第24話 『蠢く出産』

「ふぅ……いい湯だった。

 やっぱり温泉はいいもんだな……」


 あの後、父と共に四十分ほど風呂場に籠り、日頃の疲れを全て洗い流した。


 周りから感嘆の声が上がったのを覚えている。

 父も俺も驚異的な筋肉量をしているため、男性衆からすれば憧れの的なのだろう。


 生前入るようなこともなかった大浴場。

 美容効果だのなんだのと効能があったが、それ以前に温泉に入れたこと自体が俺の心を癒した。


 だが、やはり父は西洋人と同じで、長いこと風呂に入ることはできないようだ。


 風呂場にいた時間の半分以上を浴槽で過ごしていた俺を見て、それはもう驚いていた。


 おぉ、のぼせてしまうとは情けない。


 「俺は少ししか入れなかったが、やっぱり気持ちいいもんだな。農作業で凝り固まった身体から疲れが押し出されていくみたいだった」


 「やっぱり家にも作るべきじゃない?」


 「無茶言うな。金は足りるかもしれんが掘り当てるのにどんだけ時間がかかると思ってるんだ」


 金は足りるのかよ。イモタリアス家の分家とはいえ金持ちすぎなんじゃないか?


 いま思えばサンジュストの一般受験だってかなりの金がいるはずだ。

 普段は農作業しかしていないはずだが、元隊長時代の金が有り余っているのだろうか。


 「……困ったら借りるか」


 「おっ! これはもしや牛乳か?

 風呂上がりに牛乳を飲む、一度やってみたかったんだよなぁ!」


 「……こっちでもその文化あるのか?」


 「ん? こっちでもってのは知らんが、バンドウ大陸の代表的な文化なのは知ってるぞ?」


 東の大陸『バンドウ』、一度でいいから行ってみたいものである。


 風魔法で髪を乾かす。

 父は毛量が少ないので軽く拭くだけで大丈夫なようだ。

 

 三、四分乾かした後、下着を下から順に着る。

 いつものシャツを着て、ベストを羽織る。

 上からきざい貴族服、下にトラウザーズを履いて、

 ベルト、ハンカチのようなネクタイをつける。


 後は剣を腰にかける。


 これで普段服の完成だ。

 本当なら温泉宿といえば浴衣なのだが、ローマ風の場所に言っても仕方がない。


 ふと、父の目線が俺の腰を向いていることに気づいた。


 「……どうしたんだ?」


 「いや、その両腰に掛かってるやすり

 みたいなやつをずっと付けてたからよ……何なんだそれ」


 「あぁ、これか」


 最近ずっと付けていたものだ。

 板のようになっており、表面にはザラザラとやすりがひっついている。


 鑢板と呼ぶのがいいだろう。


 別にこれはファッションでつけているわけではない。

 付ける理由はしっかりあるのだ。


 「まぁ……奥の手ってやつだよ。奥の手」


 「奥の手ェ? そのやすりがか?

 そんなんでどう戦うっていうんだ?」


 「……見せることはないと思うよ。

 というかあって欲しくはないな。

 俺もこれはあまり使いたくない」


 「……ほーん」


 父からしてもあまり興味はなかったのか、この話題は続くことなくすぐに終わった。


 そこから先も、マリーネの食費がどうだの、

 母が年々厳しくだのといった愚痴を聞き流しながら、俺たちは風呂場から出て行った。


 まぁ中々悪くはなかった。



――――――――――――――――――――――



 「あ、二人ともやっとでてきたー」


 廊下を抜けて大広間に戻ると、女性陣がソファに座って待ちくたびれていた。


 マリーネが不満そうに頬を膨らませてこちらを見ている。

 他二人は何も言わないまでも、視線で遅いとメキメキ訴えてた。


 どうやら四十分は長すぎたらしい。

 髪を乾かすだとか肌のケアだとかやることが多いもんじゃないのか?


 女という生き物はやはりめんどくさい。


 「あっ、ミクリィ今めんどくさって顔してたわね。

 お仕置きに私の肩を揉みなさい」


 「お前若いんだから別に凝ってないだろ」


 「いいから早く!」


 俺は一度溜め息をついた後、ソファの裏に回ってマリーネの後ろに立った。


 目の前には青髪がかかった肩。

 風呂上がりだから少し湿っており、艶に光が反射して輝いているように見えた。


 見てみるとヘッドフォンは外していない。

 この様子だと風呂でもつけていたのだろうか。


 「揉むぞー。筋肉何個ぐらい解放したらいい?」


 「ゼロでいいわよ。私の肩粉砕する気?」


 冗談を言いながらも肩に手を当ててゆっくりと揉み始める。

 だが、本当に凝っていない。ふにゃふにゃだ。

 

 揉みがいのない肩が相手の時ほどつまらないことはない。

 

 横を見てみれば父も母の肩を揉んでいた。

 母の肩はかなり凝っていたようで、父は色んな指示をされながらなんとか対応していた。


 「お父さん、もうちょい上」


 「はい」

  

 「ごめん、後少し左かも」


 「はい」


 「あ、ちょっと下いって、そこそこ」


 「……はい」


 うわぁ、物凄くゲンナリしている。

 あの顔を振り返って母に見られたりしたら雷が落ちること間違いなしだろう。


 「ミクリィ、手が止まってるわよー」


 「ちっ、お前別に凝ってないだろ?」


 「あら、別にいいじゃない。

 凝ってる凝ってない関係なく、貴女が私の肩を揉んでくれている事実が気持ちいいんだもの」


 なんと捻くれた女だ。

 そんなに俺のことを下に見たいのかこいつ。


 不老不死という大願を叶えるため俺に従うとか言ってたが、だんだんと従わされることの方が増えてきた気がする。


 不老不死の研究結果盗んでどっかに逃げたりしないだろうな?

