第24話 渚、母なる人へ訴える

木之内惣の自宅兼仕事部屋は、栄文社からほど近い高級マンションの一室だという。


美里に奈央のボイスレターを聴いてもらう為、渚は湊と一緒にその部屋を訪れることに決めた。


そのマンションは大手不動産会社が展開しているシリーズの、高級感あふれるブランドマンションだった。


エントランスにあるオートロックボタンの暗証番号を、湊は慣れた手つきで押した。


しばらくしてガラスの自動ドアが開くと、エレベーターで6階まで上がり、601号室のインターフォンを鳴らす。


しかし反応は無い。


不安そうな渚をよそに、湊は「いつものことだ。」とつぶやき自らのキーケースを取り出した。


合鍵でドアを開け、湊は形ばかりの挨拶をし、渚もその後ろに続いた。


リビングを抜け、奥の部屋の扉を開けると、そこは広い書斎だった。


しかしその広さが感じられないほど、部屋の床の上には本棚に入りきらない雑誌や本、書類などの紙の束が山のように置かれていて、足の踏み場に困るほど散らかっていた。


そして書斎の壁を背に机に向かう美里・・・木之内惣は髪をお団子に結び、丸い黒縁メガネをかけ、白いTシャツにジーパンを履き、一心不乱にパソコンのキーを叩いていた。


それは著者近影に写る上品でゆるふわなイメージとはかけ離れた姿で、優雅に執筆する木之内惣を想像していた渚は、人気作家の現実を見て自分の甘さを知った。


「木之内先生。」


「・・・・・・。」


「木之内先生!」


湊が5回大きな声で名前を呼びかけた後、木之内惣はやっと手を止め、顔を上げた。


その表情は鬼気迫るものがあり、睨み付けるような厳しい視線からは無言の圧が感じられた。


「あら、湊君。今日はなあに?今月あなたのところから依頼されてるエッセイの締め切り、まだ先よね?」


そう早口でまくしたてる口調も別のスイッチが入っているのか、以前会ったときのおっとりと話す木之内惣とはまるで別人だった。


「木之内先生・・・今日は大切な用事があって来ました。」


湊の固い声に、木之内惣は眉をひそめた。


「え?なになに?怖いわあ。もしかして連載打ち切りとか?」


「いえ。仕事の話ではありません。」


「じゃあなに?見ての通り、今すごぉく忙しいの!星影出版さんの連載小説の締め切りが近づいてるの!また今度にしてくれない?」


「いえ。是非、今聴いてもらいたいものがあるんです。」


湊の後ろから顔を出した渚を目視し、木之内惣は怒りをあらわにした。


「あらあ。岡咲さん?湊君さあ、いくら彼女だからって人の大事な仕事場に連れて来るってどういうことかしら?反則じゃない?あなたと私の仲でも許されないわよ?編集長に言いつけてもいい?」


「忙しいところ、本当に申し訳ありません。でもちょっとだけ手を止めて、耳を澄ませて聴いて欲しいものがあるんです。」


渚はカバンのポケットからボイスレコーダーを取り出し、木之内惣に手渡した。


「だからなんなの?これ。」


「あなたへのメッセージです。」


「私のファンからってこと?」


「とにかく聴いてください。お願いします!」


「俺からもお願いします。」


そう言って深々と頭を下げる湊を見て、木之内惣は驚きの表情を浮かべた。


「そんな低姿勢で頼み事をする湊君、長い付き合いだけど初めて見た。・・・そこまでされたら仕方が無いわね。」


木之内惣はこれみよがしに大きなため息をつくと、しぶしぶボイスレコーダーを手に取り、再生ボタンを押した。


しばらく雑音が続き、唐突にその声は始まった。


『こんにちは。いや、こんばんは?お元気ですか?僕は元気です。身体の具合はどうですか?どんな病気なのか僕にはわからないけど・・・』


その声に木之内惣はハッとした表情を浮かべ、真剣な面持ちでボイスレコーダーに耳を当てた。


『えーと、何話そう・・・僕は最近お菓子作りにハマってます。湊が教えてくれます。湊ほど上手ではないけど、まずまずの仕上がりです。お菓子作りはレシピ通りきっちり作ると、綺麗で美味しく仕上がるところが快感。お母さんにも僕の手作りクッキーを食べて欲しいです。』


