第25話 渚、恋のキューピットを引き受ける

木之内惣は完全に美里の記憶を呼び覚まし、連城家へ帰ることとなった。


美里は連城家の屋敷では執筆活動をせずに、仕事部屋へ通いオンとオフをしっかりと切り替え、作家木之内惣を続けながら、連城美里という奈央の母親としての自分を取り戻していった。





初秋を迎えたある日の午後、「グリーンフラワーコーポ」203号室の入居者である堀内美和子がスマイル&ピース不動産を訪れた。


「あの・・・岡咲さんいらっしゃいますか?」


美和子は窓口に座る男性社員に声を掛け、渚を呼びだした。


窓口男性社員に取り次がれ、店頭に顔を出した渚に、美和子は安堵の表情を見せた。


「岡咲さん!いて良かったあ。」


「堀内さん、お久しぶりです。今日はどうなさいましたか?」


渚がにこやかに挨拶すると、美和子は話しづらそうに下を向いた。


「ここじゃなんですから、応接室にご案内しますね。」


渚は美和子を店内にある応接室へ誘った。


今日の美和子はポニーテールではなく髪を下ろし、しっとりとした雰囲気を醸し出している。


「今、お茶をお出ししますね。」


そう言って渚が応接室から出ようとするのを、美和子は制止した。


「あっ。お茶は大丈夫です。自分でペットボトルのお茶持っているので!気を遣わないでください。」


「・・・そうですか?」


「はい!」


渚はその言葉に甘えることにして、ソファに座り美和子と向き合った。


「その節はご契約頂き、本当にありがとうございました。グリーンフラワーコーポ203号室の住み心地はその後如何ですか?」


渚がそう水を向けると、美和子は困ったような顔をした。


「なにかご不便な点があるんですね?なんなりとおっしゃってください。」


「実は・・・あらかじめ設置されていた給湯器の調子が悪くて・・・もしかして故障してるんじゃないかと思うんです。でも私の使い方が悪かったのかも、と思うとなかなか言い出せなくて・・・。」


「そうだったんですか。それは大変でしたね。管理会社を通じて早急に修理業者を手配いたしますね。設置されている備品修理は基本的に部屋のオーナー様のご負担となりますので費用のことはご心配されなくても大丈夫ですよ。後ほど堀内さんの元へお電話が届くと思いますので、その際に給湯器の現状や修理日のお日にちを業者さんとご相談して頂くことになると思います。ご対応よろしくお願いします。」


