第17話 渚、神客降臨に助けられる

それから一週間後。


高藤が売りに出しているワンルームマンション「チェリオガーデンマンション707号室」の買い手が突然現れた。


それも一切の値引き交渉はなく、売値通りで購入するという。


しかもローンではなく現金一括払い。


まさに神様が舞い降りたような話で、売主の高藤はこの朗報を聞いて文字通り泣いて喜び、渚の胸のつかえも一気に軽くなった。


買い主は小川吾朗おがわごろう35歳、小規模ながらもそれなりの業績を伸ばしているデザイン会社の社長である。


さすが一国一城の主だけあって、金払いが良く太っ腹だ。


売買契約申し込みのため店を訪れた小川に、渚は神を拝むような気持ちで深々とお辞儀をした。


「この度はチェリオガーデンマンション707号室のご購入申し込み、本当にありがとうございます!!」


鮮やかな柄シャツに黄色いジャケットを羽織った小川は、「はいはい。どうも。」と上機嫌な様子で売買契約申し込み書に目を通した。


「もう9月なのにまだまだ暑いねえ。僕なんかまだ日焼け止め塗っているよ。ほら紫外線はお肌の大敵じゃない?こういう仕事してると外見のケアも仕事の内なのよ。」


着ている服に負けないくらい陽気な人柄の小川は、にこやかな笑顔を浮かべながらぽんぽんと軽口を叩いた。


「この暑い中、ご来店ありがとうございます!」


何度礼を言ってもいい足りないような気持ちで、渚は言葉に力を入れた。


「いいのいいの。こっちこそ、いい物件がみつかって喜んでいるんだから。」


しかしどうしてこの物件を購入しようと思ったのだろう・・・?


そんな疑問が渚の頭に渦巻いていたが、こちらから立ち入ったことを尋ねるのも憚られた。


とりあえず渚は無難な質問をぶつけてみた。


「あの・・・これは今後の参考にさせて頂きたくお聞きしたいのですが・・・」


「なんでしょ?なんでも聞いて?」


「どちらの不動産サイトでこの物件をみつけられたのですか?」


「ああー・・・」


小川は少し間を置いたあと、渚の顔をじっとみながら軽く言った。


「実は先日後輩と食事に行ったんだけどね。そいつが僕の好きな神戸牛のステーキを奢るなんて珍しいことを言い出したもんだから、僕もいそいそとそいつの誘いに乗ったわけよ。」


小川はナイフとフォークでステーキを切る仕草をしてみせた。


「そこでね、このマンションの話を聞いたわけ。」


「そうだったんですね。」


口コミだったんだ・・・


営業をかけたお客様からの紹介?


渚が考える間もなく、小川のマシンガントークは続いた。


「僕ね、ダンボールハウスドールのガチファンなの。」


「ダンボールハウス・・・ドール??」


渚はその単語の意味がわからずぽかんと口を開けた。


「え?ダンボールハウスドール・・・知らないの?やだ。信じられないんだけど!」


小川は口をへの字に曲げて身体をくねらせた。


「も、申し訳ございません。勉強不足で・・・」


「なーんちゃって。冗談よ。知らなくても仕方が無いわ。ダンボールハウスドールは世間からはまだ認知度が低いけど、お笑いファンの間ではコアな人気がある女性お笑い芸人のコンビなの。片方は毒舌キャラでもう片方は天然不思議ちゃん。そのバランスがいいのよ~」


そう言われてみれば、そんな名前をバラエティ番組で聞いたことがあるような気がする。


「ほら。この二人。」


小川のスマホの待ち受けには、赤いおかっぱ頭と金髪ツインテール女子二人の変顔をしている写真が設定されていた。


「僕、この二人が好きで好きでたまらなくてねえ。推し活してんの。」


「推し活・・・」


それとこのマンション購入とどう関係があるのだろうか?


「そのダンボールハウスドールの所属する芸能事務所が、今回購入した『チェリオガーデンマンション』のすぐ近くにあるわけ。ダンボールハウスドールはその芸能事務所内に設置されてるライブハウスで週に2回ネタを披露してるんだけど、僕としてはそれを一日も欠かさず観に行きたいの。でも自宅からは遠くてさ。だったら近くにセカンドハウスを買っちゃえばいいじゃん!って思ってね。」


「そうだったんですね。」


好きな芸人の推し活のためにマンションをぽんと購入か。


さすがお金持ちはやることのスケールが大きい。


「さらに推しグッズの置き場所としても活用したいのよね。DVDやらグッズやらが家に溢れかえっちゃって。奥さんに捨てられそうだから早急に避難させないといけなくて焦ってたの。そんなこんなで僕もいい物件を探してたってわけ。」


「それは良かったです!」


「ほんと湊に教えてもらって良かった・・・あっ」


小川は言葉を発した後、あわてて口元を両手で塞いだ。


「え・・・?今、湊って・・・?」


「あー聞こえちゃったかあ。」


小川は頭をかきながら、内緒話をするように声を小さくした。


「バレちゃったみたいだから言うけど、このマンションの情報、連城湊っていう友人から聞いたのね。湊にはダンボールハウスドールのことを耳にタコが出来るくらい話してたからピンときたんでしょ。先輩にぴったりの物件をみつけたからスマイル&ピース不動産の岡咲っていう営業社員に連絡してみろってね。でもこれここだけの話ね。湊には絶対に俺の名前は出すなってキツく口止めされててさ。バレるとあいつの出版社で出してる本を100冊くらい買わされるはめになるから・・・内緒にしてね。」


「はい。もちろんです。お客様の友情を壊すようなことは絶対に致しませんのでご安心ください。」


そう言ってにっこり微笑んだ渚だったが、内心は激しく動揺していた。


相談しても全く協力しようとする姿勢を見せなかったあの湊が、私のために動いてくれたの?


湊って一体何なの?優しいと思ったら冷たくなったり、かと思ったら助けてくれたり・・・。ほんと意味不明・・・


そう思いつつも、渚は湊の不器用な優しさと温かさに、胸がいっぱいになった。


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