第7話 渚、俺様男と罵り合う

「ええっ?!ここが奈央君の家・・・?」


「はい。そうです。」


たしかに渚は子供の頃からこの家の存在を知っていた。


高い塀に囲まれた広い敷地を有するこの邸宅を見るたびに、一緒に登下校していた友達と「ここって誰が住んでるんだろう?」「有名人かな?」「俳優だったりして。」「いや、総理大臣かもよ?」「一度でいいから中に入ってみたいよねー。」などと囁き合ったことを思い出す。


奈央は黒くて大きな表門からではなく、裏手にある小さな出入り口の鍵を開けると渚に手招きした。


「表門から入るのはセキュリティーの関係上面倒なので、基本僕はこちらから出入りしてます。さあ渚も入って。」


「う、うん・・・。」


図らずも長年の夢が叶うことになり、渚は胸を高鳴らせながら足を踏み入れた。


「うわあ・・・」


入るとすぐに広い庭へつながっていて、豊かな葉を揺らす木々が立ち並び、色とりどりの季節の花が咲き乱れていた。


特に白い薔薇が咲いている一角は圧巻だった。


「素敵なお庭ね・・・。」


うっとりと庭を見渡す渚に奈央は冷めた声で言った。


「そうですか?手入れが大変なだけですよ?」


「何言ってるの?こんなお庭のある家に住めるなんてすごいことよ!ここローズガーデンなのね。ああいい香り・・・。」


渚は白い薔薇に顔を近づけその香りを胸いっぱいに吸い込んだ。


「お気に召しましたか?ここは僕の母のお気に入りの場所でした。こんな気持ちの良い日にはいつもここでくつろいでました。」


ローズガーデンのそばにある銀色のベンチを奈央は指さした。


過去形か・・・やっぱり奈央君にはお母さんがいないのね。


「家に入りましょうか。美味しいケーキがあるんです。僕の保護者が作ってくれているはずです。あの人はお菓子作りが得意ですから。」


「保護者・・・?あの人・・・?」


随分他人行儀な言い方だな、と首を傾げていると


「僕の叔父です。といっても血のつながりはありませんが。僕、あの人のことあまり好きではないんです。はっきり言うと嫌いです。押しつけがましくて正論しか言わなくて、ほんとむかつく奴です。」


と奈央は苦い薬を飲んだときのような顔をした。


そんな堅苦しい叔父さんと顔を合わせたくないなあ・・・と渚は玄関の前で及び腰になった。


「じゃ、叔父さんは今日もいらっしゃるの?」


「いや・・・今日あいつはデートらしいから遅くなると思います。あんなやつとデートする女の顔が見てみたいです。あいつ顔だけはいいから、きっと相手の女もあいつの見た目にしか興味がないつまらない女です・・・さあ渚、気兼ねせず入ってください。」


「そ、そうなの・・・?」


坊主憎けりゃ袈裟まで憎い・・・ってやつ?


まあイヤな奴ってどこにでもいるもんね。


でも不在で良かった・・・


渚はホッと胸をなで下ろした。


その家はヨーロッパにある大きな洋館のような建物だった。


白い壁には蔦が絡まり、紫色の空にコウモリが飛んでいれば吸血鬼が住んでいそうだ。


ここは何平米あるのだろう?築年数は?どこの不動産会社が管理しているのかしら?


家や不動産を見ると、つい職業柄そんなことを考えてしまう。


扉を開ける奈央の後ろから渚も付いて行った。


「・・・お邪魔しまぁす。」


なんとなく小さな声でそっと挨拶する。


玄関だけでも渚の部屋の何倍もの広さだ。


備え付けのシューズクローゼットには何足の靴が収納されているのだろう?


