第17話 『旅立ち』

 「――準備はできたかい? ミシェルちゃん」


 「えぇ、大丈夫よジミーユくん♡」


 姉が黄色い声でジミーユに返事をした。

 

 二人は街の出口で、馬車に積んだ荷物の最終確認をしていた。

 荷物は生活必需品に食料、その他使うであろう物多数。

 

 これから長旅をするような量である。


 そしてそれは正しい。

 姉とジミーユは、今日この都市を出発し、海を越え隣のリヴァリア大陸へと向かうのだ。


 期間にして九年間、この街には帰ってこない。


 ――あの事件から七ヶ月が経った。


 サタナ歴にして三月。入学シーズンである。


 そう、姉は二月に行われた

 『サンジュスト王立大学入学試験』に無事合格。


 すでに推薦で合格が決まっていたジミーユと共に、王立大学へと入学することが決まった。


 今はその旅立ちの最終準備中だ。

 俺たち家族とマリーネ、ナマナマス家の二人は、

 この新たな門出を見届けに来ていた。


 マリーネは以前と違って、耳にヘッドフォンのようは形のものをつけている。


 最初は違和感があったようだが、時間が経てばただの彼女のアクセサリーと化した。


 「う、うぅ、まさか! まさかまさか!!

 私の息子がッ!! 息子がぁ!!

 ミシェル殿と名門のサンジュストへッ!!

  駄目だぁ!! 耐えられん!!

 この幸せに耐えられん!! 妻よ!!

 私を殺してくれぇ!!」


 「ダメよあなたぁ!!

 そんなことすればこれからの幸せを掴めない!!

 乗り越えるのよ!! あなたならできる!!」


 ……相変わらずナマナマス家のイモタリウム中毒は健在のようだ。


 姉はジミーユと二人で本当に大丈夫なのだろうか。

 何だか襲われそうで怖い……

 いや、そういった愛ではないか、これは。


 そんなことを考えていると、

 母がミシェルへと近づいていった。


 「ミシェル、忘れ物はない?

 お金は持った? 一ヶ月分の食料は詰んだわね?」


 「もう。大丈夫よお母様」


 ミシェルは少し過保護気味な母に少し苦笑いする。


 そういう母の顔はやはり心配そうだ。


 それはそうだろう。

 愛おしい娘が九年間も帰ってこないのだ。

 俺ですら少し心配している。

 

 まぁ俺もあと六年で同じ大学に入るのだが。


 「いいこと、ミシェル。

 絶対に悪い男にはついていかないで。

 友達選びはしっかりと。

 朝昼晩とご飯を食べる、それと――」


 「あー分かった!! 分かったって!!

 昨日もそれ言ってたでしょ!?

 全部頭の中に詰め込んでるから!!」


 ありがちな会話だ。

 アニメや漫画の旅立ちのシーンで何度も見てきた。


 「……そう? じゃあ最後に……」


 《ギュッ……》


 ミシェルの身体が、母によって抱きしめられる。


 「……!!」


 「絶対に、元気でいること。

 それさえ守ってくれれば何も言わないわ……」


 さらに強く抱きしめる。

 これから会えない分、今表現できる最大限の愛を伝えようとしているのだろう。


 「……本当に大きく、立派になったわね。

 何の不幸にも見舞われず、

 貴方はこんなに成長した。

 それだけで私は嬉しいのよ……」


 「お母様……」


 (……姉が今も元気なのは俺のおかげなんだがな)


 「何考えてるの」


 「いたっ!」


 隣にいたマリーネが俺の頭をチョップした。

 どうやら俺の思考はバレバレのようだ。

 

 ……最近、暴力制裁が増えた気がする。


 おかしいな。俺に従うという約束だったのだが。


 「……しかしまぁ、親子愛ってのはいいもんだ」


 母は目に涙を浮かべ、娘を想う気持ちを吐露する。

 美しい愛だ。

 涙を誘うその光景はホームドラマにすれば視聴率取れること間違いなし。


 実際、ナマナマス一家は泣きすぎて襟がビチョビチョになっている。汚い。


 後ろで見ていた父も二人へと近づいていく。

 右手を伸ばして、ミシェルの頭に手を置いた。

 

 「サンジュストはいいところだ。

 豊かな自然に広大な街、

 そして沢山のことが学べる。

 目一杯楽しんでこい!」


 「はい、お父様!!」


 「……誇りに思うよミシェル。本当に」


 羨ましいな。

 きっとそこでは知りたいことを全て知れる。

 俺の夢への近道も見つかるかもしれない。


 しかし行けるのは最低でも六年後。長い。

 あまりにも長すぎる。

 

 「マリーネちゃん」


 伏せていた目線を上げると、親二人との別れを済ませたのか、こちらの方へと歩いてきていた。


 まずはマリーネの目の前に止まる。

 

 身長が同じぐらいなので目線が並ぶ。

 じっとマリーネの目を見つめた後、その身体をゆっくりと抱きしめた。


 「……ミシェルちゃん」


 「今まで友達でいてくれてありがとう。

 あの時生きていてくれてありがとう。

 私と一緒にいてくれてありがとう」


 耳元でひたすら感謝を呟く。

 これから会えなくなってしまう親友同士。

 伝えたいことを伝えているんだろう。


 「――私、待ってるから。

 大学で待ってるから。ずっと。

 あなたが入ってくるのを待ってるから」


 「……うん、分かった。私頑張るわ。

 あなたと同じ場所で学べるように……。

 こちらこそ、ありがとう」

 

