第12話 『食人鬼』

 ズリッ……ズリッ……ズリッ……


 「ん……?」


 何か金属を擦るような音で目が覚める。


 鼻につく錆の匂い。

 いやでも意識は浮上する。


 少しだけ起き上がる。


 硬い場所で横になっていたようだ。

 身体の節々が痛い。

 頭の靄も中々晴れない。

 

 ズリッ……ズリッ……ズリッ……


 「こ、こはど……ッ!!」


 雷撃。


 そう感じてしまうほどの激痛が頭の中を走り抜いた。


 触ってみれば大きなたん瘤ができている。

 ジンジンジンジン、ガンガンガンガンと、頭から不協和音がなり続ける。


 ズリッ……ズリッ……ズリッ……


 「……な、んで、こんなことに、なったんだっけ」


 寝る直前の記憶を辿っていく。

 マリーネちゃんが行方不明になって。

 弟と喧嘩して。

 探しに行って、襲われて。

 ダミリアンさんに助けてもら……。


 「ダ、ミリアン……?」


 そうだ。

 私は寝ていたんじゃない。

 気絶させられていたのだ。


 あの後家に行って、そして――


 「彼に、襲われた……?」


 ドクン、ドクン。


 「そうだ……はぁ……! 襲われて、魔法が効かなくて、そのまま……はぁ……はぁ……!」


 ドクン、ドクン、ドクン。


 「はぁ! はぁ! はぁ! はぁ!」


 現実が受け入れられない。

 ダミリアンさんが犯人?

 あんなに必死に探してくれたのに?

 私は閉じ込められて、それで?

 今からどうなる?

 何が起きる?

 

 ――私は、どうなる?


 ズリッ! ズリッ! ズリッ!


 「はぁ! はぁ! はぁ! はぁ! はぁ――」




 「――ミシェルちゃん?」




 「……え」




 誰かが私を読んだ。

 あぁ、聞き慣れた声がする。

 ずっと聞きたかった声がする。

 探して探して、見つからなかった、安心の声。


 ゆっくりと首を横に向ける。


 「……マリーネ、ちゃん」


 ――私の横に、マリーネちゃんがいた。


 綺麗な青髪に尖った耳、魅入ってしまいそうな白い肌。凛と響く綺麗な声。


 間違いないマリーネちゃんだ。


 「よかった……目が覚めたのね」


 「マリーネちゃん……! マリーネちゃんマリーネちゃんマリーネちゃん!!」


 身体を見やる。


 たった一日しか経っていないないにも関わらず、少しだけ痩せてしまっているように見える。

 顔色もいつもより少し悪い。


 だけど、少し汚れているが服も綺麗なままであるし、身体に足りない箇所があるわけでもない。


 彼女は生きているのだ。


 安堵と喜びに、もう諦めかけていた再会に、涙が目から滲み出てくる。


 心は震え、

 喉も震え、

 心臓は鳴って鳴って鳴り止まない。


 あぁ駄目だ、止まらない。

 滝みたいに流れ続けてしまう。

 こんな感情、人生で経験しえないだろう。


 一日会えなかっただけなのに、何年も顔を見ていなかったような気持ちになる。


 今すぐ抱きしめたい、いっぱい話したい、また一緒に遊びたい。


 私はマリーネちゃんに近づこうと――

 

 《ガシャ!!》


 「……ッ!!」


 突然、不動の根が私を襲う。

 絶対にこれ以上動けない確かな感覚。


 自分の手元を見やる。


 「鎖……!!」


 自分の手首を締めていたのは、両腕と壁を繋ぐ鎖であった。

 肉を吊るしたりするのに使うのだろう、人間の少女一人に使うには、それはあまりに大きすぎた。


 ズリッ! ズリッ! ズリッ!


