第19話 渚、まさかの展開に混乱する

奈央の家庭教師が終わった日の夜。


夕食をご馳走になった後、渚は連城家のいつもの裏口から外に出て、帰宅の途についた。


連城家の塀に沿った道路は人通りが少なく、暗い夜道に街灯が等間隔にぽつんぽつんと立てられているだけで、アスファルトに照らされた白い光だけが頼りだった。


自宅方向へ歩き出した渚の目に、その光のそばでぼんやり映る黒い影が見えた。


渚は目をこらしてその影をじっとみつめた。


あんなところに佇んで、一体何をしているんだろう?


物盗り?


強盗?


まさか・・・痴漢?


渚の背中に嫌な汗が流れた。


その汗がひんやりと冷たくなり、恐怖で身体が震える。


渚はすぐに自宅とは反対の方角へ身体を向け、駆け足で逃げ出そうとした。


とその瞬間、その影が実態を伴った。


白い顔、細い身体、柔らかいシルエット。


それは紛れもなく女性の姿だった。


渚はその影が女性だとわかるやいなや、襲われる可能性はないと判断し、安堵の息を吐いた。


そして自分の身が安全だと確信すると、今度は持ち前の好奇心が顔をだした。


あの女性はあんなところで、一体何をしているのだろう?


渚は塀の角でみずからの身を隠し、女性の行動を注視した。


女性は身動きもせずじっと連城家の塀の向こうへ顔を向けている。


そんな時間ときが長らく続き、渚は痺れを切らした。


これが男性だったら交番に通報しようとも思ったが、相手はか弱そうな女性。


そのまま放っておいて帰ろうとしたとき、渚の頭に別の考えが浮かんだ。


もしかして身体の具合が悪く、動けないのかもしれない。


だったらこのまま捨て置くのは人間としていかがなものか。


でも余計なお節介だったら。


万が一危ない女性だったら。


「ええい!ままよ。」


渚は心を決め、その女性に声を掛けることにした。


もし危害を及ぼされそうになったら、ハイヒールを脱いでダッシュで逃げよう。


そう思いながら、少しづつその女性へ近づいていった。


至近距離に近づいたその時、渚の目ははっきりとその女性の顔を認識し、そして驚愕した。


それは予想外の人物だった。


「木之内先生・・・!?」


渚に突然声を掛けられた木之内惣は、ビクッと身体を震わせ、渚の顔を見た。


渚は木之内惣との思いがけない再会に、この状況の不可解さを忘れ、喜びの声を上げた。


「あの・・・覚えてませんか?栄文社で本にサインを頂いた岡咲渚です!その節は本当にありがとうございました!私、あの本読むのがもったいなくてまだ棚に飾ってあるんです。」


しかし木之内惣は渚の言葉に何の反応も示さなかった。


「あの・・・木之内先生・・・ここで何を?」


すると思ってもみない言葉が返ってきた。


「あなた・・・誰?」


渚はショックだった。


ついこのあいだお会いしたばかりなのに、もう忘れられてしまったの?


・・・でも、それも仕方がないことなのかもしれない。


木之内先生には沢山のファンがいらっしゃるし、沢山の方とお会いするのだろう。


渚は初めて出会った人間として、もう一度自己紹介をすることにした。


「あ・・・えっと・・・私は先ほども申した通り、木之内先生のファンで、岡咲渚といいまして・・・」


するとさらにショッキングな言葉が返ってきた。


「木之内先生って誰?」


「え?!」


渚は耳を疑った。


まさかご自身のことまで忘れている・・・?


そのときハッと気づいた。


ここは連城家のすぐそばの道路だ。


普通に考えれば連城家に用があるとしか思えない。


そしてそこに住む湊は、木之内先生の担当編集者だ。


木之内先生はきっと湊に会いに来たに違いない。


もしかして秘密の合図で、湊を家の外まで呼び出している最中なのかもしれない。


ということは湊と木之内先生はやっぱりそういう関係・・・?


それなのに私が声を掛けてしまったから、それを誤魔化すためにわかりきった嘘で乗り切ろうとしている・・・?


まさか・・・私が連城家から出てきたところを見て、私と湊の仲を誤解した?!


ぐるぐると思考を巡らせる渚と危うい雰囲気を漂わせた木之内惣の元へ向かって、コツコツと大きな足音が鳴り響き、その足音の主が近づいてきた。


長身にグレーのスーツ、そして手には黒いブリーフケース・・・誰でもない、それは連城湊その人だった。


湊は渚と木之内惣の姿を見て、強ばった表情を浮かべた。


すると木之内惣は目に涙を一杯溜め、湊の胸に抱きついた。


「湊・・・湊・・・会いたかった・・・」


その言葉に湊の目は見開き、やがて木之内惣の顔を怖いほどの真剣な表情でみつめた。


ふたりが抱擁する姿を目撃し、渚の胸はずきんと痛んだ。


しかしそんな胸の内をすばやく隠し、現状を湊に説明しようと必死に訴えた。


「ごめんなさい。あなたと木之内先生が夜更けにこっそり逢うほど深い仲だなんて知らなくて・・・声を掛けてしまって・・・本当にごめんなさい。」


湊は渚に目を向け、厳しい口調で言った。


「もういい。渚は黙ってろ。」


「だって・・・」


湊は木之内惣の両肩を掴むと、その肩を強く揺さぶりながら叫んだ。


「美里か?お前は美里なのか?!」


「湊・・・奈央は・・・奈央は、どこ?どこにいるの?」


「え・・・?美里・・・?木之内先生が・・・美里さん?」


衝撃の展開に理解が追いつかない渚は、湊と木之内惣・・・美里をぽかんと眺めた。


そうしているうちに美里はハッと表情を変え、湊の手を大きく振り払い、きびすを返し、あっという間に渚と湊の元から走り去って行った。





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