第6話 渚、少年にナンパされる

「あー今回も駄目だったあああ。」


毛先を軽くウエーブさせた髪は、昨日美容院でセットしてもらったばかり。


服装はそのスレンダーな身体にぴったり合った、オフホワイトのフェミニンなワンピース。


パンプスだっておニューだし、ネイルもピカピカに仕上がっている。


なのに・・・今日も今日とて、それらは無駄遣いに終わった。


緑豊かな自然公園の赤いベンチに座ると、渚は大きくため息をつき肩を落とした。


今日のデートのお相手は、マッチングアプリで知り合った、渚より3つ年上の大手出版社勤務33歳男性。


背が高く涼しげな目元が印象的なイケメンでルックスは合格。


実家は資産家だし、住んでいるところは港区赤坂の高級マンション。


趣味はジム通い、特技は剣道、芯が強そうでいて物腰は柔らか、余裕ある男といった風貌。


申し分ないスペックだった。


やっと私の王子様に出会えた!・・・と思って胸がドキドキとときめいた。


なのに・・・結婚したら妻には絶対に仕事を辞めて家を守ってもらいたい、だって!


絶対にって・・・なんて時代錯誤な男なの?


いまどき共働きなんて普通のことじゃない?


なんで女ばかりが仕事を辞めて家事育児だけをしなければならないの?


もちろん子供は欲しいけれど、家事だってちゃんとやるつもりだけれど、それを女ばかりに負担させるのは違くない?


それをストレートに伝えたら「俺達、価値観が合わないみたいですね。これ以上一緒にいても時間の無駄なので帰ります。」って高級フレンチレストランに女一人置いていくってどういうつもり?


せめて話し合う姿勢を見せなさいよ!


超優良物件だと思ったのにとんだハズレ物件だった。


ああ、あんな男にちょっとでもときめいた自分が馬鹿だった。


あの「顔だけ俺様男」に一言いってやれば良かった。


時間とお金を無駄遣いしたのは私の方なんだからね!って・・・


・・・あーあ。やっぱり私に婚活なんて無理なのよ。


もう一生おひとり様でいい。


自分の力で新築マンションの部屋を買って、猫を可愛がりながらのんびり優雅に暮らすの。


私が子供を産まなくても父や母には穂波という孫がいるんだし、これ以上期待させるのも申し訳ないし、折りをみて婚活卒業宣言をしよう。


そんなことを思いながら綿菓子のような雲が浮かぶ初夏の空を見上げていると、自分が情けなくて、女としての価値がまったく無いことを突きつけられたようで、いつのまにか涙が目尻に溜まり、その雫が頬を伝った。


結局私は誰にも選ばれない女なのよ。


誰でもいい・・・誰か私を慰めてくれないかな・・・


鼻ををすすりながら涙を拭い、ふと気づくと隣に気配を感じた。


見るといつのまに座ったのか、10歳くらいの少年が、膝に置いた雑誌をみつめ右手に鉛筆を持ち、渚の隣でぶつぶつと何かをつぶやいていた。


色が白く線の細い身体、黒目がちのまん丸なお目々は猫のように可愛らしい。


私立の小学校へ通っているのか、白いブラウスに紺のズボン、そして深緑のベストの胸元にはエンブレムが刺繍されている。


そこはかとない気品が漂っていて、この子は良家のお坊ちゃまなのではなかろうかと渚は思った。


それにしてもこんなところでお勉強?


渚がちらりと少年を見ると、少年もじっと渚をみつめていた。


そしておもむろに口を開いた。


「お姉さん、泣いてるの?」


「な、泣いてなんかないよ?ちょっと目にゴミが入っただけ。」


「そうですか。初めまして。こんにちは。」


「あっはい!・・・こんにちは。」


「僕、奈央といいます。」


礼儀正しい口調で自己紹介をした少年を前に、渚はぽかんと口を開けた。


もしかして私も自己紹介したほうがいいの??