 「くっそ、なんなのよこれ……! マリーネちゃんのところへ、行けないじゃない……!!」


 「ミシェルちゃん! 落ち着いて! 周りを見て!」


 「え……?」


 起きた後、混乱していたから周りが見えていなかった。


 状況を把握しなくては。

 まずここがどの部屋なのか考え――


 「――な、によ。これ」


 ――凄惨。この世のものとは思えない光景だ。


 天井からは沢山の肉が吊るされ、全身を縛り付けるように鎖を巻かれている。

 だが、それがただの肉だったらよかった。

 私達が毎日、当たり前のように食べている、牛やら蛙、羊ならよかった。


 ――それは人間の子供であった。


 十二、いや十五はいるだろうか。

 それぞれが腕や脚、耳をちぎられ、目を潰された子もいる。


 皮を剥がされており、肉が剥き出しのその身体からは、もはや人間だった面影は感じられない。


 ゆっくりと殺されたのだろう。

 顔は絶望に染まりきっており、力なく舌が垂れてしまっている。

 舌が抜かれた子供もいるが。


 「うぅ……おぇ……!」


 醜悪な吐き気が私を襲う。

 なんとか堪えるが、それでも気持ち悪いことは変わらない。


 こんなのこの歳で見たくなんてなかった。

 いや、どんな歳でも見たくはないが。


 よく見ると壁には血が飛び散り、シミとなって残っている。

 漂うは腐臭。嗅いだことのないような刺激臭が私の鼻腔を抉る。


 「な、んで、こんな酷い、ことが」


 「……あの人は、英雄の皮を被った、ただの食人鬼だっただけの話よ。悪趣味にもほどがあるけどね」


 マリーネちゃんはそういって奥の台所を見やる。


 ズリッ! ズリッ! ズリッ!

 

 さっきから聞こえていたこの音は、どうやらあの男が何かを研いでいたものだったようだ。


 いまこの状況において、

 二メートルを超える巨体が、繊細な動きで刃物を研いでいる姿は不気味以外の何物でもない。


 ズリッ! ズリッ! ズリッッッ!!!


 ピタッと男の動きが止まる。

 そしてこちらをゆっくりと振り返って――


 「――準備、完りょぉぉう♪」


 口元を釣り上げ、鬼のように笑った。


 「ひっ……」


 彼のこんな表情は見たことがない。

 あぁ、だが、違う場所で見たことがある。


 魔法を知ったときのあいつも、こんな顔をしていた。


 まるでこれからが楽しみで仕方ないような。

 未来の喜びに想いを馳せるような。

 

 私の、嫌いな顔だ。


 「目が覚めたんだな! ちょっと強めに叩いちまってよ! 死んでなくてよかったぜ!!」


 「……どうせ肉の新鮮さがどうのこうのって理由でしょ?」


 マリーネちゃんが彼を睨みつけながら今の発言に突っかかる。

 この一日で彼に対する信頼は地に落ちたようだ。


 「あぁそうだな! それもある! だが一番の理由はそれじゃない」


 ダミリアンはそのまま近くに吊るされた女の子の顔に触った。


 「……俺はよぉ、肉が好きだ。

 美味いし元気になる。この世界で一番好きだ。

 だから俺は極めた。真の肉を、究極の肉を。

 だが……」


 グググッ!っと顔を握った手に力が入る。

 

 その鬼のような圧力に、

 少女の小さな顔が耐えきれるわけがない。

 

 ダミリアンはそんなこと気にすることもなく、

 ただ悔しそうに、過去を思い返している。


 「駄目なんだよ、鶏も、豚も、牛も、蛙も。

 犬も猫も馬も虎も兎も龍も魔物も何もかも!」


 《グシャァッ!!》


 ――少女の頭が潰れた。


 ビチャビチャと音を立てて

 赤黒い血が地面へと溢れていく。


 彼の足元はまるでクレバスだ。


 「……だが、俺はふと思ったんだ。

 まだ食べていないものがあったって。

 人間、人間だ。俺は人間を食べてなかった。

 だから……食ったんだ、嫁と娘を」




 「……嘘で、しょ?」




 「俺は感涙したぁ!! まさに天の導!!

 あの感動を言葉にすることなんてできない!!

 特に娘!! 幼かった愛しのターニャ!!

 俺が今までに食べた何よりも……美味かった……!」


 ダミリアンは愛おしそうに、

 頭を潰した少女の身体を撫で回す。

 頬を当てて擦り付ける。

 人形を買ってくれた子供のように。


 「俺はそれから誘拐を始めた。

 みんなの人気者になって、

 誰も俺を疑わないようにした」


 「そっからは簡単だった。幼いからよ。

 髪を特別に切ってやるって……

 二人だけの『秘密』だって言ったら、

 親にも言わずノコノコ一人で家に来るんだ。

 『秘密』って単語にワクワクしてよぉ!!