渚の説明に美和子はホッとした表情を見せた。


「あー良かった!ずっとひとりで悩んでたんです。友達に相談したら不動産屋の担当者に伝えてみたらって助言されて。もっと早く岡咲さんに相談すれば良かったな。」


「これからも何かありましたら、どんな小さなことでもおっしゃってくださいね。」


「はい!またよろしくお願いします。あ、そうだ。岡咲さん、これ飲んでください。岡咲さんのお口に合うといいんだけど。」


美和子は大きなトートバックからコーヒーのペットボトルを取り出した。


「いえいえ、そんな。堀内さん、飲んでください。」


「私はお茶があるので!」


そのペットボトルは渚がいつも飲んでいるメーカーのミルクコーヒーだった。


「それでは遠慮無く頂きますね。・・・これ、私が好きなやつです。ありがとうございます。」


渚はそう礼を言うと、そのペットボトルを美和子から受け取った。


「良かった!前に岡咲さんのカバンから、そのコーヒーが見えたから、お好きなのかなあって思って。」


「はい。大好きです。」


細やかな心遣いが出来る美和子を、素敵な女性だな、と渚は改めて思った。


心配事がなくなりリラックスしたのか、美和子は砕けた口調で世間話を始めた。


「こういうトラブルがあったときに、そばに頼れる彼氏がいたらなあってしみじみ実感しちゃう。」


「ですね。同感です。」


「岡咲さんみたいにしっかりしていて、ひとりでなんでも出来る女性に憧れるなあ。」


「そんなことないですよ。私も失敗ばかりです。」


「そういえば・・・岡咲さん、婚活は進んでます?」


美和子の言葉に渚は大きく首を振った。


「全然です。ここのところずっと忙しかったので・・・。堀内さんは?」


「私もです!なかなかいい人に巡り会えなくて。ルックスがタイプだなって思っても性格が合わなかったり、いい人そうだなって思ってもいまいちときめかなかったり。」


「恋人選びとお部屋選びは似ているかもしれませんね。全ての条件が満たされる彼氏も物件もそうそうタイミング良く現れないものです。」


「優良物件は人気高いですもんね。」


「うちの母が言っていたんですけど、結婚はフィーリングとタイミングなんだそうです。恋も物件もこれだ!ってビビッときたら、チャンスを逃さず掴まえることが決め手なんでしょうね。」


「そのことなんですけど・・・」


美和子が声をひそめて言った。


「前に岡咲さん、スイーツ作りが得意な男性が知り合いにいるって言ってたじゃないですか。」


「え?ええ・・・」


渚は湊の顔を思い浮かべた。


美里の一件が片付いて以来、仕事が忙しいのか湊と連城家で会うこともなく、早2週間が過ぎていた。


「私、その方に一度お会いしてみたいなあってずっと気になっているんです。だってあのカフェより美味しいチーズケーキを作る方なんですよね?お菓子作りってその人の内面が出ると思うんです。きっと良い方なんじゃないかなあって想像が膨らんじゃって。」


「たしかに彼は気持ちを込めてスイーツを作ってますね・・・。」


「でしょ!どんな男性なんですか?」


美和子の真剣な目にみつめられ、渚も曖昧に誤魔化さず正直に答えなければと思った。


「ルックスは悪くないんじゃないかな。背が高くてイケメンと言っても過言ではないと思います。」


「へえ。そうなんですね!」


美和子の顔が花が咲いたように輝いた。


「性格は・・・ちょっと上から目線なところがあって・・・俺様タイプっていうか・・・。」


「なるほど。俺様キャラ、大好物です。私、優柔不断なところあるので、男性に引っ張ってもらいたいんです。」


美和子はますます乗り気な様子で、身体を前のめりにさせた。


「口は悪いけど、実は優しくて誠実で・・・いい男だと思います。」


そう・・・湊はすごくいい男・・・。


渚はすでに湊への最悪な第一印象を忘れている自分に気づいた。


「もしかして岡咲さんも狙っているとか?」


美和子の猜疑心がちらりと見え、渚はそれを打ち消すように言った。


「いえいえ。それは無いです!」


「じゃあ紹介してくださいよ。・・・駄目ですか?」


「えっと・・・駄目ってわけじゃ・・・」


「お願いします!」


そう手を合わせて頼み込む美和子に、渚の心は乱れた。


たしかに美和子は、湊の望む交際相手としてこれ以上なくふさわしいと思える。


結婚したら迷わず仕事を辞め、家庭を守るために専業主婦になりたいと決めているし、素直で明るくて気遣いも出来る朗らかな性格だ。


加えてルックスだって、グラビアアイドルみたいにメリハリのあるスタイルで、顔の造形も愛らしい。


何より湊自身も一瞬見ただけの美和子を「いい女だな」とつぶやき、「紹介しろ」とまで言っていた。


あのときはなんの冗談かと思っていたけれど、案外この組み合わせは上手くいくかもしれない。


いや、上手くいく予感しかしない。


美里が自分を取り戻し、湊の心の重圧が消え去ったいま、今度は湊が幸せになる番なのではないだろうか?


私がその手助けをしてあげられないだろうか?


でも、と渚は自分に問いかけた。


本当にそれでいいの?


私の湊への気持ちは・・・?


ううん。


やっぱり私は仕事を辞められない。


仮に自分を曲げて湊と結ばれたとしても、きっと後悔するだろう。


湊を幸せに出来るのは堀内さんだ。


堀内さんなら湊を全力で支えてくれるはずだ。


湊が幸せになれば、私はそれでいい・・・。


そんな揺れる思いを心の奥底へ押し込み、渚は美和子ににっこりと微笑んだ。


「わかりました。その知りあいに連絡してみますね。きっと彼も堀内さんのことを絶対気に入ると思います・・・」



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