第23話 渚、少年にお願いをする
渚は奈央との勉強が終わったあと、『紫陽花と少年』を読み聞かせることにした。
初めは乗り気ではなかった奈央も、話が進むにつれ熱心に耳を傾けるようになった。
「渚。今日も『紫陽花と少年』読んでくれる?」
宿題のプリントを終わらせた直後、奈央は渚にそうせがんだ。
「もちろん。ほら、今日も持ってきたよ。」
渚は奈央の目の前に『紫陽花と少年』の単行本を差し出した。
「やった!」
「奈央君は本が好きになってきたね。」
「うん。一番好きなのは図鑑だけど、最近は小説も好き。」
「そう。だったら国語の成績もアップしちゃうかもね。」
「うん。このまえの国語の小テストも満点だった。」
「どれどれ。私にも見せて?」
「いいよ。ほら。」
奈央は机の引き出しから白いプリントを取り出し、渚に手渡した。
その表情は誇らしげだ。
それもそのはずで、答案用紙は全ての問題に赤丸が付けられ、右上には100という数字が大きく書かれていた。
奈央の成長の早さに渚も喜びの笑みを浮かべた。
「湊さんにはもう見せた?」
「うん。よくやったなって頭に手を当てて褒めてくれたよ。」
「そう。良かったね!」
湊の方も褒めて伸ばす教育法を実践し、保護者として成長しているようだ。
自分の言ったことを素直に受け取ってくれた湊を、渚は嬉しく思った。
木之内惣の処女作『紫陽花と少年』は、複雑な心理描写が巧みな他の作品とは少し趣が異なる。
孤独な少年ジュンと、紫陽花の精であるアズサの心の交流を描いた、ファンタスティックストーリーだ。
物語は、ひとりの可愛い花の妖精が現れるところから始まる。
妖精の名はアズサ。
花の妖精になったばかりのひよっこだ。
紫陽花の担当になったアズサは、やっと訪れた梅雨の季節に初めての仕事を任され、喜びで胸を膨らませながら、雨の中色とりどりの紫陽花の花を、ひとつ、またひとつと順番に咲かせていた。
そんなときに、紫陽花の葉陰で泣いている少年をみつけた。
それがジュンだった。
アズサは思わず人間の姿に変身し、ジュンに話しかけた。
『どうして泣いているの?こんなところで立っていたら、雨で身体が冷えて風邪を引いてしまうわよ?』
『・・・・・・。』
『私はアズサ。あなたの名前は?』
『ぼ・・・ぼ・・・ぼくは・・・ジュ・・・ジュン・・・』
ジュンは吃音症で上手く言葉を話すことが出来ず、そのせいでひとりも友達がいなかった。
そんなジュンを励ますために、アズサは自らの力で紫陽花の色を、変幻自在に変えて見せる。
嬉しいときは鮮やかなピンク色に、悲しいときはパステルブルーに。
普通の人にはけっして見ることの出来ない、コバルトブルーの海の色の紫陽花や、キラキラ光る宝石色の紫陽花、水彩画のような虹色の紫陽花もジュンに見せてあげるアズサ。
色とりどりの紫陽花を目にするにつれ、笑顔が増えていくジュン。
そんなジュンの綺麗な横顔に、淡い恋心を抱くアズサ。
しかしジュンには想いを寄せる女の子がいた。
それは同じクラスのミク。
ミクもまたジュンと同じく、周囲と馴染むことが苦手な大人しい少女だった。
ジュンはミクにも綺麗に彩る紫陽花の花を見せてあげたいと、アズサにお願いする。
アズサは胸の痛みを隠し、ジュンの頼みを快く引き受ける。
それがきっかけでジュンとミクは仲良くなり、ジュンに初めての友達が出来る。
そして梅雨が終わり初夏となって、紫陽花の季節が終わりを告げる。
ジュンとの別れの朝、紫陽花達はまた目立たぬ花となって、風景に溶け込んで見えなくなっていく。
「奈央君。今日は最後の章を読むよ?」
「うん。」
渚は『紫陽花と少年』のページを開き、挟んであったしおりを外した。