 お前もそうだったよな!? マリーネ!」


 「……ッ!!」


 マリーネは悔しそうに歯を食いしばって彼を睨みつける。


 あの時の『秘密』はそういうことだったんだ。

 本来なら昼間に家に呼ぶ約束をして、夕方、髪を切ってる最中に殺害。


 だが今日は大雨が降っていた。

 たとえ昼間に約束しても、親の言うことを守って絶対に来ないだろうと彼は思った。


 だから一日前にマリーネちゃんを攫った。

 そしたら街の捜索隊が動く。彼もそれに参加する。

 親友の私はマリーネちゃんを必ず探そうとする。

 タイミングを見計らって捜索隊を解散、私と合流。


 彼が私と会っている所が見られれば犯行がバレる。

 

 だが、捜索中にたまたま会ったのだとしたらなんの違和感もない。


 大雨を逆に利用して、私に泊まるよう促す。

 そしてそのまま誘拐。

 私が行方不明になっても雨に流されたことにできる。

 

 他の子と違って"両親"以外『秘密』にしたのは、

 家に泊まったことを秘密にしろなんて言ったら私が不信感を持つから。


 「最低……最低最低最低……最低よあんた!!」


 「お前も『秘密』でワクワクしてたじゃねぇか。

 死ぬ前に楽しい思いができたんだからいいだろ!

 それに別に言う必要がないのに言ってやったんだ。

 感謝しやがれ! ハハハッ!」


 「……ッ!!」

 

 ――こいつは狂ってる。

 

 性根から腐りきってる。

 子供の純粋な心を利用することになんの罪悪感も感じていない。


 「あぁそうだ。

 今回お前たちを攫ったのには理由があるんだ」


 もう喋るな。気持ち悪い。


 「俺は色んな味変を楽しんでる。

 年齢が低い順に食ったり……」


 やめろ、やめろ。


 「街で最低の地位の肉を食って、

 街で最高の地位の肉を食ったりした」


 もうやめろ。やめて、お願い。

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。


 「あとは、昔食ったやつの弟を食ったりしたな。

 あれは最高だった。

 口に入れるたびにゾクゾクするんだよぉ」


 やめて、やめてやめてやめてやめて。


 「そこで、今回思いついた物、ずばり!

 『姉妹丼』だ! お前達は姉妹じゃねぇが、

 姉妹みてぇに仲がいいもんなぁ?」


 「もう、やめてぇぇぇえええ!!」


 《ガシャンカジャンガシャン!!》


 「ミシェルちゃん!!」 


 身体を引っ張って鎖を引きちぎろうとする。

 だがそんなこと、

 この小さな身体でできるわけがない。

 

 これは抵抗だ。私が今できる最大限の抵抗。


 「死ね!! 死んじゃえ!! 死んじゃえぇえ!」


 「ミシェルちゃん!! 落ち着いて!!」


 「この悪魔ぁ!! 食人鬼ぃい! 死んじゃえ! 死んじゃえ! 死んじゃ――」









 


 「何言ってんだ、食人鬼?

 お前らだって一緒じゃないか」










 「――。 なにを、言って――」


 「うちで売ってた肉。

 あれがただの牛肉やら豚肉だと思うか? 

 俺が提供するのはいつも最高級の選び抜いた肉なんだぜ?」


 ――まさか、そんなわけない。


 そんなことあってはならない。

 そんな現実、絶対に認めない。


 絶対に、絶対に、絶対――


 「――全部、俺が攫った子供の肉だよ。

 みんなと共有したかったんだ。あの味を。

 実際どうだったよ?

 街のみんな美味しい美味しいって食べてたろ?」



 「――お前らだって、美味しかったろ?」



 ――そんな、じゃあ、私達……は……。


 「い、いや、いや……う、ううぇ……ガ、おぅえ!」


 マリーネちゃんの顔は真っ青だ。

 言葉にできないほどに。


 なんどもえずいて吐いてしまっている。

 何も食べていなかったからか、出てくるのは少しの胃液だけ。


 そして――私も――


 「あ……ぁあ……おぅ、オゥウェエ!! オウェエエ!!」


 私も食べてきた。今まで。

 四年前の誕生日に食卓に並んだ。

 あのお肉、あの子達のお肉。


 さっきも飲んだ。

 肉のスープ。

 

 

 だめだ。もう……無理だ。


 「おぉぅ……!! おぅえぇえ!!」


 朝ごはんもスープもしっかり口に入れた私の胃からは、大量の吐瀉物が吐き出される。


 吐きたい。吐きたい。吐いてしまいたい。


 意を取り出して水で洗いたい。


 胸が痛い。理解できない罪悪感。


 頭もずっと痛い。もっと痛くしたい。


 もう、もう――


 「――もう、し、にたい」


 《バタッ!!》



 ――私の意識は、そこで完全に途絶えた。

 


