第13話 渚、突然のお誘いを受ける
「それじゃ、ご契約日に店舗でお待ち申し上げておりますね。」
「はい!11日金曜日の午後2時ですよね。遅れないように頑張ります。」
「ええ。ではよろしくお願いします。気をつけてお帰りくださいね。本日はお疲れ様でした。失礼いたします。」
改札の向こう側で軽く頭を下げる美和子に、渚は深々とお辞儀をして見送った。
心地よい充実感が胸を満たし、自らも改札をくぐろうと渚がスマホを出したと同時に、背中から声を掛けられた。
「おい。」
ん?その声は・・・
「うわっ!」
素早く振り向いた渚の目の前で、湊が小さく手を上げていた。
今日も仕事中抜け出してきたのか、きっちりと黒いスーツを着込んでいる。
湊はいまさっき渚と別れたばかりの美和子の後ろ姿を眺めながら「いい女だな。」とつぶやいた。
「紹介してくれよ。」
渚は湊の袖を掴み、駅の端へ引っ張って行った。
「あなた馬鹿なの?紹介するわけないでしょ?あの人は私の大事なお客様なの。あなたの毒牙にかけるわけにはいかないの!」
「冗談だよ。そうムキになるな。なんだ、焼き餅か?」
「ふざけないでよ。あなたなんかに焼き餅やくわけないでしょ。女がみんな自分になびくと思わないでよね。」
「そこは焼いてくれよ。」
「大体あなたっていったい何なのよ?どうしていつも、いきなり私の前に現れるわけ?暇なの?びっくりするじゃない。せめてアポをとってよ。どうして私がここにいるってわかったのよ?」
「お前の会社の宗像君に、岡咲渚の午後の予定を聞いた。」
「宗像君・・・いい子なんだけどちょっと個人情報保護の意識が低いわね。今度注意しなくちゃ。」
「多めにみてやれよ。この前俺がお前を会社まで訪ねたから、いい仲だと思ったんだろ?」
「それも含めて注意しなきゃって言ってるの!」
「仕方がないだろ?俺はお前の連絡先を知らない。正式に書面で雇用契約を結べば良かったな。そうすれば住所、電話番号からラインIDまで記入させた。」
「ちゃんと奈央君に教えてあるんだから聞けばいいじゃない。ラインだって交換してあるし電話番号だって・・・。」
「奈央が教えてくれないんだよ。」
「どうして?そうか・・・あなたと奈央君、仲悪かったんだっけ。」
「それがそうでもないんだ。最近、奈央が自分から俺に話しかけてくるようになった。宿題を教えてくれだの、わからない漢字を教えてくれだの、この間なんかクッキーの作り方を教えてくれっていうから一緒にキッチンで作ったんだぜ?これは一体どういうことなんだろうと思ってな。」
湊の言葉に渚はほくそ笑んだ。
あの日の奈央君はスンとしていたけれど、やっぱり私の「湊さんのケーキは愛だ」発言が響いたのかしら?
奈央君ってほんとに素直ないい子。
「お前が魔法をかけた、と絹さんが言っていた。」
「私は何もしてないわ?元々奈央君は賢くて優しい子なのよ。」
「これがそのとき作ったクッキーだ。」
湊はジャケットのポケットから、グリーンのリボンでラッピングされている小さな袋を取り出した。
その透明なセロファンからは星形の手作りクッキーが見えている。
「お前にやる。」
「あ、ありがとう。」
渚はとまどいながらも、その突然のプレゼントを心から嬉しく思った。
「奈央君と仲良くなれて良かったわね。あ・・・でも、そしたらなんで奈央君は私の連絡先をあなたに教えないのかしら?」
「どうやら俺にお前を取られたくないらしい。」
「え?」
「渚の愛は僕のものだ・・・と奈央が言っている。」
「なにそれ!奈央君可愛い!可愛すぎる!!」
飛び上がらんばかりに喜ぶ渚に湊はスマホを差し出した。
「てことで連絡先を教えてくれ。」
「・・・わかったわよ。」
渚と湊はお互いのラインアカウントを交換した。
「で?今日はなに?なにか用事があって来たんでしょ?」
腕を組む渚に湊は照れくさそうに微笑んだ。
「いつも奈央の世話をしてもらっているお礼だ。俺と一緒に来てくれ。」
その少し柴犬に似た笑顔に、渚の胸がどきんと高鳴った。
違う違う!これはときめきじゃなくただの動悸だから!
「ま、お前がどうしても嫌だと言うなら退散するけ」
「誰も嫌だなんて言ってないでしょ?」
そう食い気味に渚は答えた。
「・・・まあ・・・そんなに言うなら行ってもいいけど?」
渚はサイドの髪を耳にかけながら、そうもったいつけて微笑んだ。
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