第29話 『世界のバグ』

 少女の身体に血潮が走る。

 異物の肉体から噴き出した真っ赤な血潮。

 べっとりと粘着性を帯びたそれは、可愛らしい服をグロテスクに塗り返す。


 人蟲の斬られた肉体が狭い廊下に横たわる。


 「ぐ、そくく、うぅぅぅ.......」


 死骸へと変貌したソレの目はただただ虚空を見つめている。


 部屋にいた者達のほとんどがその存在に気づけていなかったのだろう。

 俺と父以外の全員がその様子を呆然と眺めていることしかできなった。


 「.......」


 沈黙。

 ただ血が流れる音以外、一切が消え去った沈黙。


 息苦しく、耐え難い。


 そんな沈黙を破ったのは――


 「い、いやぁぁぁぁぁあぁぁあ!!!」


 血に濡れたその少女の絶叫であった。


 「え……!? な、なに!? あ、貴方!!

 貴方!!」


 「あわわ、お、奥様!!

 落ち着いて!! 落ち着いてください!!」

 

 「え、エフタ!! 大丈夫!! 

 お父さんがついてるから大丈夫だ!!」


 時間が動き出したかのようにその場に動揺が広がった。


 廊下の奥を見やる。

 階段の方からゾロゾロと大量の蟲が湧いて出ていた。


 「まったく、ここはいつ蟻塚になったん、だっ!!」


 《ドゴンッッッッ!!》


 父が床を踏み込み、蟲の大群の元へと駆け出した。

 巨大な大剣が抜かれる。

 

 そのまま枝を降るように軽々しく振り回し、遅いくる蟲達の蹂躙を始めた。


 俺は右下を見る。


 「…………」


 このポカンと口を開けて唖然としているのが、

 先ほど俺に拳を振り上げたマリーネくんだ。


 頭が追いついていないのだろう。

 その場に座り込んで一向に動く気配がない。

 もうその腕にエフタはいないというのに、抱きしめるような体勢のまま固まっている。


 「おい、マリーネ」


 ビクッと身体が反応する。


 「あんな近くにいて蟲に反応できないとは、

 ちょっと気が抜けてるんじゃないか?」


 身体がブルブルと震え出す。

 こいつはいつもそうだ、お姉さんぶる癖にこういう時に使い物にならない。


 あんなに偉そうに啖呵を切ったやつが。


 「……拳で俺の頭を冷まさせてくれたことは感謝する。だがな――」


 マリーネの顔を鷲掴みにして、俺の顔に近づける。


 改めて分からせてやらなくてはならない。

 確かにこいつには俺と同等の立場を認めている。

 優秀なところは優秀だ。


 だが、忘れるな――


 「――ちと、生意気がすぎるんじゃないか?」


 「……!!」


 ――あくまでこれは主従関係のもとに成り立っているということを。


 目を睨みつける。

 こいつはあの事件に軽いトラウマを持っている。

 身体が動かないのもそのためだろう。

 だったら。


 「分かったなら早く動け。マリーネ。

 もう助けるしかないんだろ? マリーネ。

 お前が助けなくてどうする、マリーネ。

 ――肉が喰いたいか? ……マリーネ」


 「……ッッ!! 性格悪すぎるの、よッッ!!」


 マリーネの顔から手を離す。


 《ビュンッッ!!》


 こんなふうに更にトラウマを抉ってやればいい。

 あれからこいつは肉を食えなくなった。

 だったら食わせると脅してやればこの通り。


 マリーネはその場から姿を完全に消した。

 彼女の魔法を使ったのだろう。

 

 「……ヴェーダさん」


 「……!! は、はい!!」


 「謝罪なら後でしよう。

 今は現状の確認が優先だ。

 あんたはここにいる非戦闘員を守っててくれ」


 「わ、わかった!!」


 ヴェーダに声をかけた後、母の方へと振り返る。


 「母さんは支援魔法に徹してくれ。

 魔法使いは量の勝負には弱い。前線に出ずサポートを」


 「えぇ! 任せて!」


 これで伝えることは伝えた。

 あとはどう上手いこと誤魔化して戦えるかだ。


 魔力探知で館内を探る。


 蟲はいたるところで湧いているようだ。

 だが不審点が一つ。

 

