第11話 渚、スイーツは『愛』だと訴える
毎週月曜日の午後6時半からと水曜日の午後2時からの1時間、渚は奈央へ勉強を教えることとなった。
月曜日はいつも以上に精力的に実務をこなし、残業をしないことに決めた。
水曜日は勤務先スマイル&ピース不動産の定休日なのでなんら問題はない。
そして今日は月曜日。
定時終了時間きっかりにパソコンを閉め、ジャケットを羽織る渚を美々が珍獣を見るような目で二度見して叫んだ。
「毎日の残業は当たり前、もしや会社に寝泊まりしているのではと噂されていた渚先輩が・・・社畜女子として名高い渚先輩が・・・定時きっかりに帰宅なんて!いったいどういう風の吹き回しですか?!」
「もちろん仕事は何よりも大事よ。でもプライベートも大切にしなきゃって今更ながら気づいたの。」
「プライベートって・・・まさか・・・とうとう渚先輩にも彼氏が?」
「まあ・・・男性と会っていることは否定しないけど。」
「渚先輩みたいな毒舌で酒豪な女性と付き合える奇特な男性もいるんですねえ。」
遠慮のない言葉を発する美々の側頭部を渚は軽く小突いた。
「美々、あなた言葉を慎みなさい?」
「まあまあ。で、どんな男性なんですか?」
美々の問いかけに、渚は待ってましたとばかりに両手を組み、蕩々と語り出した。
「彼とっても可愛いの。素直で繊細ですごくいい男。品があって、でも好奇心が旺盛で・・・しかも家は豪邸なの。彼の家に行くと必ず美味しいスイーツが頂けて、さらに庭にはローズガーデンがあって、そこの薔薇の香りが芳醇で・・・」
「・・・・・・。」
美々は大きくため息をつくと、渚の顔を哀れむように見た。
「渚先輩・・・とうとう妄想彼氏を作ってしまったんですね。そこまで先輩を追い込んでしまった私って・・・なんて罪深い女・・・」
「ちょっと!本当のことなんだけど。」
「はいはい。どうせ韓流スターとか今流行の2.5次元舞台俳優への推し活かなにかでしょ?先輩の趣味に口だしするつもりはありませんから、思う存分楽しんでください。ささ、夢の世界へお急ぎくださいませ!」
「・・・・・・。」
美々に背中を押され釈然としないながらも、渚は自動扉から店を出た。
「ほんとに奈央君はいい男なのに・・・。でもさすがに20歳年下では彼氏として家族や知り合いに紹介できないけどね・・・」
そうつぶやきながら、渚は奈央が待つ屋敷へと急ぎ足で向かった。
「うん。前回勉強したところ、しっかり覚えているね。偉い偉い。」
渚に頭を撫でられた奈央は、誇らしげに微笑んだ。
「じゃ、今日はここまでにしようか?」
「うん。ねえ渚、今日も夕食食べていくでしょ?」
家庭教師の勉強時間が夕食前だということもあり、前回渚はスイーツはもちろん、夕食までご馳走になってしまっていた。
「んーでも、毎回は申し訳ないかな。」
「いいんだよ。僕と絹さんだけじゃ淋しいもん。どうせ湊は遅く帰ってくるしさ。この前だって絹さんも喜んでたんだよ?渚が一緒に夕食を食べてくれてさ。」
奈央は教科書やノートをランドセルに仕舞うと、部屋のドアを開けて渚をリビングへ誘った。
その言葉に釣られ、渚も奈央の後ろをそろりと付いていく。
キッチンで大きなお尻を振りながら、鼻歌を歌う絹の後ろ姿に奈央は声をかけた。
「ねえ絹さん。今日も渚と一緒にご飯食べてもいい?」
シチュー鍋の中身をお玉でかき回していた絹はくるりと振り向き、ニカッと笑顔を作った。
「もちろんですとも!そうかと思って多めに作りましたのよ?今日は奈央坊ちゃまの大好物のビーフシチューですの。渚様にも是非ご賞味頂きとうございます。」
「絹さん。渚様はよして。私はただの雇われ家庭教師なんだから。」
「いいえ!渚様は奈央坊ちゃまと湊坊ちゃまの大切な客人です。だから渚様と呼ばせてくださいませね。」
絹は奈央のことを「奈央坊ちゃま」湊のことを「湊坊ちゃま」と呼んでいた。
あの偉そうな男が「湊坊ちゃま」と呼ばれているところをこの目で見てみたいものだ、と渚は可笑しくなった。
「・・・そうお?じゃ、せめてなにか手伝わせて?」
「滅相もない!・・・と言いたいところでございますけど、ちょうどガーリックトーストが焼き上がったところですの。それをカウンターの上にあるお皿に取り分けて頂いてもよろしいかしら?」