お母さん、というワードを聴き、木之内惣・・・美里は何回も瞬きをした。


『学校の成績は中の下くらい。勉強は理科が好きで、図鑑で調べて昆虫の生態なんかを知るのが楽しいです。』


『最近渚・・・あ、渚は僕の友達で家庭教師なんだけど・・・渚が本を読んでくれました。紫陽花と少年、という本です。とっても面白かった。どういうところが面白かったかというと、紫陽花の色が変わるにつれて、ジュンの心の色も変わるところかな?そうやって花の精と人間の心が通じ合うのっていいなって思った。人間と人間も同じなのかな?心がすこしづつ通じあって色を変えて、仲良くなったりケンカしたりするのかな?』


『これ、お母さんが書いたんだってね。僕、びっくりしました。お母さんってすごいね。本を読んだ人の心を沢山の色に染める仕事をしているんだね。僕はお母さんが誇らしいです。』


『お母さん、これからもいっぱい本を書いてください。そして沢山の人の心を幸せ色に染めてください。僕も応援してます。』


『お母さん、早く病気が良くなるといいね。お母さん・・・会いたいです。すごくすごく会いたいです。・・・じゃ、またね。』


音声が終わり、カチャリとボイスレコーダーがオフになった。


木之内惣・・・美里はただ呆然と立ち尽くしていた。


湊が毅然とした声で美里に告げる。


「木之内先生・・・いや、美里。お前は連城美里だ。どうか思い出してくれ。お前は奈央の母親、連城美里なんだ。」


「いやああああ!!」


美里は奇声を上げ、ボイスレコーダーを床に投げつけた。


「わからない・・・何も思い出せない・・・」


「美里さん。あなたは憶えているはずです。奈央君はあなたが誰よりも愛している、あなたのたったひとりの子供です。あなたと木之内惣さんの子供です!」


渚の必死の訴えに、美里は震えながらボイスレコーダーを拾い上げ、それを頬に寄せた。


「私と・・・惣さんの子供・・・?」


「そうです。あなたがお腹を痛めて産んだ息子さんです。あなたが素直で優しい子に育つようにと願って名付けたんですよね?」


「・・・・・・。」


「奈央君は美里さんをずっと求めています。ローズガーデンのベンチでくつろぐ美里さんをいつも思い出してます。」


「ローズガーデン・・・白い薔薇・・・」


「あなたが一番好きだった場所です。」


「・・・奈央!」


美里はそう叫び、床へ身体を伏した。


「奈央・・・私の子・・・奈央・・・忘れてごめんね・・・淋しい想いをさせて・・・ごめんなさい・・・」


その頬は涙で濡れ、そして美里は泣き崩れた。


「奈央は・・・どこにいるの?」


「奈央君は連城家の屋敷で、美里さんを待っていますよ。」


「奈央・・・会いたい・・・ずっと会いたかった・・・」


「美里・・・お前は・・・美里なんだな?」


湊が美里の身体を支えると、美里は湊に縋った。


「湊・・・私、奈央に会ってもいいの?私みたいな母親でも・・・。子供より小説を書くことに夢中になってしまった私をあの子は許してくれるの?」


渚は美里の肩に手を置き、優しく微笑んだ。


「美里さん・・・奈央君は小説家のあなたを誇らしいと言ったんです。あなたはそのままで、奈央君のママになっていいんです。」


「奈央・・・・・・。」


美里はしばらくその名を呼びつづけ、時間の経過とともに、ゆっくりと落ち着きを取り戻していった。


そして今気づいたというように顔を上げ、渚を見た。


「あなたが・・・渚さんね?」


「はい。」


美里に自分が認識されていることに、渚は驚いた。


「渚さん、・・・湊・・・ありがとう・・・」


そうふたりに礼を言って微笑む美里は、ひとりの母親の顔に戻っていた。

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