 途切れぬことなき絆がそこにはあった。

 何にも変えられぬ想いがあった。


 友達として、親友としての愛があったのだ。


 俺にとっちゃ別次元の話みたいなものであるけども。


 「ミクリィ」

 

 ついに俺の名前が呼ばれる。

 よかった。俺にはさよならを言ってくれないものかと。


 姉が俺の目の前に立つ。

 この人は人と話すとき、必ず目線を合わせられる場所に移動するのだ。

 

 「……何さ姉さん」


 「……あんたに言うことはあまりないわ。

 言いたいことは全て言ってきた気がするし」


 なんてことを言い出すのか。

 さっきまで散々ドラマみたいなセリフを吐いていたくせに。

 愛しの弟に何か助言の一つぐらい――

 


 「――だけど一つだけ、

 あんたに言っておきたいことがある」

 


 「あんたの、『不老不死になる』、

 とかいうくだらない夢。……応援してるわ」



 「――」

 

 「あんたなら本当になれるかもしれないしね。

 もし、不老不死になれた時は……」



 ミシェルは俺の身体を抱き締める。

 

 あぁ、これは。


 思い出した。やっと、やっと。


 俺が死んで、苦しみ続けていたとき。


 怖くて、怖くて仕方がなかったとき。


 俺を包んでくれた温もり。


 大丈夫だと、安心させてくれた女神。


 そう思ってしまうほどの心地よさ。


 あぁ、そうか――


 「真っ先に私を呼びなさい。

 盛大に祝ってやるわよ。ふふっ」


 「……分かったよ、姉さん」


 温もりが身体から離れていく。

 もう少し感じていたかったが、出発しなくてはいけないのだから仕方がない。


 隣を見やると、ジミーユも家族との別れを済ませたようだ。


 あんな家族でも、やはり大事な親と子なのだ。


 二人が馬車へと乗り込んでいく。


 ジミーユの父、カリギリが馬車代であろう金を従者に渡した。


 「頼んだぞ」


 「えぇ。子供達は一切の怪我なく、ロルツの街へとお送りします」

 

 ここから船が出ているロルツまで一週間。

 リヴァリア大陸まで一ヶ月。


 大学に着くのは入学式の三日前と、かなりのハードスケジュール。


 「ジミーユくん、ミシェルを頼んだわよ」


 「ええ! 任せてくださいアケミ様!!

 この僕、ジミーユ=ナマナマスが責任を持ってお守りします!!」


 「あぁ、ジミーユ君……

 私を守ってくれるなんて……」


 ……大丈夫そうだな、うん。


 従者が馬に合図する。

 二頭の馬は嘶いて、

 重い馬車を引いて進んでいく。


 ただ道なりに、真っ直ぐに。

 

 「みんなー!! 今までほんとうにありがとー!!

 私、がんばるねー!!」


 ミシェルが勢いよく手を振る。

 俺たちも呼応するように手を振り返す。


 ずっとずっと、馬車が見えなくなるまで。

 

 俺たちは互いに手を振り続けた。

 

 「……行っちゃったわね」


 「そうだなぁ。……じゃあ帰ろうか母さん。

 これから寂しくなるぞー」


 「そうね、ナマナマスさんも帰りますか?」


 「えぇ!! それはもちろん!!

 しかし! しかしです!! 

 時計を見てみればなんと早くも昼食時!!

 どうせならこのまま一緒に食べにいきませぬか?」


 「おぉ!! いい提案だ、カリギリ!!

 久々に早食い競争でもするか!!」


 「二人共、調子に乗らないで。

 ほら、ミクリィもマリーネちゃんも。

 街に戻るわよ」


 「……うん、分かったよ」


 マリーネと二人で馬車が去った方を眺める。

 長い、長い別れだ。


 あまり仲良くすることはできなかったが、それでも別れというのは寂しい。


 「……もしかして寂しい?」


 「いいや、別に」


 「ふふっ、照れちゃって……」


 「……チッ。お前、忘れているかもしれないがお前は俺に従う立場なんだ、あんまり調子には……」


 「分かってるわよ」


 マリーネが先ほどから着けていた

 ヘッドフォンのような形状のものを外す。


 実はこれは俺が着けさせたものだ。

 

 なぜなら――


 「……この右耳の欠損は貴方への従属の証。そうでしょ?」


 「……分かってるんならいい」


 従属の証として、

 そして研究のための素材として、

 

 ――俺はエルフとしての証である長い右耳を切り落とした。


 これを提案したとき、流石のマリーネも少し躊躇いを見せたが、そんなもの俺には関係ない。


 本人が見せることを嫌がるのでヘッドフォン状のアクセサリーをつけさせたのだ。


 周りに見られても誘拐事件の際、森の中で傷ついたと言えばいい。


 「俺は不老不死にならなくてはならん。

 そのためならば、どんなに残虐な手段も厭わん。

 俺はいつかダミリアンと同じような人間となるだろう、それでもお前は俺に着いてくるか?」


 「もちろん、そういう約束だもの」


 「……分かった。

 じゃあ戻ろう。昼飯を食ったらすぐに修行だ。

 お前にも強くなってもらわねばな」


 「えー」


 「えーじゃない。なんでこれは嫌がるんだ」


 街の中へと戻っていく。

 外の世界へと背を向けて。


 あちらに出るのはまだ先だ。

 まだここでやれることはたくさんある。


 大学に行くまでの六年間。

 やれることは全てやるのだ。


 姉との約束もできてしまった。


 コツコツと、限られた時間を全て費やそう。

 

 そう、自分が持ち得る時間全てを。


 ――俺は必ず不老不死にならないとだからな。

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