第15話 渚、後輩男子とお弁当を食べる

蝉の声がミンミンと鳴り響く真夏の午後。


渚は会社の休憩室で少し遅めのランチを取っていた。


今日は給料が出たばかりなので、奮発して『和風デラックス幕の内弁当』をチョイスした。


いつものコンビニではなく、ちゃんとした日本料理屋の弁当だ。


ふわふわのだし巻き卵や、上品な味わいの鮭の西京焼きや、煮物やらが美しく弁当箱を彩っている。


「美味しそう・・・いただきます!」


口に入れた甘い人参が、朝食抜きの身体に染み渡っていく。


奈央の家庭教師を始めてからというもの、美味しい夕食やスイーツを毎週のようにしょくすようになった渚は、舌が肥えて困るという贅沢な悩みを抱えていた。


渚はエプロンを付けてキッチンに立つ湊を思い浮かべた。


「あの人のスイーツ・・・なんであんなに美味しいんだろ。」


栄文社からの帰り道に喧嘩して以来、渚は湊と会っていない。


湊が何に怒っていたのかわからない以上、渚としては謝りようがなく、もやもやとした気持ちが心に燻っていた。


「なによ。そっちから何か言ってきなさいよ。そしたら私だってちゃんと頭を下げるのに。」


そうブツブツつぶやく渚に、いつの間にか休憩室に入ってきた宗像和樹がそっと声を掛けた。


「渚先輩。最近独り言多くないですか?」


「わっ!いたの?宗像君もこれから昼休憩?」


「はい。さっきようやく真中まなかさんの賃貸契約が決まって、ホッとしました。」


顧客の真中ヨネは独り暮らしの73歳女性。


独居の高齢者は賃貸マンションオーナーが契約を渋るケースが多く、真中ヨネもなかなかいい物件に巡り会えずにいたのだった。


「そう。よかった!忍耐強く真中さんに合った物件を探し回った宗像君のお手柄ね。お疲れ様。」


「渚先輩が一緒に内見してくれたお陰です。」


「私はただ付いて行っただけ。何もしてないよ。」


「それが心強いんです。あ、隣座ってもいいですか?」


「もちろん。」


和樹は素早く渚の隣の椅子に腰掛けた。


「あーあ。私も真剣に考えなきゃな。老後の暮らし。」


渚のぼやきに和樹が一笑した。


「なに言ってるんですか。まだまだ先のことじゃないですか。」


「月日はあっという間に過ぎるのよ?私なんてすぐにおばあちゃんになって独り淋しく年老いていくのよ。」


「なんで独りって決めつけるんですか?結婚したくないんですか?」


渚は箸を止め、和樹の顔をまじまじと見た。


「そりゃしたいわよ?でもなかなかいい相手が見つからないの。ねえ宗像君、誰かいい人紹介してくれない?」


「ええー・・・それ、俺に言います?」


和樹は眉を八の字に下げ、弱々しい笑みを浮かべた。


和樹が広げた手作り弁当を見た渚は、からかうように言った。


「それ彼女さんの手作り弁当?宗像君、モテるもんね。」


すると和樹は少し怒ったような顔で渚の言葉を打ち消した。


「違いますよ!これは自分で作ったんです。」


「えっ。宗像君が作ったの?ミートボールにたこさんウインナー。可愛い!」


「簡単なものしか入ってませんけどね。」


「それだけ作れれば十分だよ。偉いじゃん。」


「ウチは母子家庭なんで。母は俺が小さい頃から働いていて忙しかったから、自然と料理を覚えたんです。ちなみに洗濯や掃除も俺得意です。」


そう言って和樹は箸に挟んだ白米をぱくりと口に入れた。


「そう・・・お母さんひとりで宗像君を育てたの・・・大変だったんだろうな。私、そういう女性、心の底から尊敬する。」


「・・・ありがとうございます。」


和樹は嬉しそうにつぶやき、頭を下げた。


「でもお母さんが働いてて、ひとりでお留守番とか・・・子供の頃淋しくなかった?」


「そりゃ淋しかったですけど・・・それ以上に誇らしかったです。スーツを着て働きに行く母は格好いいと思いました。」


「お母さんにとっても宗像君は誇らしい息子だと思うよ?そんな良い子の宗像君にこれあげちゃう。」


渚は自分の弁当箱から特大海老の天ぷらを和樹の弁当箱のふたに置いた。


「えっ?!そんな、悪いですよ。これ渚先輩の弁当のメインおかずじゃないですか。」


「いいのいいの。私はもうお腹いっぱいだから。宗像君は男の子なんだから沢山食べてもっと成長しなくちゃね。」


「男の子って、俺もう27ですよ?子供扱いしないでください。」


長身の和樹が姿勢を伸ばし、不満げな顔をしてみせた。


「そっか!こめんごめん。」


「まあ・・・俺は童顔ですから、たまに学生に間違えられることもありますけどね!」


「でしょ?」


渚と和樹は顔を見合わせて笑った。


「・・・渚先輩って仕事には厳しいけど、何気なにげに優しいですよね。」


渚からもらった特大海老てんぷらをみつめながら、和樹がそうつぶやいた。


「え?」


「仕事してる姿も格好いいですし。」


「なになに?おだてても何も出ないよ?・・・さて私は仕事に戻るかな。」


そう片付けを始めた渚に和樹は真面目な顔で言った。


「渚先輩の婚活の相手・・・俺も立候補していいですか?」


「・・・え?」


「俺、結婚したら良い夫、良いパパになりますよ?優良物件だと思うけどな。」


「またまた。先輩をからかわないでよ。宗像君は若いんだし、私よりうんと可愛い彼女がすぐに出来るよ。頑張って!」


渚はそう言って和樹の背中をぽんぽんと二回叩くと、休憩室を出て化粧直しをするために女子トイレへ向かった。


トイレの洗面台で自分の顔を鏡に映し、渚は大きく息を吐いた。


「あーびっくりした!宗像君ってあんな冗談言う子だったっけ?」


和樹の甘い言葉に渚の心臓がドキドキと高鳴っていた。


たしかに宗像君と結婚したら、家事や育児も積極的に担ってくれそう。


それって・・・アリ、かも?


いやいや、さっきのは冗談・・・よね?


あんなに若くて可愛いモテ男子が、わざわざ三十路の行き遅れ女を選ぶはずないって。


それでも久しぶりに女性として認められたような気がして、渚の胸はウキウキと弾んだ。







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