「はい!」
渚がオーブンレンジの扉を開けると、ガーリックと香ばしいパンの香りがキッチンに広がった。
渚はトングでガーリックトーストをチューリップの模様があしらわれたパン皿に取り分け、テーブルに並べた。
絹はビーフシチューや茹でたアスパラガスのサラダやらを手早くテーブルにセッティングし、あっという間に夕食の用意が整った。
奈央と渚、そして絹はそれぞれテーブル席に付き、手を合わせ「頂きます!」と唱和した。
絹の作った料理はどれも、店に出してもおかしくないくらい美味しかった。
「さあさ。沢山食べてくださいな。お代わりもたっぷりありますからね。」
「はい!」
渚は黙々とビーフシチューを口に入れる、目の前に座る奈央を見た。
「奈央君。口元にビーフシチューの汁が付いているわよ?」
「え?どこどこ?」
「ここよ。」
渚は自分の右の口元を指さした。
「奈央坊ちゃま。手ではなく、ちゃんとナプキンで汚れをお拭きなさいませ。」
「はあい。」
奈央は絹から手渡されたナプキンで口元を拭った。
「それにしても食卓に渚様のような若くて可愛らしい女の子がいると、ぱあっと花が咲いたように明るくなりますわね。」
「絹さん。私、もうアラサーよ?女の子って歳じゃないわ。」
「あら渚様。これからは人生100年時代ですわよ?アラサーなんてまだひよっこですわ。もちろんワタクシだってまだまだ現役で頑張りますわよ?」
そう言って豪快に笑う絹こそひまわりのような女性だと渚は思った。
絹・・・
奈央の祖父の代からだというから、絹にとって湊は息子、奈央は孫のような存在なのだろう。
若い頃に一度は結婚したそうだがすぐに離縁し、再びこの家のハウスキーパーとして戻って来たのだそうだ。
庭に咲いている四季折々の花や美しい白い薔薇も、絹の手入れによるものだ。
食事が終わり、絹が冷蔵庫から湊特製のスイーツを運んできた。
今日はバナナパウンドケーキだ。
「わあ。美味しそう!」
「この生クリームをかけるよう、湊坊ちゃまから仰せつかっておりますの。」
絹はこんがり焼けたパウンドケーキの上にクリームを乗せていった。
「僕、ちょっとお手洗いに行ってくる。」
奈央が席を外し、渚は何気なく絹に尋ねた。
「湊さんって昔からお菓子作りが得意だったんですか?」
すると絹は大きく首を横に振った。
「いえいえ!湊坊ちゃまは学生時代は剣道一筋で食べる専門でしたのよ?」
「じゃあなんでこんなに美味しいスイーツを作るようになったのかしら?」
「それは・・・奈央坊ちゃまの為ですのよ。」
「え・・・?」
「奈央坊ちゃまのお母様、美里お嬢様は色々ございましてね・・・。奈央坊ちゃまはいつも幼い頃から淋しい想いをされていたんですの。それを見ていた湊坊ちゃまが奈央坊ちゃまを励まそうとして始めたものなんですのよ。」
「そうだったの・・・。」
そんな深い想いで作っているスイーツを私は軽くおねだりしてしまった・・・渚の胸の奥がちくりと痛んだ。
「湊坊ちゃまは文武両道で学校の成績も運動もそれはそれは優秀で。まあ・・・ご主人様がそれは厳しく湊坊ちゃまを躾なさったものですから。学年一の成績を取っても剣道の大会で優勝しても一言もお褒めにならないのですから、大層淋しい想いをされたと思いますわ。見てるこちらの方が切なくなるほどでしたの。」
「湊さんのお母様は・・・?」
「これはここだけのお話ですけれど・・・湊坊ちゃまの実のお母様は宝石商としてのご職業がお忙しく、子育てを放棄されていましたの。今ではネグレストというらしいですわね。もちろん教育に必要なものは買いそろえておりましたけれど、心はいつもご商売のことばかりを考えておいでで・・・。そのことが原因でご主人様とも別れてしまわれたんですのよ。」
「そうだったんですね・・・。」
渚は湊がかたくなに、「妻には仕事を辞めて家に入ってもらいたい」と主張していた理由が、少しだけ理解出来たような気がした。
「ほどなくして奈央坊ちゃまの母親である美里お嬢様のお母様・・・智美様とご主人様が再婚なさったのですけれど、智美様はご病気で早くに亡くなられて・・・そのあとを追うようにご主人様も・・・」
「・・・あの・・・奈央君のお母さんの美里さんは今どこに?」
