第8話 『狂人の天秤』

 窓から差す微かな朝日で目が覚める。

 この光は俺を穏やかに起こしてくれるのだ。


 「今日も素晴らしい朝だよほんと。前世ではこんな気持ちのいい朝は味わえなかったしな」


 毎朝何かに追われていた日々は、思い出すだけで俺の心に陰を差してくる。


 異世界は時間にルーズだ。自分がやりたいように生きることができる。まぁ俺が恵まれているのもあるだろうけど。


 「着替えるか……」


 ベッドから起き上がり、二日前のパーティに想いを馳せながら服を通していく。


 シャツ、ズボン、上着、靴下。


 生前からの俺の順番だ。

 シャツの次になぜ上着を着ないのかと昔はよく言われたが、身についた習慣なので仕方ない。


 「よし、貴族モード完了」


 二階の自室から出て、階段へと向かう。

 突き当たりにある部屋なので、階段まで結構かかるのが個人的には面倒である。


 「さぁ、今日はそろそろ新しい魔法でも覚えようかな」


 トコトコ降りながらそんなことを口に出してみる。


 魔法使いは自分が得意とする魔法を極めるので、あまり使える数を増やしたりはしないらしい。


 だいたい四十種類ぐらい覚えれば大丈夫なようだ。

 俺はまだ一二種類ぐらいだけど。


 やっぱり才能がないのだろう。

 ここまでやってもこれなんだしな。


 「しかし、妙だな。いつもなら使用人が慌ただしく動いているんだが……」


 廊下はシーンと静まり返っており、たくさんいる使用人達も見つからない。


 リビングの部屋の前までくる。

 

 (リビングにもいない……? いや、二人、三人いるな……)


 ドアノブを持ち、ゆっくりと開く。

 中にはいつも通り机が置かれ、そしていつも通り母とミシェル、そしてママイがいた。


 (なんだ、いつもと変わりないじゃないか)


 「おはよう。ところで使用人の皆んなが見当たらないけどどこに――」


 そこで俺は気づいた。三人の様子がおかしいことに。


 母とママイは顔を曇らせて、不安そうにこちらを見ている。


 そしてミシェルはというと――


 「う、うぅ……! ぐすっ……! あぁぁ……!」


 ――机に顔をうずめて苦しげに泣いていた。

 

 その嗚咽する姿は、普段のミシェルからは想像もできないほど弱弱しい。


 俺は何か異常事態があったのだと嫌でも悟る。


 「……ねぇ、何があったの」


 俺はその場にいた三人へと問いかける。

 ミシェルがゆっくりと顔を上げた。


 その顔は酷いものであった。

 目は泣き腫らし、鼻水でぐちゃぐちゃ。

 形のいい眉毛は八の字に垂れ下がっていた。


 姉は震える喉をなんとか動かして、ただ率直に、いまの状況を口に出した。


 「ずずっ……! マリーネ゛ちゃんが……マリーネちゃんが!」


 ――嫌な予感がするなぁ。


 「マリーネち゛ゃんが……消えちゃっだ……!」


 広い屋敷に、受け入れ難い現実が悠然と響き渡った。



――――――――――――――――――――――

 


 「児童誘拐事件……?」


 「えぇ、そうよ」


 ミシェルはあの後涙が止まらず、碌に喋れた状態ではなかったため、母に詳しく事情を聞くことにした。


 朝ご飯を出してもらったが、やはり母の作る飯はうまい。心置きなく話を聞けるというものだ。


 「十年前から始まったこの街最悪の未解決事件。一年間で一人か二人の子供が攫われる。今まで攫われた子たちの人数は十七人」


 「……犯人の手がかりは見つかってないの?」


 「……いいえまったく。不甲斐ないけどね。攫われた子供の身体が見つかったのはたった一人だけ。何も残らないから一切の証拠がないの」


 よもやそんな事件がこの街で起きていたとは。

 しかも内容は悪趣味ときた。


 「……なんでマリーネちゃんが攫われたって思ったの?」


 「やり方が今までと同じだからよ。前日と夕方に街を離れて、翌日には忽然と姿を消す。今までの子達も全員そうだった。例外なく……」


 母の顔が苦しみに歪む。

 きっとあのエルフも見つからないのだと考えてしまったのだろう。

 俺は八年間まったく彼女を知らなかったが二人は仲がよかったはずだ。

 