きっとそのどれもが高級ブランドのものに違いない。


家の中も目を見張るほど広く、どの調度品も高そうなものばかりだった。


壁には有名な現代アートが額縁に飾られ、リビングにはシックでモダンなソファに家具、白で統一されたキッチンも整然としている。


「座って。今、お茶を入れるから。何がいい?コーヒー?紅茶?オレンジジュースや炭酸水もあるよ。」


「あ、私が入れるよ。」


「いいから。僕、こういうの慣れてるんだ。」


「・・・そう?じゃ、遠慮なくご馳走になるね。オレンジジュースをお願いしてもいい?」


渚は用意が一番簡単そうなものをチョイスした。


「オッケー。」


奈央は右手の指でOKサインを作ってみせた。


自分のテリトリーに入った途端敬語からタメ口になった奈央を、しっかりしているようにみえてもまだ小さな子供なのだと改めて思い、渚はその可愛らしさに目を細めた。


渚は革張りの高級ソファにちょこんと座り、その広い空間を眺めた。


モデルルームみたいに綺麗でお洒落な部屋だけれど、生活感がなさすぎて少し寒々しい気もする。


もしこの家を売るとしたらいくらになるだろうか、と目算していると2階から誰かが降りてくる足音が聞こえてきて、渚はとっさに身構えた。


「奈央!帰って来たのか?」


その声に渚の耳がぴくりと反応した。


この声、どこかで・・・


「なんだ。あいつもう帰ってきてたのか。」


渚の元へオレンジジュースを運んできた奈央は顔を歪めた。


2階から降りてきた奈央の叔父だという男の姿を見て、渚はすくっと立ち上がり目を見開いた。


じゃあ・・・奈央君の叔父さんって・・・連城湊?!


その男・・・連城湊は、つい数時間前、渚をこっぴどく振った相手だった。


渚と目が合った湊も一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに落ち着き払った冷たい目で渚を睨み付けた。


「なんでお前がここにいる?食事の代金はちゃんと二人分払っておいたはずだ。お前に文句を言われる筋合いは全くない。」


「はあ?お前ってなによ。それがレディに対する言葉?」


「誰がレディだ。勝手に人の家に上がり込んだ奴にお前と呼んで何が悪い?」


そう高飛車に言い放つ湊の言葉に、渚の怒りがふつふつとマグマのように沸き起こった。


でもここで爆発しては駄目。だってこいつは仮にも奈央君の大切な家族。


それに奈央君の前で大人げない争いを繰り広げるのはいかがなものか。


怒りは6秒数えれば治まるって聞いたことがある。


渚、6秒数えるのよ。ほら6、5、4、3、2、1、0・・・よし!


渚は大きく深呼吸して、にっこりと微笑み、髪をかきあげた。


「その節はどうもありがとうございました。しっかりデザートまで美味しく頂きました。ああ仔牛のテリーヌ美味しかったです。デザートの苺タルトも絶品でした。誰かさんが突然いなくなったせいで周りからの視線が痛かったけれど最後まで食べきりましたわ。ご馳走様でした。」


どうよ?これが大人の女の嗜みってものなの。


そんな澄まし顔の渚に、湊は腕を組みそっぽを向きながら冷ややかに言った。


「それがどうした。・・・ふん。もしかして置いてきぼりにされたのを根に持って仕返しに来たのか?どこから付けてきた?お前がそんなストーカー気質だったとは俺の女を見る目も落ちたもんだな。今ならまだ許してやる。不法侵入罪で訴えられる前にとっとと出て行け。」


その瞬間、渚の中でなにかがプチンとぶち切れる音がした。


それは俗に言う堪忍袋の緒というやつだった。


「は?!あなたなんか仕返しするほど興味ないんだけど!誰があなたみたいなデリカシー皆無のろくでなしを追いかけるもんですか。こっちから願い下げよ!ええ、わかりました。言われなくても出て行きますから。もう金輪際会うこともないから安心してよね。さよなら!」


そうきびすを返し立ち去ろうとした渚の腕を、奈央がひしっと掴み引き留め、そして湊をキッと睨み付けた。


「渚は僕の大切な友達だ。湊につべこべ言われる筋合いはないよ。出て行くなら湊が出て行けばいいんだ。これ以上渚を侮辱したら、僕は湊と縁を切るからね!」


「なっ・・・」


その一撃がよほど効いたのか、湊は奈央の言葉にたじろぎ、呆然と立ち竦んだ。



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