第16話 『姉と弟』

 「――我々のため、身を粉にし尽くしてくれた彼に、私は最大限の感謝を述べたい」


 街の中に男の声が響き渡る。

 

 普段は農業の、そして商業の場として賑わうこの街であるが、その日は声一つ聞こえないほどの静寂に満ちていた。


 活気はなりを潜め、暗く悲しみを孕んだ空気が街を支配している。


 驚くべきことに、

 人通りが多い大商店街には人影が一切見えない。


 家の中も、公園も、この街のどこにも人がいない。


 いや、いないのではない。

 ある場所、そこに全市民が集まっているのだ。

 

 街の一番大きい広場。

 市長館の前に存在するそこには、街に住むほとんどの人々が立ち並んでいた。


 それぞれの顔には悲しみが浮かんでいる。

 涙が止まらない者。

 天に向かい感謝を表す者。

 ただ静かに祈る者。


 この街の全員が、ある男の死を悼んでいた。


 市長館の前に置かれた台の上には、この街の市長である父の兄が立っている。

 

 すぐ下には拡声魔法を構える付き人。

 

 両手には紙を握り、この男もまた悲しみに顔を歪ませていた。


 「彼は街の英雄だ。我々の希望だった。

 だからこそ、三日前の火災によって亡くなったと

 聞いたとき、私は正気ではいられなかった」


 そう、この場にいる者達は英雄ダミリアンを追悼する為に集まったのだ。


 「彼に助けられた者は多かろう。

 彼の売る肉は世界最高級だった。

 彼の強さはこの大陸屈指のものだった。

 彼の思いやりは――我々の心を強くした」


 彼を愛し、彼に愛された者しかこの街にはいないのだ。


 だからこそ誰もが涙を流す。

 ダミリアンとの別れに悲しみを抱く。


 そんな民衆の中、俺は家族と一緒に追悼式に参加していた。

 

 今は少しばかり離れているが。


 「……」


 「ねぇ、ミンクレス」


 マリーネも一緒に参加している。

 彼女は修道院暮らしであるため、誰かと過ごす時はうちの家族が多いようだ。


 「私、人をここまで憎んだことはないわ。

 周りの人達も馬鹿みたいに思えてしまう……。

 みんなが情けなく見えてしまうのよ……」


 「仕方ない。これが最善なんだ」


 目の前に広がる、ダミリアンのタペストリーを眺める。


 精巧なものだ。

 これでも急遽作らせたものであるらしい。

 

 一ヶ月後にはやつの銅像を広場に立てるようだ。


 無知というものは本当に恐ろしい。

 俺にはこの場がオカルト宗教の集まりのように思えてならない。


 「……やつは英雄として死ぬ。

 食人鬼ではなく、街の英雄として。

 これからずっと語られる存在としてな」


 「……そう」


 悔しみを噛み潰して、マリーネがタペストリーに描かれたやつを睨みつける。


 だが、そのタペストリーはニカッと笑顔のままだ。

 動くことはない。

 まるで俺たちに勝ち誇っているかのように。


 「……その気持ちは胸に仕舞っておけ。

 言葉に出せば更なる悲劇を生む。

 やつには罪を抱いたまま死んで貰う必要があるんだ」


 「……分かってるわよ」


 ……本当に分かってるんだか。


 俺は溜め息を吐きながら少し離れたところにいる家族を見た。


 あの後、俺は玄関から真っ先に帰り、ミシェルをベッドに寝かせ、怒涛の一日を終えた。


 次の日になれば、ミシェル行方不明の記憶はあの家の者達から完全に消し去られる。

 

ママイが記憶操作をしてくれたおかげである。

 魔力を使いすぎたからか、今も家で寝込んでいるが。

 街の人々は行方不明すら知らなかっただろうから、この世界から完全に記録が消えたわけだ。

 