 「……さっきよりも数が多い……?」


 明らかに数が多くなっている。

 まるでこの時のために戦力を温存していたようだ。


 父は街の襲撃は挨拶みたいなものと言った。

 だが、それならば段階を分けて襲撃を行うはずだ。


 この量はもう総力戦だ。


 これ以上の戦いはないといったふうに。

 

 まさかわざと宿に避難させた?

 それから徹底的に攻撃するために?


 館内だけじゃない。

 宿の周り全てを蟲達が覆っている。

 火山のてっぺんに至るまで。


 「一体どこから湧いて出た?

 こんな量、一体どこに隠していたんだ?」


 「お兄ちゃん、大丈夫?」


 ふと、下の方から声がかかる。

 見下げてみるとエフタが俺を見つめている。


 ……相変わらず変なやつだ。


 子供は夢見がちだ。

 だから未来には希望しかないと言いたげな目をしているもの。


 だから俺は子供が嫌いなのだ。


 だがこいつからは不思議と嫌悪感を感じない。

 こんなにも純粋な娘なのにだ。


 そう、こんなにも純粋な――


 「……」


 「……お、お兄ちゃん?」


 「……くくくっ」


 「……??」


 「くくくくくっ!!」


 「ど、どうした――」


 「あーははははははっ!!」


 笑いが止まらない。

 こんなクソみたいな物語があるだろうか。


 面白い、あまりにも面白すぎる。

 この世界は本当に飽きない。


 こういった人種はダミリアンが最後だと思っていたが、全く――

 

 「どこにでもいるものなんだなぁ……」


 「お、お兄ちゃん? こ、怖いよ??」


 見ればエフタは酷く震えている。

 俺はやはり幼子を泣かしてしまうのがさがであるらしい。


 俺はエフタの身体を抱きしめる。

 それはもう、深い深い愛情を込めて。

 力強く抱きしめる。


 「なーに、大丈夫さエフタちゃん」


 「お、お兄ちゃん……痛いよ……」


 「いやいや痛くない、痛くないんだよ……」


 俺はこの娘の耳元に口を近づけ――


 

 「俺がいる限りは万事解決さ。死にたくはないがな」



 ねっとりと刷り込むように囁いた。


 「……うん、分かった。

 お兄ちゃんを信じるね」


 エフタの顔にはすでに怯えは見られない。

 心底安心した顔だ。

 

 もう大丈夫なのだと。

 助かるのだと。


 子供が向ける純粋な笑顔だ。


 「みんな――」


 そして俺は再び部屋の中へ振り返り――


 「この子を……


 エフタを守ってくれと、笑ってお願いした。

 

 エフタの安全。

 これが現在において最も重要なポイントだ。

 エフタを危険に晒してはならない。


 かと言って


 いい具合の調整が必要だ。

 俺が安全に犯人を捕まえられるように。


 「『鳴かぬなら、鳴くまで待とう時鳥ほととぎす』、だ」

 

 そのまま廊下を駆け出していく。

 曲がり角が少ないので、ただ直線を走るだけ。

 

 まずは大広間だ、あそこは避難してきた人々のほとんどが集まっている。


 そんな場所に大量の蟲が流れ込んだらどうなるか。


 喰われる喰われない以前に、おそらく蟲の体重、あるいは人間同士の重さで押し潰されるだろう。


 そしてそれは今怒っている可能性が高い。


 マリーネと父が先行しているが、捌き切ったとは思えない。


 「命の危機までは戦ってやろう。

 感謝しろよ? 温泉村ネロよ」


 大広間が見えた。

 絶叫、絶叫だ。


 混乱の中、数々の絶叫が耳をつんざく。

 どうやら相当な被害が出ていそうである。

 