すると絹は少し困ったように目尻を下げ、シィッと人差し指を口に当てた。
と同時に奈央がお手洗いからリビングへ戻って来た。
美里さんの話は、奈央君の前では禁句なのね・・・
神妙な顔の渚と絹の顔を奈央は不思議そうに見て首をかしげた。
「どうしたの?二人とも真面目な顔して。何の話してたの?」
絹は機転を利かし、パウンドケーキの乗った皿を持ち上げた。
「これを早く食べたいわーって言ってたんですのよ?」
「そっか。僕を待っててくれたんだね。ごめんね。」
「気にしないで。さあ食べよ?」
渚は絹にひとつ頷くと、奈央に微笑んだ。
「ねえ、奈央君。湊さんが作ったそのパウンドケーキ美味しい?」
奈央は生クリームがたっぷりとかかったバナナパウンドケーキを口に頬張りながら目を伏せ小さく頷いた。
「じゃあチーズケーキは?この前食べたチョコレートマフィンは?」
「・・・まあ。普通に美味しいけど。」
「だよね!」
渚もフォークに刺したバナナパウンドケーキを口に入れ「うん!美味しい!」と顔を綻ばせ、そして奈央の瞳をじっと見て尋ねた。
「奈央君はケーキの作り方って知ってる?」
「知らない。」
首を振る奈央に渚は不動産物件をプレゼンするときのように熱を込めて語りだした。
「まず材料を買わないといけないよね。」
「それくらいは僕だってわかるよ。」
頬を膨らませる奈央に渚は人差し指をチッチッチッと揺らして見せた。
「ただ買うだけじゃないわよ?湊さんは奈央君の身体を考えてケーキの原材料を選んでいるの。太りすぎないように、虫歯にならないように、ヘルシーでけれど美味しく、しかも環境にも優しい食材を吟味しているのよ。」
「ふーん。そうなんだ・・・」
ケーキの原材料のことなど考えたことがなかったであろう奈央の、その瞳に好奇心が宿ってきたのが渚には手に取るようにわかった。
「さて、材料を揃えました。小麦粉、バター、卵、お砂糖、生クリーム・・・。ケーキを美味しく作るには、スケールや計量カップを使って正確に分量を量らなければいけないの。そしてバターを柔らかくしたり、小麦粉をふるいにかけたり、生クリームを角が立つまでかき混ぜたり・・・かなりの労力と手間がかかるものなのよ?全部の材料を混ぜ合わせて型に入れオーブンで焼く・・・これも時間がかかるし目を離すことも出来ない。そしてスポンジが焼けたら最後に大事な飾り付けをしなければならない。ケーキは見た目も大事だものね。ケーキ作りはどれだけ美味しそうに見えるかがカギなの。でもそれだけじゃまだ足りない。美味しいケーキを作るにはもうひとつ大切なものが必要なのよ?さて、なんでしょう?」
「うーん。なんだろう・・・ケーキ作ったことないからわかんないや。」
奈央が腕を組み考え込んだ。
「じゃあもう一つ問題ね。どうして湊さんは毎日のように、そんな大変なスイーツ作りをしているか・・・奈央君わかる?」
「それは・・・湊はお菓子作りが好きなんだよ。」
「それだけじゃない。そこに『愛』があるからよ?」
「・・・愛?」
「そう。さっきの答え。それは湊さんから奈央君への『愛』というスパイスがケーキの中には詰まっているの。それがケーキを美味しくする最高の隠し味なの。だから奈央君、今よりちょっとだけ湊さんに優しくしてあげたら、湊さんきっと喜ぶんじゃないかな?」
奈央はきょとんとした顔で渚をみつめ、そのまん丸の目を潤ませた。
しかしその後、照れ隠しをするように大笑いをした。
「あっはははは!」
「なに?なにが可笑しいの?」
「だって・・・そんな大真面目に『愛』なんて言うんだもん。渚、恥ずかしくないの?」
「恥ずかしくないわよ?だって『愛』以外の言葉なんてある?」
「奈央坊ちゃま。ワタクシも湊坊ちゃまからの『愛』を感じてますわよ?お優しい湊坊ちゃまはこのワタクシの分のお菓子も、必ず忘れずに作っておいてくださるのですからね。」
絹が渚の言葉を補足するように言った。
「それじゃ湊の作ったケーキを食べてる渚も、湊からの『愛』を感じてるの?」
「そ、それは・・・」
「ねえ、どうなのさ?」
そう詰め寄る奈央に渚は小さくつぶやいた。
「それは『愛』じゃなくて報酬ね・・・。」
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