渚を心配そうにじっとみつめる少年に励まされたような気持ちになった渚は、さっきまでの憂鬱を吹き飛ばし元気よく答えた。


「私は渚っていうの。よろしくね!」


そう言って微笑む渚に少年は真面目な顔をして腕を組んだ。


「これでお姉さんと僕はもう友達ですね。」


「え?まあ・・・そういうことになるのかな。」


「保護者に知らない人とは話してはいけないと言われているので。」


「そ、そうなのね。」


挨拶しただけで友達って言えるのか?と疑問に思う渚に、奈央は持っていた雑誌を広げてみせた。


見るとそれはクロスワードパズルの雑誌だった。


奈央の開いたページのパズルはほとんど文字が埋まっていて、あともう少しで全問クリアというところだ。


「さっきからこのクロスワードパズルを解いてるんですけど、どうしても解けない問題があるんです。お姉さん、手伝ってくれませんか?」


「うん。いいよ。」


渚もそのクロスワード雑誌を覗き込んだ。


「まずこれですが・・・中居正広、木村拓哉、草彅剛、稲垣吾郎、香取慎吾の5人からなる国民的アイドルクループは?」


「簡単よ。スマップ!」


「へえ。この5人、同じグループだったんですね。知らなかった。」


奈央はそう感心しながら、マス目にス・マ・ッ・プと文字を埋めた。


「奈央君、本当にスマップ知らないの?」


「はい。知りません。」


「世界に一つだけの花とか」


「ああ!その歌なら教科書に載ってます。」


そうか・・・令和の少年はスマップのリアルタイムを知らないのか。


私はやっぱりもうオバサンなのね・・・。


渚は自分と奈央とのジェレネーションギャップを思い知らされ少しへこんだ。


そんな渚の内心など気にせず、奈央は次なる問題を読み上げた。


「気分が明るくはずんでいる様。○○○○気分。」


マス目を見ると、2マス目と4マス目がともに「ん」で埋まっている。


「ランラン・・・リンリン・・・ルンルン!ルンルンだと思う!」


「あっホントだ。ルンルンだと上手くはまります!」


少年も興奮気味にそう叫び、文字をマス目に埋めていく。


続けて問題を解いた渚は楽しくなってきて、少年の方へ身を乗り出した。


「次いこう、次!」


渚に急かされて、少年は再び大きな声で問題を読み上げた。


「セイコウ、を英語で言うと?」


「セイコウ・・・性交?!どんな問題よ!出題者どういうつもり?」


そう憤る渚を不思議そうに眺めた後、奈央はあっと声をあげた。


「victory・・・ビクトリーだ!」


「あ・・・成功の方ね。あはははっ」


渚はそう笑ってごまかした。


「渚さん、何と勘違いしてたんですか?」


「いいのいいの。気にしないで。」


「そうですか?では次の問題に移りましょう。」


「いいよ?こうなったらお姉さん、とことん付き合っちゃう。」


渚と奈央はあーだこーだと言い合いながら、クロスワードパズルを次々と解いていった。


そしてパズルが一区切りつくと、奈央はパタンと雑誌を閉じて言った。


「僕、なんだか喉が渇いてきました。」


「そうね。そろそろおやつの時間だもんね。お姉さんがジュース奢ってあげようか?」


「いや・・・それは大丈夫です。」


「気にしないで?こう見えてもお姉さんお金持ちなのよ?」


「いえ・・・外で物を食べたり飲んだりしてはいけないと保護者に言われているので。」


「そう・・・しっかり教育されているのね・・・」


「実はこの近所に僕の家があるので、家でいっしょにおやつを食べませんか?」


「え?こんなオバサン家に連れて帰ったら、それこそお母さんに怒られちゃうよ?」


「いえ・・・母はいないので。」


母がいない・・・とは?


今外出しているだけ?まさか病気かなにかで亡くなったとか?それともご両親が離婚してお父さんが親権を取ったのかしら?


でもそこまで踏み込んで聞いてもいいものなのだろうか・・・と渚が考えているうちに、奈央は渚の右手をぎゅっと握りしめた。


「渚、とにかく一緒に行きましょう。」


「渚!?」


いきなりの渚呼びに面食らいながらも、右手を引っ張る奈央に釣られるように渚は歩き出していた。


・・・私って成人男性には全くモテないけど、なぜか昔から子供と動物にはモテるのよね。


奈央の小さな背中を眺めながら、渚はそうひとりごちた。





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