  

 そんなことを考えていて、

 ふと顔を見ると、マリーネはこちらに呆れたような視線を送っていた。


 「……捻くれた男ね。斜めに捉えすぎなんじゃない?」


 「あぁ? 何がだよ」


 「……自分でしっかり考えなさいな」


 ……やはり女は強い生き物だ。



 「あ、あのー、私のこと忘れてません?」



――――――――――――――――――――――


 

 「……『死の気配』を感じたの?」


 「あぁ、魔族がいることを確認したが、どいつが発したものなのかは分からん」


 俺とマリーネは外に出た後、川にかかった橋の上で話し合っていた。

 他の三人は宿を取りに行っている。

 先程の温泉宿に泊まるつもりのようだ。


 「貴方が感じたのならそれ相応の危機が訪れるってことよ」


 「まぁな。今日は泊まっていくが正直、明日には街に帰りたい。お母様は嫌がるかもだがな」


 「仕方がないわよ。命には変えられないんだし」


 「……その言葉は嫌いだ。

 まるで命に変えられるものが少しはあるみたいな言い方じゃないか」


 「はぁ、めんどくさいわね」


 「……帰りの魔法陣はすでにママイに準備させている。本人は休ませて欲しいと喚いていたが」


 「あの人の心中は察するに余りあるわね……。

 貴方一体、あの人に何をしたの?」


 「……いずれ話すさ。

 お前も彼女のことを知る必要があるしな」


 マリーネが下に流れる川に向かって杉の葉をひらひらと落としていく。


 ふちに落ちていた葉だ。

 その綺麗な緑色は落ちると流れに乗って姿を消していく。


 どこにいったのかは分からない。

 誰も、落とした彼女でさえも分からない。


 「……村は守らなくていいの?」


 「愚問だな。

 それこそ命に変えられる代物じゃない」


 「もし敵が魔族だったら?

 彼らは私と同じ長寿の種族よ。

 細胞を手に入れるチャンスだと思うけど」


 「……」


 魔族は二千年を生きる。

 これはエルフの二百年を軽く凌駕する。


 他の種族との争いが耐えないため平均寿命は五百年ほどであるが。


 確かに研究材料としては喉から手が出るほど欲しい。

 

 エルフの耳だけでも研究は進んでいるのだ。

 彼らの細胞は一攫千金に値する。

 

 だが――

 

 「……いつかは手に入るだろう。

 だが今じゃなくてもいい。

 天秤はそんなものでは傾かん」


 「貴方にしては珍しいわね。

 ……よほど命を賭けるのが怖い敵なのかしら」


 「俺はいつだって怖いさ。

 だが、そうさな……ダミリアンなんて屁でもない恐怖は感じてるよ」


 あの男は強かったが、油断や性格、自分でも勝てそうな実力差が俺を動かした。

 だから研究材料と家族の命程度で天秤は傾いた。

 俺の命を賭けるだけのリターンがあった。


 だが今回はリターンが魔族の細胞しかない。

 敵が魔族かどうかも分からない。

 家族も危険な目に合う前に帰らせればいい。


 負けはしない。

 だが万が一の可能性が本当に怖い。


 「……村なんぞ助けたところで俺には何も返ってこない」


 「そ……臆病ね」


 マリーネが冷めた目で俺を見つめてくる。

 だがそんなこと今更だろう。


 俺が人々を助ける英雄だとでも思っているのか。

 俺が強いのは一重に不老不死のため。

 

 僅かな可能性でも命を落しかねないのなら、

 この村を助けることしか価値がないのなら、


 「……俺は絶対助けんぞ」


 そう言って俺は宿へと歩を進めていく。

 話は終わりだ。早く寝て早く帰ろう。

 

 死にたくない。助けることもない。

 村に何が起ころうとも俺には関係がないのだ。


 「……貴方は絶対に動くわよ。

 いや、動かざるおえなくなる」


 「メリットだとかリターンだとか、

 そんなことではないもっと単純な、

 シンプルな理由で動くことになるでしょうね」


 「……」


 マリーネの言葉を無視して、俺は橋の上から去った。



――――――――――――――――――――――


 

 出産の喜び。

  

 これを体験することが人間にどのような幸福をもたらすだろうか。

 