 先の魔力探知では、宿内にいた数およそ六十。

 

 大広間には四十八。


 おそらくマリーネと父がさらに数を減らしているだろう。


 「さて、残党狩りといこうか」


 そうして俺は――


 《ダンッッッ!!》


 ――その場から大広間の上空へと飛び上がった。


 上から広間全体を見渡す。


 ――凄惨な光景が目の前に広がっている。


 すでに広間の地面は血の池に満たされ、あらゆる所で蟲が食事にありついている。


 壁を見てみれば人を口で咥えたまま張り付いており、ボリボリと激甚な音をたて貪り食っていた。


 地獄という場所の存在は信じていないが、仮に存在するのならこのような光景を言うのだろう。


 老若男女関係ない。


 強者のためのテーブルがそこには存在していた。


 俺は落下していく中、その光景に眉をひそませる。


 「……蟲塚に落ちた気分だ……。

 いや、これこそが蟲塚か」


 「アバァァァァァァァアアア!!」


 声がしたので横を見てみれば、今にも俺を噛み潰さんとする蟲が一匹。

 赤ん坊の口の中には、本来ないはずの歯が並び立ち、奥歯の隙間には誰のものとも知らぬ骨が刺さっていた。


 そして赤ん坊は――


 《ばぎゃぃぃい!!》


 ――俺の頭からつま先まで、余すことなく喰らいついた。


 平べったい人の歯。

 押し潰すため、擦り潰すために作られたその歯は今、同胞たる人間を喰らうために使われている。


 だが、そんな簡単に喰われてやる俺ではない。


 「あぎゃ? あぎゃああ!!」


 「俺を丸呑みしようとしたのが運の尽きだ」


 俺の肉体に咬合力なんぞ通用しない。

 

 上の歯には両手を、下の葉には両足を置いている。

 ここからどうするか、決まっている。


 《グググググ……》


 「あぴ? ぐ、そっぴびぴ??」


 身体を縦に伸ばすように力を入れる。

 こいつの顎が使う力の向きとは逆方向に押し返す。


 《ブチンッ!! ブチブチブチッ!!》


 「あ、お、おぉ、ぉぉぉぉ」


 筋肉の繊維が千切れる音がする。

 顎は限界まで開け開かれ、関節が鈍い音をたて粉砕される。


 そしてそのまま俺は下の歯を思いっきり踏み込み――


 「あばよっ……!!」


 《ボギボキバギブチブチバキ!!》


 「あぎゃゃゃゃあああああ!!」


 ――蟲の顎を閉じる方とは逆方向にへし折った。


 口が開くワニのおもちゃが壊れたときみたいだ。


 口は逆方向に裂け、まるで切り分けられたスイカのような見た目になる。


 舌だけがデロデロと露出、暴れ回り、その大きな身体は床へと落ちていく。

 

 だが下にはまだ生き残っている村人がいる。


 押し潰される、そう思ったのだろう。


 目をぎゅっと瞑り動かなくなってしまった。

 そんなに怖がらなくてもいいのだがな。


 《バゴォォォォオン!!》


 強烈な蹴りが、落下する死骸を粉砕した。


 長く、美しい脚だ。

 腰巻きごしから覗かせるその太ももは見るもの全てを魅了するだろう。


 俺は全くエロスを感じないが。


 「ねぇ!! ちょっとは周りを見て戦ってよ!!」


 その蹴りを放った女、マリーネが俺に突っかかってくる。


 「周りをじっくり見た上での判断だ。

 お前がいたから別に大丈夫かと思ったんだがな」


 俺はマリーネの横に着地し、しっかり目を見て話す。


 横を見てみれば村人の姿はすでにない。

 廊下の方に逃げたのだろう、動き回った方が死ぬと伝えた方がよかっただろうか?