 そして俺は朝一番にマリーネを連れて家へと帰った。正確には帰ってきたように見せかけたのだが。


 俺はみんなが寝静まった後、捜索を開始。

 森で怯える彼女を見つけたというストーリーだ。


 結局夜に飛び出した罰で頭を叩かれたが、

 同時に優しく抱擁された。

 と両親が暖かく俺を抱きしめ、あのミシェルですらも俺に素直に感謝していた。


 涙を流して、ずっと『ありがとう』と言うのだ。

 マリーネに対してはごめんなさいと謝り続けていた。

 それを見たマリーネも号泣。

 互いに熱い抱擁を交わした。


 感動の再会ってわけだ。

 本当はすでに会ってるんだが。


 ミシェルはそれからだいぶ丸くなった。

 

 というか誘拐されてから俺に対して優しくなった気がする。

  

 おかしいな、記憶は消したはずなのだが。


 ――そんな愛しき娘を攫われた家族は今、

   攫った張本人の死を嘆いている。


 「お笑い草だな……まったく」


 「では、祝典を始める。

 道を開けてくれると嬉しい」


 市長が宣言すると、ちょうどミシェル達の横に道が開かれ、奥の方から数人の人が歩いてきた。


 この街の司祭達である。

 七人いるだろうか、二列に並んで歩くその者達の手には祭式に使われる道具が置かれている。

 

 そして先頭の司祭は大きな彫刻を手に持っていた。


 ――ダミリアンの顔を模したものだ。


 どうやらこの世界に根付く宗教的なものであるらしく、『イマギネス』というのだとか。


 ようはデスマスクだ。

 本人の死体が残っていないため、写真から彫られたものだが。


 神話の人物、女神アラナに仕えた『十三の聖徒』の一人、『イマギネーラス』に由来するものだとか。


 この彫刻を持ちその人物の栄誉を讃える。

 そして墓場まで持っていき、一緒に埋めるのだ。


 「あぁ……なんて精巧な」

 

 「いやよ、やっぱり、お別れなんて」


 「ダミリアン、あんたってやつは……」


 街の者達はその彫刻を見て、彼との思い出を振り返る。

 

 開け開かれた道を男の顔が悠然と進んでいく。

 

 全てを隠し通し街の英雄として生きた男の人生を体現しているかのようだ。


 ミシェル達の前に差し掛かった。

 彫刻は彼らを気にすることなく進んでいく。


 「二人共……

 彼は俺たち家族を懇意にしてくれた。

 男の中の男だ。

 俺たちは彼の意思を受け継いで生きていかなくてはならない」


 「えぇ、そうね……。

 子供達を愛し、街を愛し、

 笑顔を見せてくれたあの人を……。

 ねぇ、ミシェル……ミシェル?」


 「……」


 普通ならその死を悼み、悲しむだろう。

 昔から仲良くしてくれた人ならなおさら。

 

 だがミシェルは――


 「えぇ、そうよね。

 あの人を大好きだった。初恋でもあったかも。

 でも、でもね――」


 「――胸の中に、悲しみがいないの」


 「――ということであり、彼の栄誉を讃え、我々は彼の心を――」


 ――ただその様子を、無感情に見つめていた。



――――――――――――――――――――――



 俺は人だかりを抜け、いつもの森に向かう。


 奴の彫刻を埋める式典には参加するのをやめた。

 こんな茶番劇、時間が無駄だ。


 「……」


 空を見上げて歩く。

 雲は形を変え、

 いつものようにただ宙を漂っている。


 今日はなんでもない、普通の日。


 そう語りかけてきているのかもしれない。


 「……ふぅ」

  

 ここらへんまでくれば小鳥のさえずりしか聞こえない。


 あの民衆の声を聞いていると、少し胸が気持ち悪くなるのだ。

 小鳥の声は、いい緩和材であろう。


 《ザッザッザッザッ》


 「ん……?」

 

