第9話 渚、俺様男と再会する

「はあー終わった!」


新規の契約書をパソコンに打ち込んでいた渚は、やっとその作業が終了し大きく伸びをした。


時計の針はちょうど就業時間の終わりを指し示していた。


今日は珍しく定時に上がれそうね。


久々に華の店へ顔を出そうかな。


そんなことを考えていると、その仕草を待っていたかのように、3年後輩の宗像和樹がおそるおそる渚に声をかけた。


和樹は少し押しが弱いが、親切丁寧な接客で成績を伸ばしている、若手優良株の社員だ。


ベビーフェイスの笑顔が可愛いと女子社員からも人気があり、渚も和樹には一目置いていた。


「渚先輩。あの・・・」


「どうしたの?宗像君。」


「応接室で渚先輩のことをお待ちしている方がいまして・・・。」


「え?!どうしてそれを早く言わないの。お客様を待たせるなんて営業たるものあってはならないことよ?」


「俺もそう言ったんですけど、そのお客様が仕事の邪魔をしたくないから、渚先輩の手が空くまで待たせてくれって強くおっしゃられて。」


「そう・・・。」


そんな律儀なお客様、いたかしら?


渚は現在担当している顧客の顔を思い浮かべ、そして小さく首を振った。


考えるより先に動かなくちゃ。


「とにかく急がないと。なんにせよお待たせしてしまったわけだし。宗像君、申し訳ないけどお茶をお願いしてもいい?」


「はい!了解です。」


従順で素直な和樹は、いそいそと給湯室へ向かって行った。


渚は急ぎ足で応接室へ向かい、そのドアを開け大きく一礼した。


「お待たせしてしまい、大変申し訳ありませんでした!」


「いや・・・こちらこそ突然の訪問、すまない。」


ん?この声・・・。


渚が顔を上げると、応接ソファに座った連城湊が膝の上で手を組み、小さく頭を下げた。


思ってもみなかった来訪者に渚は眉間を寄せ、先ほどとは打って変わって砕けた口調になった。


「あなたからすまないなんて言葉が聞けるなんて、雨でも降るのかしら。どうしよう、置き傘を持ってくるの忘れちゃったわ。」


「そう言うなよ。」


湊がバツの悪そうな顔をした。


応接室のドアがこんこんと鳴り、和樹がお茶を運んで来た。


「失礼します。」


和樹が慣れない手つきで渚と湊の前に緑茶の入った茶碗を置いた。


「ありがとう、宗像君。」


そう渚が言うと湊も和樹に「ありがとうございます」と一礼した。


和樹もぺこりとお辞儀をし、応接室から去った。


「どうして私の勤め先がわかったの?私、不動産会社に勤務しているとは教えたけど、会社名までは言わなかったはずよ。」


「都内の不動産会社へ片っ端から電話をかけた。岡咲渚という営業社員はいないかってね。お前の話から想像して23区の西の方にある会社だと当たりをつけたら、7社目でここにたどりついたってわけだ。」


湊は自分の探偵のような行動を、そう自慢げに言うと、緑茶を口にした。


「それはご苦労様なこと。仕事は大丈夫なの?」


「ああ。今日は出先から直帰の予定だったから。お前はこれから残業か?」


「いえ・・・今日は定時であがるつもりだけど・・・。」


「そうか。」


こころなしか湊がホッとした顔をしたように見えた。


「そんな時間と労力を割いてまで私に会おうとした理由はなに?先日はもう二度と私の顔なんか見たくもないといった風情だったけど?」


「ああ。俺もそのつもりだったが・・・事情が変わった。」


湊は渚の嫌みをものともせずに、上目遣いで渚を見た。


「ここじゃなんだから、どこか別の場所で話をしたい。どうせ暇だろ?」


「誰が暇よ!私、忙しいの。あなたの相手をしてる時間なんてないの・・・と言いたいところだけど、私も今日はどこかで飲みたい気分なのよね。学費をバイトで稼いでいる若い学生さんに、安くて住みやすいワンルームマンションを紹介して、無事契約を取ることが出来たからその祝杯をあげたくて。せっかくご足労頂いたのを無下にするほど私も鬼じゃないし・・・いきつけの居酒屋でよければそこで話を聞いてあげなくもないわよ?」