 「あっそ、信頼されてて嬉しいわねー」


 「その通り、信頼している。

 お前ならこいつらを蹴散らせると信じているとも」


 「貴方ねぇえ……!」


 「ぎょぁァァァァァアッッ、ブブェヘ!!」


 横から襲いかかった人蟲の顔面にマリーネの裏拳が炸裂する。


 青い光が閃光のように弾ける。


 ――こいつの拳には魔力が通っている。

 

 そこまではどの魔法使いも同じだ。

 だが、違う点が一つだけ。


 「びびびびびぃいい!! ぐそくくぅう!!」


 見上げれば蝿型の人蟲が廊下に向かって移動している。


 あの奥にはさらに村人が避難しているはず。

 このままでは袋小路になるだろう。


 「マリーネ」


 「分かってるわ、よ!!」


 《ビュンッッ!!》


 またもマリーネの身体が消えた。

 下半身から分解されるように消えたのだ。


 そして――


 「ぷゅぐりひぃぃい!?」


 「しつこいのよ腐った蟲共!!」


 《バシャャヤァァァア!!》


 蝿の頭上に出現したマリーネが蹴りを放った。

 蹴り付けられた肉体は床に叩きつけられ、重力に負けペシャンコになった。


 《ビュンッッ!!》


 再び姿が消える。


 今度は壁の蟲、殴り殺した。

 

 また消えて出現、地面の敵を回し蹴りで粉砕。

 

 姿が消え出現、蟲の顔面をチョップで叩き割る。


 姿を消し、出現、消す、出現、消す、出現……


 「……ここにある死体以外の人間は逃げたみたいだし、俺は用無しだったかな」


 そのままマリーネの蹂躙劇を眺め続ける。


 これが彼女の魔法。

 生まれつき持っていたという『先天的魔法児』。


 『転移魔法』、とはまた種類が違う。


 『完全自己投影魔法』と言うものだそうだ。


 俺の『分身魔術』の上位互換。

 

 魔力ではなく、完全な。

 

 概念として、『マリーネ』という少女として。


 今まで細胞が死んだ数、タイミング、現在肉体で起きている変化、あらゆる面において完全な分身を作れる。


 だがこれがワープとどう関係しているか。

 

 簡単だ。

 彼女は分身を作っていながら分身を作れていない。


 彼女曰く、

 この世界では全く同じ、

 何一つ狂いなく同一の物はのだという。


 そんな世界のルールの中で、同一の存在を作る魔法を使えばどうなるか。


 これは新しい個体へと情報が置き換わり、一つ前の個体は消滅する。


 ようは上書き保存だ。

 彼女が分身を三メートル先に作ると、魔法を使った個体は消滅、分身が本体に書き換えれる。


 このため第三者からすればワープしているように見えるのだ。


 《ビュンッッ!!》


 「あがゃぁあはあばぁあ!!」


 《ビュンッッ!!》


 「ぐそくぅぅぅぅうう!!」


 そしてこの情報の書き換えの際に生み出される絶大な魔力、どの属性にも当てはまらないもの。


 これをマリーネは身体に纏い、相手を殴った瞬間に破裂させているのだ。


 「……あんな威力のパンチを、よく俺に撃ってきたな」


 本気ではなかったろうが、顔面の骨は砕けていただろう。本当に恐ろしい女だ。


 《ビュンッッ!!》


 「……」


 一度、聞いたことがある。


 『その魔法を使えば、前のお前は死んだことになるんじゃないか』と。

  

 だが彼女曰く、

 『移動前も移動後も記憶はしっかりしている。

 何故だか分からないけど、たぶん私は私として存在できている。それだけは確実』らしい。


 要するに情報を書き換えるとか言っておきながら本人は本人でいられというのだ。


 「『世界のバグを利用した魔法』……か」


 世界を騙し、存在する魔法。


 どんな禁忌の魔法よりも恐ろしい。


 俺はそんなことを考えながら――


 「はぁ……終わったわよ、ミクリィ」


 ――彼女が殲滅を終わらせるのを見届けた。


 その姿は血に濡れていながらもどこか、優雅であった。

 

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