 耳に入る。

 こちらに誰かが走ってくる音。


 振り返ってみれば、墓地に向かったはずのミシェルが。


 「おーい! ミクリィー!」

 

 「……ミシェルがミクリィって呼んだの、いつぶりだ……?」


 黒が混ざった金髪のポニーテールを振り回しながら、こちらに必死に走ってくる。


 そしてそのまま俺の前に立ち止まった。


 「どうしたの? 姉さん、ダミリアンさんの埋葬に向かったんじゃ」


 「あんたが勝手にどっか行ったから……!」

  

 「……あの人、あんまり好きじゃなかったからね」


 そう言うとミシェルは少し考えるような素振りをを見せた。


 今の俺の発言には噛みつかないあたり、記憶を消してもうっすらと覚えているのだろうか。


 「……それで? 僕を連れ戻すの?

 僕は絶対嫌だよ?」


 「いや、そうじゃなくて、言うことがあって、えっと……」


 ミシェルはポニーテールを触ってウジウジし始めた。


 この娘にしては珍しい。

 こいつはいつも元気な犬みたいなやつなのだが。


 しかし覚悟を決めたのか、

 ミシェルは俺の目をしっかりと捉えた。


 いや、見つめすぎて睨んでるみたいじゃないか。


 「……ありがとう」


 「……? それは聞き飽きたよ姉さん。

 マリーネを見つけたことでしょ?

 そんなに感謝されたらこっちも戸惑うって」


 「そうじゃなくて……あんた、たぶん私を助けてくれたでしょ?」


 「……」


 「うん、あんたは私を助けてくれた。

 何も分からないけど、そんな気がするのよ」


 驚いた。

 

 やはりぼんやりと覚えているのか。


 やはり記憶を消すなんて芸当、魔法一つで解決できるようなものではないのだろうな。


 「…分からないけど、

 姉さんが素直に感謝を言うなんて珍しいね。

 僕のこと嫌いじゃなかったっけ?」


 「えぇ嫌いよ? 大嫌い。

 生意気で、才能があって、賢くて、

 姉を鑑みないあんたなんて大嫌い」


 「……それ褒めてるの分かってる?

 それに、天才っていうけど、僕からすれば姉さんの方が天才だよ」


 そう言うと俺の頭をミシェルが叩いた。


 「いっ……」


 「うるさいばーか」

 

 顔を見れば何故か不服そうである。

 せっかく機嫌よかったのに……。


 「あんたは"努力"の天才なのよ。

 自分では努力してないとか思ってるかもだけど、無意識にやってる時点であり得ないほどの天才なの」


 「だから私はあんたが羨ましい。

 人一倍の努力しかできない私が憎い。

 あんたのその才能が妬ましい。

 あんたなんて嫌い。でも……」


 吹っ切れたように、姉は笑う。

 口では嫌いと言っておきながら、

 いつぶりか、純粋な笑顔を向けてくれて――


 「――あんたは私の弟だから。

 だから、ありがとう。ミクリィ」


 「――――」


 暖かな風が頬を撫でる。

 平穏と日常を携え吹き抜ける。


 「ふふっ、僕からしたら姉さんの有り余った才能の方が羨ましいんだけどなぁ」


 「あっそ、そんなの知ったこっちゃないわよ。

 どっちにしろ絶対あんたには負けないし。

 あんたはあんた。私は私よ」


 ……姉は俺に劣等感を抱いている節があった。


 だが、様子を見るにもう大丈夫らしい。


 「じゃああんたが言う天才様が魔法を教えてやるわよ。上級を使えないなんてあり得ないんだから」


 「えー、時間の無駄だよ」


 二人で並んで道を進んでいく。

 姉と弟。今まで実感のなかった感覚。

 ミシェルのことが分からなかった今までの日々。


 しかしこう並べた今なら――


 「……はん。生意気よ馬鹿」


 ――ミシェルのことを、

 少し、理解できるような気がした。

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