 心中は――


 「違うもん……! 攫われてないもん! 見つからないだけなの……!!」


 「ミシェル……」


 「絶対に……絶対にいるもん! いつもみたいに私と笑ってくれて……そして……!」


――察するに余りある。


 「……他の皆んなはミシェルを探しにいったってこと?」


 「えぇ、お父様と使用人、そして執事さんも捜索に向かったわ。街の皆んなも」


 母はミシェルの隣にいって、抱きしめながら話を続ける。


 「町会で決まったのよ。もしもまた誘拐事件が起きたら皆んなで協力しましょうって……」


 「町会?」


 「街の皆んなで話し合う場所みたいなものよ。ダミリアンさんが会長で、朝から皆んなが探しに行ってくれてる」


 ……こいつはまた。


 「エル……マリーネちゃんの家族は?」


 「あの子に家族はいないわ。街の修道院で暮らしていたの。幼い頃に貴方がいつも行く森に捨てられててね……ミシェルとよく遊んでくれた。私達も家族のように思っていたのよ」


 なるほど。だから悲しみが強いのか、家族同然に扱っていたから。俺は会わせてもらえなかったんだけどなぁ。


 まぁ、今やることは分かった。

 確信が欲しいな。確信が。


 俺は朝ごはんを食べ終わり、食器を台所まで持っていく。そのまま歯磨きに直行だ。


 「……? どこに行くつもりなの?」


 「どごっで……じゅぎょうだお」


 母はどうやら聞き取れなかったらしい。いったん口に水を含んで……。


 「ぺッ……修行に行くんだよ修行」


 「……あなた、今の話聞いてた?」


 母の目から、今まで向けられたことのない怒りを感じる。ここまで怒ったところは見たことがないかも。


 ミシェルも信じられないような目でこちらを見ている。


 「マリーネちゃんが行方不明なのよ? 皆んなも必死に探してる。なのにあなたはいつも通り修行? そんなの身勝手すぎると私は思うわ」


 「身勝手も何も、僕からしたら赤の他人だよ? 探すような義理もない」


 「……じゃああなたの耳についているそのイヤリングは誰から貰ったものなのかしら……?」


 「それはそれ、これはこれだよお母様。確かに貰ったのは嬉しかったよ。でも僕は鍛錬の時間を他人のためなんかに使いたくない」


 ――瞬間、母の手のひらが俺の頬を撃った。


 「……何さ」


 「私は、あなたをそんな子に育てた覚えはないわ!! あなたはもっと人の心が分かる子だと……!」


 「分かると共感するは全然違うよ。人の気持ちに寄り添うなんて僕にはできない」


 「だったら寄り添えるようにならないとダメでしょ!? 寄り添いたいのに人の心が分からない人だって――」


 「おいママイ」


 「はい、ミンクレス様」


 《ガバッ!!》


 おれがそう言うと、ずっと後ろで顔を伏せていたママイが母を捕まえた。


 脇に下から腕を通して、絶対に動けないようにしている。どの世界でもこのやり方は変わらないようだ。


 「お母様!!」


 「なっ!? ママイ!?」


 「すみません奥様。これもの命令ですので」


 ママイの顔は悲しみや苦しみでとても見ていられないような顔になっていた。


 「あなたの主人は私よ!? ミクリィじゃない!!」


