!」


「俺も初めて乗りました。友達がこのアトラクションを教えてくれて、ずっと乗りたいって思ってたんです。」


「そうなんだ。」


「あ、渚先輩。水滴が・・・」


「え?」


和樹はすばやくポケットからハンカチを取り出し、渚の頬に残った水滴を拭いた。


柔軟剤なのか、良い匂いがする和樹と急接近した渚は、恥ずかしさに思わず後ずさった。


「あ、ありがとう。」


「どういたしまして。」


優しげな目で、そうにっこりと微笑む和樹の笑顔がまぶしい。


会社が定休日の午後、渚と和樹は都内にある遊園地へ遊びに来ていた。


「宗像君の私服って新鮮。会社ではスーツ姿しか見ないし。」


今日の和樹はTシャツにGパンというラフな格好で、その童顔も相まって学生といってもおかしくない風貌だ。


「それを言うなら渚先輩だって。」


渚も今日はデニムのワンピースに黒いレギンスを履いて、カジュアルな服装だ。


「お洒落な渚先輩も素敵ですけど、今日みたいな軽装もいいです。もっというならすっぴんの先輩も見てみたいです。」


「なにそれ。褒めすぎ。」


和樹の言葉はどれも渚に対する賛辞ばかりで、耳に心地よく響く。


女としての自尊心を満たしてくれる。


それに比べてあの男は・・・。


渚は湊の憎まれ口を思い出していた。


お前呼ばわりだし、口は悪いし、不機嫌になる私を置いて行っちゃうし。


けれど、渚がなんの気も遣わず飾らず対等に話ができる男性は、湊が初めてだった。


いけない、いけない。


渚は湊の残像を吹っ切るように、ふるふると首を横に振った。


今日は宗像君とのデートなんだから、湊のことなんか忘れて楽しまなきゃ。


「渚先輩、そろそろお腹空きません?俺、弁当作ってきたんです。」


「ええ?ほんと?!」


「はい!一緒に食べましょう。」


「うん。」


遊園地内のフードコートのテーブル席に付くと、和樹はベージュのリュックサックの中から、弁当箱とアルミホイルで包んだおにぎりをふたつ取りだした。


「梅とおかかのおにぎり、どっちがいいですか?」


「んーそれじゃ、梅で!」


「じゃあ、はい。」


和樹は片方のおにぎりの包みを渚に手渡した。


弁当箱の中身も豪華だった。


だし巻き卵にピーマンの肉詰め、きんぴらごぼうにポテトサラダ。


小さなタッパーにはうさぎの形をしたリンゴのデザートまであった。


「私もなにか持って来れば良かった。女子力足りないね。ごめん。」


渚が申し訳なさそうな顔をすると、和樹がたしなめるように言った。


「男とか女とか、今の時代そんなこと言うのはナンセンスですよ。料理の得意な方が作ればいいんです。」


「・・・そっか。」


「そうです。では食べましょう。」


「うん。じゃ、遠慮なく・・・いただきます。」


「いただきます。」


だし巻き卵を箸で口に運んだ渚は、その美味しさに声を上げた。


「ん!おいしー!」


「そうですか。良かったです。」


和樹のあどけない笑顔に、渚の心も和んだ。


けれどまたもや頭に浮かぶのは湊のことだった。


湊のあの美味しいスイーツは、これからは私ではなく堀内さんの為に作られるのね。


湊と堀内さんはもう初デートを終えて、無事交際を始めたんだろうな。


「渚先輩、なに考えてるんですか?」


和樹に声を掛けられ、渚はハッと意識を現実に戻した。


「ごめんごめん。なんか長閑のどかすぎて、ぼーっとしちゃった。」


「そうですか。今日はのんびりしてください。」


「でも、宗像君、本当に料理上手ね。気も利くし、いい夫、いいパパになりそう。」


「そのことですけど・・・。」


和樹が真面目な顔で渚の方に身体を向けた。


「・・・・・・?」


「前にも言いましたけど、俺本気です。俺を渚先輩の夫候補として考えてくれませんか?」


「えっと・・・」


「お願いします!」


「・・・・・・。」


そう。宗像君みたいな男性と結婚するのが幸せなんだって頭ではわかってる。


きっと家事は積極的に担ってくれるだろうし、子育てだって積極的に関わってくれる。


保育園のお迎えだって行ってくれるだろうし、遠足のお弁当だって作ってくれるだろうし、家族サービスだってバッチリで・・・。


宗像君は、もう二度と現れない優良物件かもしれないのに・・・。


なのにどうしてこんなにも心が動かないの?


私は馬鹿だ。大馬鹿だ。


きっとまた華や美々に叱られる。


でも・・・・・・


「ごめんなさい!」


渚はぎゅっと目をつむり唇を噛みしめながら、頭を下げた。


「宗像君はすごくいい男だよ。私にはもったいないくらい。そんな宗像君に、身に余る言葉を言ってもらえて本当に嬉しい。だけど・・・まだ私の中にある恋が終わっていない。」


「でも・・・渚先輩、失恋したって・・・」


「うん。した。けど、まだ彼に本当の自分の気持ちを伝えていない。ちゃんと玉砕してそれから前に進みたいの。だから宗像君と付き合うことは出来ない。」


渚の言葉に和樹は困ったように笑った。


「もっとずるく立ち回ればいいのに・・・渚先輩ってほんとに真っ直ぐですね。」


「そんなんじゃないよ。ただ馬鹿なだけ。」


「俺、二番目でもいいです。渚先輩を待ってちゃ駄目ですか?」


和樹のすがるような目を見ながらも、渚は小さく首を振った。


「それは申し訳なさすぎる。宗像君は宗像君を一番に考えてくれる女の子と結ばれるべきだと思う。」


「・・・そうですか。俺じゃ駄目なんですね。」


和樹は小さくため息をつき、悲しげに目を伏せた。


「・・・・・・。」


「あーあ。こんな優良物件逃すなんて、渚先輩、きっと後悔しますよ?」


「うん。きっとそうだと思う。ていうかすでに後悔してる。」


「・・・その言葉が聞けただけで満足です。」


和樹はそう言うと、少し潤んだ瞳で渚をみつめた。


「宗像君・・・・・・。」


「でも俺、言いたいこと言えてスッキリしました。今日はせっかくだから、楽しみましょう!弁当食い終わったら、またアトラクションに行きませんか?」


「・・・うん。宗像君・・・ありがとう。」


渚は和樹の屈託の無い笑顔を眺めながら、湊に対する想いとはまた別の種類の痛みに耐えていた。





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