 ――生命の誕生。


 ――達成感。


 ――奇跡の顕現。


 あらゆる神秘の上で成り立つ。

 極めて道徳的で、極めて哲学的な瞬間。


 それが出産。


 始まりと終わりを知らせる時計。


 苦しみがあるだろう。

 痛くて孤独で、肌を、顔を、

 全てを掻きむしりたくなるような自分がいるだろう。


 女性しか耐えられぬと呼ばれる、膣を穿つ大激痛。

 その痛みの先にある幸せを手に入れるため、今日もこの星では多くの女性が出産に臨んでいる。


 へその緒を切る瞬間に立ち会うために、奇跡を呼び起こさんと懸命に苦しむ。


 「あ、ァァァァァア、ぁあぁああ!!」


 そしてここにも一人、

 自らの愛し子の誕生を願い、苦痛にもがく女性がいた。


 「あ、あァァァァァアァァァァァア!!」

 

 額には汗、握るは布地、声が響くは名もなき天井。


 医者は不思議なことにいない。

 この暗闇の中、一人だけで出産に臨んでいる。


 金が足りなかったのだろうか?

 それとも山里離れた場所で始まったのか?


 どちらにせよ蛮勇。

 仕方がないにせよ蛮勇。


 『人』という字は、誰かに支えられているから『人』と書くそうだ。


 ならばその『人』の誕生の瞬間こそ、誰かに頼らなければならないだろう。

 

 「ぐぉおおおぁぁあ!! あぁぁぁ!!

 あぁぁぁぁぁぁァァァァァア!!」


 だが止まらない。

 この女性は止まらない。


 顔を醜いものに歪ませようと、

 獣のような声で叫ぼうと、

 鼻水をドロドロと垂れ流そうと、


 この女性は絶対に止まらないのだ。


 『母親』としての覚悟。


 それが彼女を突き動かしているのかもしれない。


 「ぐぅおお!! んぉおぁお!!

 あぁぁぁぁぁぁぁおおおおおおお!?」


 ――頭が見えてきた。


 どうやら逆子ではないようだ。

 

 地面には羊水によって水溜りができている。

 あと少しながらも、まだ長い。


 「あぁぁあ!! あぁぁぁあ!!

 あ゛ぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあああ!!」


 ――女は覚悟を決め、全身全霊の力で踏ん張り続ける。


 少しずつ赤ん坊が姿を表す。

 

 顔、首、右脚、胸、左脚、鳩尾、腹――


 そして、その姿を全て曝け出して――


 「あぁぁぁあああ!! あぁ!! あぁ!!

 ……はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


 「オギャア!! オギャア!! オギャアア!!」


 ――元気に泣き喚く、一人の男の子が誕生した。


 「はぁ、はぁ、よかったわ、はぁ、はぁ、

 生まれたのね……ふふっ」


 女は震える身体をなんとか動かして赤ん坊を暖かく抱きしめる。


 ――蜘蛛の姿をした赤ん坊を。


 《カサカサカサカサカサカサッ!》


 「ふふっ! こぉら!! 暴れないの!」


 「オギャア!! オギャア!!」


 人面蜘蛛の赤ん坊が母の腕の中でカサカサと動き回る。


 八本の濡れた脚がネチョネチョと必死になって暴れる。


 「……こぉら……暴れないのぉ……」


 「オギャア!! おぎゃァァァァァア!!」


 母が赤ん坊の頭を撫でる。

 少し毛が生えた頭は羊水で濡れ、汗をかく禿頭のようだ。


 撫でる撫でる撫でる撫でて――


 「おギャァあ!! オギァア!!」


 「――だからぁ……!!!」


 《ブチブチブチブチブチッッッッ!!》


 ――赤ん坊の頭が引きちぎられた。


 「ア゛ギァァァァァアァァァァァア!!」


 「暴れんなって言ってるでしょうがぁあ!!? 

 この愚息がぁぁああああ!!!」


 引きちぎられた赤ん坊は首からボタボダと鮮血を垂れ流し、人生最後の産声をあげる。

 

 目の焦点はすでに合っていない。

 両目ともあらぬ方向を向いてしまっていた。


 蜘蛛の身体はその生命力を持て余し、ガサガサバタバタと脚を動かし狂い悶えている。


 「はぁ……はぁ……ふふ、あんたなんて息子じゃないわ……!! あんたなんて……!」


 物言わぬ死骸を見つめながら、女は侮蔑を募らせ唾を吐きつけた。


 ――女は美貌を持っていた。


 引き締まった腰に、大きく育った胸や尻。


 脚は長くスラリと伸び、背丈も高くあらゆる男を虜にするような美貌。


 白い肌は雪のようで、汗ばみ肌にひっつくブロンズヘアーはどこか色っぽさを感じる。


 理想像を具現化したような女だ。

 誰もかも射止める、そんな女。


 ――腹から飛び出した太く長いへその緒がなければの話だが。


 その臍の緒はまるで蛇のように蠢き、

 先端からは何かを欲するように、

 粘ついた液体が垂れ下がっている。


 「そうよ……子供ってのは何人でも作れるのだから……いくらでもいくらでも……私達の大義のために」


 そう言って女は――


 「ぐぁぁぁぁあ……!! ああァァァァァア!!」


 ――本日十五度目の出産を開始した。

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