 「いいや、ママイの主人はもう僕だよ。すでに契約も完了させた。あ、お母様の許可とかは知らないよ? あくまでそっちは名義上、こっちは魔法でしっかりさ」


 そう言って俺は二人のところにいき、ママイの首元を見せた。


 「ッ……!? その紋様は、『隷属の証』!? ママイあなた……!?」


 「すみませんすみません……! こうするしか……こうするしかなかったんです……!」


 「隷属魔法『コンスタンティヌスの鎖』、開発には結構時間かかったけど、まぁ中々の精度かな?」


 そう、これは俺が開発した魔法だ。光属性の派生。


 「本来一方的な隷属魔法は、隷属状態が続く限り魔力を供給しなくてはならない」


 「しかしこいつは違う。互いの了承のもと隷属状態を結ぶ。魔力は半々になるし、供給する魔力も低い」


 おっと、普段表情を見せないお母様が驚愕一色だ。

 なかなかいいものが見れた。


 「だがら安心してお母様。ことが済んだら彼女との契約はすぐに切るよ。ね? ママイ」


 母は抵抗する気力をなくして、力なくママイに身を任せた。

 

 「……あなたは凄いわミクリィ。まだ幼いのに魔法を開発して、そんな難しい言葉も使えて。あなたは天才……いや、努力の天才よ」


 「……ありがとうお母様」


 「でもその心の闇はいけない。それはいつかあなた自身も傷つけるわよ……」


 ……やはりどの世界の母も同じのようだ。


 前世の母にも同じことを言われた。

 心の闇だと? 勘弁してくれ。


 これは――


 「これは清廉たる夢そのものだよ」


 「……帰ったら生涯経験しないほどの説教をしてあげるわ、覚悟なさい」


 俺はその言葉に返事をすることなく玄関へと向かう。

 さて、まずは確認しにいかないとな――


 「――ッ!! あぁぁぁあああ!!」


 「ん?」


 声がした方を振り返ってみると、なんとミシェルが手をこちらにかざして――


 「――ッ!! ミシェル!! それはダメェェエ!!」


 「『真なる霊体、雷雲の神子、我が命を受け入れ叛逆者を貫け』!! 『サンダルフォン』!!」


 「……!! おいおい」


 今の詠唱、間違いない。

 これは雷属性の上級魔法だ。


 《ズザァァァァァァァア!!》


 鋭い雷光が放たれて、俺の身体を貫かんと迫ってくる。


 目にも止まらぬ速度。

 大人の魔法使いでもこのレベルは難しいだろう。


 俺は落ち着いて対処する。

 身体強化魔法をかけて、右手を上に振り上げ――


 「……ふっ!!」


 《バチバチバチバチバチィィイッ!!》


 ――雷光を足元に叩き落とす。


 「う、そでしょ……?」


 母が唖然としている。

 今起こったことが理解できないのだろう。


 「ッ!! うわぁぁぁあ!!」


 魔法を撃ち落とされた姉はこちらに向かって突っ込んでくる。

 拳を右に構え、視線は俺の顔。


 体勢も考えると俺の左頬を狙っているのは確実。


 俺は皮膚が剥がれた右手を動かす。


 「この馬鹿ァァァァァア!!」


 姉が拳を打ち込んでくる。


 俺はそれを仰け反るようにして避けて、右手で腕を掴んで――

 

 「え――」


 「今までのお返しだよ」


 ソファに勢いよく叩きつける――!


