第18話 渚、結婚の極意を教わる

スマイル&ピース不動産の定休日。


渚は母汐子と一緒にキッチンに立ち、昼食を作っていた。


今日の献立は餃子と卵スープ、あとは昨夜の残り物であるかぼちゃの煮物。


「そう。しっかり種を包んで。ああ、ちょっと入れすぎ!」


不器用な手つきで餃子を作る渚に、汐子が注意を入れる。


餃子なんて冷凍やチルドで出来上がっているものを焼くだけで良くない?


そんな自分のこれまでの考えを、渚はふるふると蹴散らした。


湊が奈央を励ます為に美味しいスイーツを作っているように、自分も愛する誰かが出来たときに手料理で気持ちを伝えたい、そんな思いが渚の心にいつしか芽生えていた。


それを実現すべく、渚は出来るだけ料理を練習しようと、積極的に汐子の手伝いや、和樹のように自作の弁当を作るよう心がけるようになった。


それに伴ってその他の家事にも目を向けるようになった。


いざ始めてみると家事というものは、思っていたよりもだいぶ手間がかかるものだと渚は気づいた。


ゴミの分別は燃えるゴミ、燃えないゴミ、プラスチック、びん缶、古紙、ペットボトル・・・と曜日ごとに細かく分かれていて、一日でも忘れると次の収集日まで捨てることが出来ない。


掃除だってマメに掃除機をかけないとほこりがすぐに溜まる。


ルンバに任せればいいと言っても、やはり隅々のほこりは人間の手でないと綺麗にするのは難しい。


冷蔵庫の中の食べ物の整理。


気をつけないとあっという間に残り物がミイラ化してしまう。


洗濯機に溜まる糸くずの処理。


お風呂場のカビ予防。


家事というものはサボろうとすればとことんサボれるけれど、徹底的にやろうと思ったらいくらでも仕事がある。


何事も完璧を目指す渚は、家事の奥深さを痛感していた。


そんな渚に汐子は温かい目を向けながらも、からかうように言った。


「最近の渚は家事に積極的ね?花嫁修業?やっと渚もその気になってくれたのね。お母さん、嬉しいわあ。でもどういう心境の変化?」


「私だってもういい歳なんだし、料理のひとつやふたつ作れなきゃ恥ずかしいと思うようになったの。ただそれだけ。」


「ふーん。そうなの。誰か好きな人でも出来たのかと思った。」


「・・・そんな人いないよ。」


そう言いつつも、なぜか渚の頭に湊の顔が浮かんできた。


だから違うって!


あいつのことなんて好きでもなんでもない。


大体湊とは結婚観が違うんだから。


私は結婚しても働き続けたい、だけど湊は結婚したら妻には仕事を辞めて専業主婦になることを望んでいる。


そんな価値観の違う男と恋愛関係になるなんてありえない。


なのに・・・なんで湊を想うとこんなに胸が切なくなるの?


渚はテキパキとした手先で、餃子を形良く作っていく汐子をじっとみつめた。


母汐子は父と同じ職場で働いていた。


いわゆる職場結婚というやつである。


父の啓治けいじは中学の国語の教師、母汐子は啓治が勤める中学の学校事務の公務員。


ふたりは結婚し、汐子は仕事を辞めて主婦をしながら子育てに専念し、子供達がある程度育ち手が離れるとスーパーのパート社員として再び働き始めた。


母は子育ても仕事もしっかりこなす立派な女性だと思う。


自分も母のようになりたい、と思う一方結婚や子育てを機に一瞬でも仕事を辞めてしまうことに抵抗を覚えるのも、渚の正直な気持ちだった。


「ねえ。お母さんは結婚して仕事を辞めることに躊躇いためらいはなかったの?」


渚の問いに汐子は料理の手を止めずに答えた。


「そりゃ少しは、ね。だって私、仕事好きだし。」


「じゃあなんで辞めたの?続けることは出来なかったの?」


「うーん。」


汐子は少し考えたあと、少し照れくさそうに笑った。


「でも結婚してお父さんを支えたいなって思う気持ちの方が大きかったのよね。ほらお父さん見ての通り、なんにも出来ない人でしょ?」


汐子はリビングのソファでビールを飲みながら、テレビの野球中継を見ている啓治を眺めた。


「お父さん、生徒ひとりひとりに目を配って、授業の内容にも工夫を凝らしてて、仕事が第一で。だからプライベートが疎かになっててね、お昼ご飯も職員室でカップ麺ばかり食べてた。でもそんなお父さんをいいなって思ったから結婚したの。お父さんのプライベートは私がちゃんと管理してあげようと思ってね。」


「そうだったんだ・・・。」


両親の馴れ初めを初めて聞いた渚は、母の父に対する想いの深さに驚いた。


「でもね。今は結婚にも色んな形があると思う。渚には渚に合った結婚をすればいいの。」


「うん・・・」


「でも結婚には何よりも愛が大事だと思うわよ?相手を尊敬しこの人と一緒に人生を歩んでいきたい、そういう気持ちがないとね。収入がどうとか勤め先がどうとか、そういう条件も必要かもしれないけど、一番大切なことを忘れないでよ?」


「うん・・・。そうだね。でもそういう相手に巡り会えるかどうかわかんないよ。」


「渚。結婚はフィーリングとタイミングよ。ここぞって人が現れたときは絶対に逃がしてはだめ。実はお父さんを狙っている女性は他にもいたの。南田さんっていう数学の先生でね、なかなかの美人だったわ。でもお母さん頑張った。もしかして人生で一番頑張ったかもしれない。」


「・・・何を頑張ったの?」


「それは内緒。」


「えー教えてよ。ケチ。」


「そんなこと自分で考えなさい。」


ハックションと啓治のくしゃみが聞こえてきて、渚は最近髪が薄くなってきたメタボの父啓治の姿を見た。


お父さん、あれでも昔は結構モテたんだ・・・


たしかに父と母は小さな喧嘩はしょっちゅうしているけれど、実はすごく仲の良い夫婦だと思う。


「愛、か・・・」


自分もいつか愛する人と結婚することが出来るのだろうか?


そんな未来がいまだ見えない渚は、小さくため息をついた。



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