「回りくどいな。素直に俺と飲みたいって言えよ。」


「はあ?」


「ほら、行くぞ。」


湊はそう渚を促し、黒いブリーフケースを持って立ち上がった。





「ここがお前のいきつけの店か。」


湊と居酒屋「はな」ののれんをくぐった渚は、カウンターの中にいる華に「いらっしゃいませ~」と声をかけられ、「華、久しぶり~」と答えた。


席に着いた湊は熱いおしぼりタオルで両手を拭きながら、店内を見回した。


麻で作られた桃色の座布団が座敷に敷かれ、華が旅先で購入した猫の小物がそこかしこに飾られている。


「私の親友が店のオーナーなの。可愛いお店でしょ?」


「まあ・・・素朴で個性的な店ではある。」


「あなたみたいな人はお高い店にしか行かないでしょうから、新鮮なんじゃない?」


「先入観で人を見るな。俺だって居酒屋やチェーンのコーヒーショップにだって入る。」


湊はそう言って憮然とした。


「どうせスタバのテラス席でブラックコーヒーでも飲みながらパソコン広げてるんでしょ?忙しく仕事している俺って格好いいだろ?みたいな?」


「それの何が悪い?あそこは仕事に集中出来るんだよ。」


「うわあ。否定しないんだ。」


「お前こそ小洒落たカフェでスイーツの写真を撮ってSNSにせっせと上げてんだろ?プライベートも充実してる私を見て?ってな。」


「はあ?それの何が悪いの?そういう話題ってお客様との会話を円滑にするものなのよ!」


店の一番奥のテーブルで向かい合ってやいのやいのと言い合う渚と湊の元に、華がお通しを持って顔を出した。


華はにやにやとしながら渚の顔をちらりと見て、お通しをテーブルに置いた。


「華、ビールひとつ。連城さんはなにをお飲みになります?」


湊は少し間を置いたあと、「俺もビールでお願いします。」と華に告げた。


華は渚にこっそり耳打ちした。


「彼氏がいないなんていつも言ってるくせに、渚もやるじゃない。こんないい男と差しで飲みにくるなんて。このこの~。」


「勘違いしないでくれる?この人は彼氏どころか友達でも客でもなんでもないの。ただの知り合い。」


渚の声が聞こえているのかいないのか、湊は平然とした顔で箸を取りお通しの切り干し大根を口にした。


二人の元へビールジョッキが届き、湊がそれを掲げた。


「まずは乾杯するか。」


「何に乾杯よ?」


「お前の仕事の成功と・・・我々の再会に。」


「我々の再会に・・・ねえ。ま、いいわ。今日の私は機嫌がいいの。じゃ、乾杯!」


「乾杯。」


渚と湊はグラスを合わせ、ビールで喉を潤した。


「ぷふぁあああー生き返った!」


よく冷えたビールを豪快に飲む渚を見て、湊は苦笑した。


「初めて食事した時のお前とは大違いだな。あの日のお前は始終澄まし顔で、受け答えもおしとやかで大人しそうだったのに・・・。まったく詐欺もいいとこだ。」


「そう?将来の伴侶になるかもしれない人との第一印象は大事でしょ?あなたこそ始終穏やかで寛容な男ぶっちゃって。それこそ詐欺よ。」


「もう猫はかぶらないのか?」


「だってこの間のデートで、付き合う可能性はお互いナシってわかったわけでしょ?連城さんと私は価値観がまったく違うんだもの。いまさら可愛い子ぶったって仕方がないじゃない。お互い本性を出して話しましょうよ。」


「ははは!それもそうだな。」


渚の忌憚なき言葉を受け、湊は楽しそうに大笑いした。


ふと渚は湊の横に置かれているA3版の茶封筒を見た。


その封筒には「栄文社」と書かれている。


おもわず渚は声を上げた。


「連城さんて栄文社の編集者なの?」


「ああ。そうだ。それがどうした。」


「じゃあ木之内惣先生の小説も扱っていたりする?」


「木之内惣は俺の担当だ。」


「ほんと?!」


渚の声がワントーン高くなり、目が輝きだした。


「私、木之内先生の大ファンなの。木之内先生の作品はほとんど読んでいる。難解な言葉を使わず読みやすいのに、胸にグッとくるロマンチシズムな文体。先の読めない展開。そして誰もをうならせるラスト。とくに『月に浮かぶ魚』は素敵だった。何回も読みかえしているわ。」


すると湊もやや興奮気味に話し始めた。


「『月に浮かぶ魚』は木之内惣の最高傑作だと俺も思っている。あの作品の為に色んな資料を集めに行ったことを思い出すよ。原稿を受け取るたびに早く次が読みたいってわくわくしたな。」


「ラストで彼がヒロインに会いにいくところなんてもう最高!」


渚は胸で手を組み、ほおっとため息をついた。


「そう言ってもらえると担当編集冥利に尽きる。生の読者の声は貴重だからな。」


「次の新作も期待してるわ。」


「そうか。木之内惣にも伝えといてやる。」


渚と湊は木之内惣の小説の話題でひとしきり盛り上がった。


「ねえ、木之内先生ってどんな方?きっと素敵な方なんだろうなあ・・・」


「まあ・・・・・・一言では言えない。」


渚が木之内惣の人柄を尋ねた途端、湊の口が重くなった。


ビールから梅酒ロックへ飲み物を変えたタイミングで、湊は突然真面目な顔になった。


「そろそろ本題に入ってもいいか?」


「本題?そうか、忘れてた。あなた私になにか話があるんだったっけ?」


渚はほろ酔い気分な自分を引き締めた。


「実は・・・奈央のことなんだが。」


「奈央君・・・ね。元気してる?」


「お前が宿題を見てくれた次の日のテストは満点だった。そんなことは初めてだ。」


「ふーん。たまたまじゃない?あの子はやれば出来る子よ?」


「そうだ。奈央は地頭はいいんだ。実際興味のあることにはものすごい集中力と記憶力を発揮する。しかし学校の勉強となるとモチベーションが上がらないらしい。俺が勉学の大切さを辛抱強く説いても聞く耳を持たない。それになぜか俺は奈央に嫌われている。」


「まあ、そうでしょうね。あなた、性格悪いもん。」


「どこがだよ?」


「自覚がないって怖ろしいわぁ」


「俺は誰よりも奈央のことを考えているのに。」


渚はお酒の力もあり、思い切って踏み込んでみた。


「立ち入った質問するけど、いい?」


「答えられる範囲なら答えてやってもいい。」


「奈央君の家族構成はどうなっているの?あなたのことは叔父さんだと言っていたけれど。そして母親はいないようなことも。」





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