 《メキメキメキィ……!!》


 「ガハッッッ……!!」


 ソファから鈍い音がするが壊れることはない。

 そうなるぐらいまで力は入れてないからな。


 「ハァ……ハァ……ハァ……」


 姉は上級魔法を使ったのもあってか息が絶え絶えだ。


 俺は自分の右手を見る。


 手の甲の皮は完全に剥がれ、生々しい傷が顔を覗かせていた。


 「ほんと、びっくりだよ。完全詠唱な上、自らの属性かつ殺傷能力ナンバーワンの雷魔法を撃ってくるなんて」


 「ハァ……あんたなら……ハァ……しんだりなんてしないでしょ……!」


 俺を信頼した上でってことか? だとしても上級の雷魔法は勘弁してほしい。

 何度も言うが傷から細菌が入ったら膿んで感染症になるかもしれないんだか――


 「ねぇ、ハァ、なんで助けてくれないのよ……!?」


 「ん?」


 「そんだけ力があるんだったら! 天才なら! 助けてよ!! マリーネちゃんを助けてよぉ!!」


 「そんなの場所が分からないから無理――」


 「嘘!! 嘘よ!! あなたは分かってる!! 確信はしてないけど分かってる!! 私には分かるの!! 私はお姉ちゃんだから!!」


 (こんなところで姉貴面か、都合のいい)


 ミシェルの目は涙を止めることをしらず、地面に落ちていくそれは、彼女の絶望を表してるみたいだ。


 「……仮に分かっていても、僕にはどうすることもできない。僕の命が危うくなるかもしれない」


 「でも!! 力のない人達よりもたくさん動ける!! 私みたいに無力じゃない!! 私と違ってあんたは……天才なんだから……!」


 「だったら助けてよ!! マリーネちゃんを、街のみんなを、私を……助けてよ……!!」


 「……姉さんだって天才じゃないか。僕と違って。それにマリーネちゃんを探すことには僕の時間を賭けるだけのメリットを感じない」


 「……ッ!!」


 姉の目つきが変わる。

 これを言えばこうなるとは分かっていたけど。


 「あんたはいつもそう……! 自分以外なんてどうでもいい! そのくだらない夢の以外どうでもいいと思ってる!!」


 「そんなことはない。皆んなのことは好きだし大事にしたいと思ってる」


 「えぇそうね! それは本当でしょう、認めるわ!! でもあんたは普通じゃない!! 自分の夢か家族を選ぶとき、あなたは絶対に自分の夢を優先する!!」


 「……」


 「例え十分、二十分の勉強時間でも! 必ず自分の夢を優先する! 心の底から大切な家族を犠牲にできる!! あんたは正真正銘の『狂人』よ!!」


 「家族に時間を割いているのは不老不死になっても幸せじゃないと意味がないとか思ってるからなんじゃない!?」


 「ミシェル!! やめなさい!!」


 母がミシェルを呼び止める。

 しかしここまで俺を理解しているとは。

 だいたい正解だ。


 もしも俺の夢が途絶えそうなとき。

 不老不死になることが妨げられたとき。

 俺は迷いなく夢以外全てを犠牲にできるだろう。


 「……凄いよ、姉さん。僕のこと好きすぎなんじゃない?」


 「あんたが好き……? 馬鹿言わないで。嫌い。嫌いよ、大嫌い……! 私よりも強くて、才能があって……! 嫌い、嫌い、大嫌い!! あんたのことが怖いし、憎い!! 私はあんたのことが――」


 ……。

  

「心の底から理解できない……!!」


 俺のことを睨みつける姉。

 今にも泣き出しそうな母。

 やめて欲しそうに見つめる使用人。


 別にこんな事態にしたかったわけじゃないんだけどな。


 俺はミシェルには答えず、今度こそ本当に玄関へと向かう。


 「姉さん」

 

 「……」


 「姉さんの言ったことは大体正解だよ。でも一つだけ間違いがある」


 「……?」


 リビングの扉を開ける。

 先程の朝日は雲に覆われ、廊下は完全な闇になっていた。


 「僕は自分の夢だけを優先するわけじゃない。必ず僕は二つの優先事項を|」


 「……」


 「僕の命を、夢を、賭けられるメリットを重りにね。メリットがそれを上回った場合、迷わず僕は自分の夢を差し出す」


 闇の中へと歩を進める。


 「今から天秤にかける重りを見てくる。本当に命を賭けるに足るか、判断するためにね」


 「修行するのは、その後だよ」


 扉が閉まる。


 まるで俺と家族を分断するように。


 だがやることはもう決まっている。


 「……雨が降りそうだな」


 暗い廊下を歩く中、俺は一人呟いた。

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