「アズサは一面に咲く紫陽花の花達に最後の魔法をかけ、真っ白に染めました。」
『ア・・・ア・・・アズサ・・・ど、どこへ行くの?』
『ジュン。もう梅雨の季節は終わったの。ほら、雨が上がって空には綺麗な虹が出ている。』
『もっと・・・もっと・・・紫陽花を、見ていたい・・・よ』
『また来年、会えるよ。それまでサヨウナラ。ミクと仲良くね。』
『アズサ。あ・・・あり・・・がとう。また絶対来年・・・あ・・・あおう・・・ね』
『うん。ジュンも元気でいてね。約束だよ。』
「でもアズサにはわかっていました。もうジュンとは二度と会えないことを。人間に姿を見られた花の精は、掟破りをしたことで、100年間仕事を取り上げられてしまうのです。その間、アズサは花ではなく森の精となって緑を増やし、また花の精となるために修行を積むことになるのです。けれどアズサは満足でした。アズサの姿は透明になり、涼やかな風となって森の中へ消えていきました・・・おわり。」
渚は『紫陽花と少年』のラストページを読み終わり本を閉じた。
見ると、奈央は目に涙を一杯浮かべていた。
「ねえ渚。」
「ん?」
「アズサって優しいね。」
「そうだね。」
奈央は『紫陽花と少年』の本を愛おしそうに抱きかかえた。
「・・・奈央君。その本あげる。」
渚の言葉に奈央は驚いた表情を見せた。
「え?渚の大切な本なんじゃないの?」
たしかにこの『紫陽花と少年』の単行本は湊からプレゼントされた渚の宝物だ。
けれどこれは連城美里の記念すべき処女作だ。
それは誰よりも美里の息子である奈央が持つべきものであり、奈央と美里の絆が深まるためなら手放しても惜しくない、渚はそう思った。
「うん・・・でも、この本は奈央君に持っていて欲しいんだ。」
「・・・なんで?」
渚は奈央の目をみつめ、静かに話し出した。
「奈央君。今からとても大切なことを言うね。」
「・・・うん。」
渚の改まった言葉に、奈央も真面目な顔になった。
「この『紫陽花と少年』を書いた木之内惣という作家さんはね・・・奈央君のお母さん・・・連城美里さんなの。」
奈央は思いがけない渚の言葉に目を丸くした。
「・・・お母さんが・・・これを書いたの?」
「そう。奈央君のお母さんはすごい人。素敵なお話を沢山書いてるの。」
「でも湊や絹さんは、お母さんは病気で遠いところにいるって言ってたよ?」
「うん・・・。今は遠くにいる。でもきっと奈央君に会いたいって強く願ってる。だから・・・お母さんにお手紙を書いてみない?『紫陽花と少年』を読んだ感想でもいい。奈央君の嬉しかったことでもいい。なんでもいいからお母さんに今の奈央君を伝えてみたらどうかな?」
「いまどき手紙?メールとかじゃなくて?」
「メールもいいけど・・・もっといい方法があるの。奈央君、声の手紙を届けようよ。ボイスレコーダーに奈央君の声を入れるの。お母さん、奈央君の声が聴けたら、きっと喜ぶと思うんだ。ね、どうかな?」
「そんなの恥ずかしいよ。」
そう口を尖らす奈央の手に、渚は無理矢理ボイスレコーダーを握らせた。
「誰かに聴かれると恥ずかしいよね。だからこれ貸してあげる。奈央君のタイミングでお母さんへメッセージを入れて欲しいんだ。短くても、ほんの一言でもいいから。ね、お願い!」
奈央はそのボイスレコーダーをじっとみつめ、それから渚を見て困ったような笑みを浮かべた。
「まったく・・・渚は強引だなあ。まあ、気が向いたら入れとくよ。」
「ほんと?奈央君、ありがとう!」
そう喜ぶ渚の声を部屋の外で、ドアにもたれかかり腕を組みながら耳を傾けていた湊も、「よし!」と小さくつぶやいた。
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