――――――――――――――――――――――



 《バタッ!!》


 「……ッ!! ミシェル、ちゃん……!!」


 ミシェルちゃんの身体が地面へと突然投げ出される。


 ショックに耐えきれなかったのだろう。


 信頼していた人の正体。

 絶望的な未来。

 食人鬼だった自分。


 こんなもの、耐えきれる方がおかしい。


 ――私の、せいだ。


 私がまんまと騙されなかったらこんなことにはならなかった。


 彼女を危険な目に合わせることもなかったんだ。


 私が童心のおもむくままに、彼に着いていったから。


 「ん? お前は平気なんだな。マリーネ」


 目の前の男が何食わぬ顔で聞いてくる。

 今すぐこの男を殺してやりたい。

 腹のワタを裂いて魔物に喰わせてやりたい。


 「……平気、じゃないわよ。

 でも私はハーフエルフだから、他の子より精神の成長が早いから……」


 「そうかそうか! お前エルフだもんな!

 いやぁ!! エルフの子供は食べるの初めてなんだよ!! 楽しみだなぁ、きっと美味いだろうなぁ!」


 ダミリアンはそういいながら、近くにおいてあった肉切り包丁を手に取った。


 (……もう、お手上げね)


 死を受け入れる。

 どうせならあまり痛くはして欲しくないが、それは恐らく無理な相談であろう。


 ダミリアンが包丁を腰にかけ、

 両手をバチンと合わせた。


 「それじゃ、いただきます」


 再び包丁が抜かれる。

 

 その巨体のさらに上、

 頭の先に包丁が振りかぶられる。


 「――じゃあな!」


 ――彼は最期に、ニコッと笑った。


 「……ふん!!」


 「――ッ!!」









 《ダンダンッ!!》








 「……あぁ?」


 ――包丁が降ってこない。

 閉じていた目を開ける。


 ダミリアンは音がした入り口の方を見ている。

 どうやら客人が来たようだ。


 天使様が救いにでもきたのだろうか。

 救いでなくとも少しだけ延命できたのだ。

 感謝するべきだろう。


 「チッ……! 食事中だってのに……マリーネ! ちょっと待ってろ!!」


 そう言うと彼は

 肉切り包丁を置いて入り口へと歩いて行く。

 

 扉の前で、立ち止まった。

 見ればいつも私達に向けていた笑顔に変わっている。


 「……このペテン師」


 そうして彼は扉の奥へと消えていった。


 「……!! ……? …………」


 「……。…………」


 何やら話しているのが聞こえる。


 少し幼い声だ。

 こんな時間に肉でも買いに来たのだろうか。

 

 おそらく三人も誘拐したりはしないと思うが、名も知らぬ子供の心配をついしてしまう。


 《ザァァァァァァァア……》


 「……雨はやんでないのね」


 どうせなら晴れの日に死にたかった。

 暗い雨なんかよりも、

 楽しくなる晴れの方が断然好きだったからだ。


 「でもまぁ、外に出れないんだから雨も晴れも同じよね……」


 あとは死ぬだけ。

 すごく怖いけど、ミシェルちゃんが一緒ならきっと大丈夫。


 こんなこと思っちゃだめなんだろうけど。


 「……バイバイ、ミシェルちゃん」


 そうして私は目を閉じて――


 《ドゴォォォォオオ!》


 その時、

 全身を震わす衝撃と共に

 入り口の壁が、粉々に爆ぜた――!


 「……え」


 「……ッ!! このガキィイ!!」


 吹き飛ばされたのはダミリアンだったようだ。

 見れば彼の顔面からは血が滲み出ている。


 辺りは衝撃でめちゃくちゃ。

 天井の木材も割れかけている。


 なぜこんなことが起きた?

 救助? 私達の存在に気づいてくれた?


 「い、一体誰が――」


 「――悪趣味な部屋だ。もうちょい衛生面に気を遣った方がいいんじゃないか?」


 ――突き抜けた壁から出てきたのは一人の少年。


 黒いマントを羽織り、

 青の瞳を持つ。

 黒く、金色が混ざった髪。

 そして、耳に掛かったイヤリング。


 「あ、なたは――」


 《ガラガラガラッ!!》


 彼の上の天井が崩れる。

 あらゆる木材、

 死体が彼を避けるように落ちていく。


 《ザァァァァァァァア!!》

 

 空が顔を覗き、大量の雨が彼の身体を濡らした。


 私はこんな状況だったからか、おかしくなっていたのだろう。

 

 その姿を見て、考えてしまった。


 あぁ、なんて――


 「なぁ、ダミリアン。

 今日こそ、罪が決壊するときだ。」


 ――美しいのだろう、と。

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