第3話 渚、セクハラ部長を追い払う

「先輩!今月も営業成績トップですね!」


渚の後輩、小山内美々がそのぷくぷくな指を握りしめ、ガッツポーズをとった。


そしてもう片方の手には栄養補助食品であるチョコレートバー。


しかもそれを渚に話しかける直前まで口にしていたようで、今もまだ口元をもぐもぐと動かしている。


渚は右人差し指と親指でL字を作り、唇の下に当てて決めのポーズを取った。


「まあね。まだまだ稼ぐわよ。」


「よっ!渚先輩!我が社のエース!全女子社員の憧れ!」


「よしてよ。それは言い過ぎ・・・ってちょっと美々!あんた今度こそダイエットするって言ってたわよね。セクシーなタイトスカートが履きたいって騒いでなかったっけ?私、美々に似合うタイトスカートもう見つけてあるんだけど?・・・その口にしているものはなに?」


「なにって一本満足チョコバーですけど?」


「あんた、昼には大盛りカツ丼食べてたわよね?満足しまくってたわよね?」


「だってあれだけじゃお腹空いちゃいますよお。それにこれは栄養食品です。身体にいいんです。タンパク質だって補給できるしその他の栄養素も。しかもドラッグストアで安売りしてたんです。10本まとめて買っちゃいましたあ!」


美々は机の引き出しを開け、その戦利品を渚に見せつけた。


「買っちゃいましたあ!じゃないのよ。」


渚はどんっと美々の机に片手をついて目を釣り上げた。


「栄養補助食品は忙しくて食事を満足に食べられなかった人間が口にするものなの。けっして大盛りカツ丼をしっかり食べた年頃の女が口にするものじゃないの。ましてやダイエット中の女がおやつに食べていい代物じゃないの!」


「渚先輩、そんなに興奮しないで。あ、先輩も食べます?」


そう言って美々はチョコレートバーを渚の目の前に差し出した。


「誰のために興奮してると思ってんの?そんなんじゃ彼氏も出来ないわよ?!」


「彼氏がいない渚先輩にそう言われても説得力ないっていうかあ。んじゃあ、このチョコレートバー、いらないんですね?」


「誰がいらないって言った?ありがたくもらっておくわよ。」


渚は差し出されたチョコレートバーをさっと掴み取った。


「先輩、私もうダイエットやめたんです。」


美々が悪びれもせずそう言うので、渚はまたもや厳しい顔をした。


「どういうこと?そんな意思薄弱なことでは彼氏なんか」


「聞いてください!私、彼氏出来たんです!」


「・・・は?」


渚は手にしていたチョコレートバーをぽろりと床に落とした。


「そ、そんな話、聞いてないわよ?」


「渚先輩にはずうーっと言おうと思ってたんですけど、なんとなーく言いづらくてえ・・・。ほら、渚先輩ずうーっと独り身だから申し訳なくてえ。でも実は一ヶ月前に彼氏が出来たんですよお。彼氏がダイエットなんてしなくていい・・・そのままの美々ちゃんでいいよって言ってくれたんですう。」


「うるせーな!お前ら、ここは昼休みの女子トイレじゃねえんだよ。あ?」


得意げな顔の美々と、唖然とした表情の渚の背後から、聞き覚えのあるダミ声が飛んできた。


ここは「スマイル&ピース不動産」の営業部フロア。


「お客様のスマイリーでピースフルな毎日をデザインする」という店名そのまんま過ぎる言葉がモットーの、都心にある中堅不動産会社に渚は勤めている。


ダミ声の主は営業部長の綿貫だった。


突き出たお腹に黄色い縁の眼鏡をかけた綿貫は誰が付けたか「お洒落メガネタヌキ」と陰で呼ばれている。


それを知ってか知らずか、綿貫はことあるごとにポンっとお腹を叩いてから言葉を発する。


「・・・すみませんでした。」


渚と美々は頭を下げて素直に謝った。


「小山内。お前ブタみたいに食い過ぎなんだよ!これ以上デブったら接客させねえぞ!」


「はい・・・」


美々は肩を丸め、首を亀のように引っ込めてしょぼんとしてみせた。


綿貫は美々へ睨み付けた視線を、今度は渚に飛ばした。


「岡咲。お前、営業成績トップだからっていい気になるなよ?」


すると渚はくるりと綿貫の方へ振り向き、鼻にかかった甘ったるい声を出した。


「あら部長。部長の方こそ最近お腹まわりがますますビッグになってません?そんなお人が他人の、しかもレディの体型をあれこれいうなんて上司としていかがなものでしょう。」


さらに渚は綿貫のネクタイを掴んで顔を近づけ、その首筋の匂いを嗅いだ。


「それに部長から漂う香水の匂い・・・クロエですか?たしか奥様の香水のお好みはシャネルだと先日の飲み会で部長おっしゃってましたよね?まさか部長・・・若い女性と一夜を・・・?そんな破廉恥な部長・・・見たくなかった・・・」


すると綿貫は一転笑みを浮かべ、渚の両肩をその両手でぽんぽんと二回叩いた。


「そうだな!岡咲、お前はよくやってる。ベテランやエリート揃いの男子社員を差し置いて、毎月営業成績ナンバーワンを死守。並大抵な努力では達成できない成績だ。そこは私も大いに買っている。でもな岡咲、あまり気が強いと・・・男が逃げてくぞ?」


「は?」


「岡咲は美人なんだから口を慎めばすぐに恋人が出来る、と俺は思うんだがなあ。花の命は短いって言うだろ?お前もそろそろ本気で婚活したらどうだ?なんなら結婚相談所紹介してやろうか?それに結婚はいつでも出来るかもしれないが、出産のタイムリミットは案外早いぞ?高齢出産はリスクが大きいっていうし。まあ頑張ってくれたまえ。」


渚は両肩に置かれた綿貫の手を蹴散らすように振り払った。


「それセクハラですけど?出るとこ出まひょか?私、負けませんから!」


そう低い声で睨みを効かす渚を前に、綿貫は両手を挙げてアメリカ人のようなポーズを取った。


「おお怖い。最近の女はちょっと助言するとやれセクハラだ、マタハラだ、パワハラだってうるさいのなんの。世知辛い世の中になったもんだ。さてさて退散するか。」


そう声を張り上げ、綿貫は自席へ戻っていった。


渚はそのはち切れそうな綿貫の背中に向かって大きくイーッと顔をしかめてみせた。


「あのエロ親父・・・不倫がばれて奥さんと一悶着起こせばいいのに。美々、あのセクハラお洒落メガネダヌキに負けちゃ駄目よ!」


「先輩・・・ありがとうございますう」


美々は渚の手を握り、大きく振った。


「でも先輩も私の体型のこと、けっこう口出ししてましたけどお?」


「私は愛ある忠告だからいいの!そんなことより」


渚は美々に顔を寄せ、小声で囁いた。


「で・・・彼氏が出来たってホントなの?」


「はい!渚先輩にそんなこと嘘つきませんて。」


「その話、あとで詳しく。」


「了解です!」


その後二人は自席に戻り、何事もなかったかのようにパソコンに向かい仕事を始めた。

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