第1話 『愛おしい貴方が生まれた日』
「……ふふっ」
野原に寝転び、天を見る。
どこまでも続く青い空。
どうやら神様も祝福してくれているようだ。
そんなことを考えてしまうけど、今日ばかりは許してほしい。
だって今日はめでたい日なのだ。
私、ミシェル・リクメト=イモタリアスに初めての兄弟ができる日なのだ。
私の家、『イモタリアス家』はここ『バトラズ王国』の正統な血筋だ。分家ではあるけども。
『バトラズ王国』は最初の王様の子孫が代々継いできた大きい国である。
そしてその兄弟四人にはそれぞれ四つの街が与えられ、こっちも代々その子孫が市長を務めるという形で継いできた。
その街の一つ、『バルカン』を与えられた『リクメト』の子孫の末裔が私のお父様なわけだ。まぁ実際の市長はおじ様なのだけれども。
でも一つだけ問題があった。私の代はどうやら男の子に恵まれなかったらしく、私を含めた四人がもれなく女の子だったのだ。
お父様には私が、おじ様には三人の娘が。
都市は代々男の子が継いできた。
だからこのままではまずいと、お父様方兄弟は男の子が産まれないかと頑張ったらしい。
そんな中、めでたく今日生まれることになるのが私の弟なわけだ。
「ハァー、早く顔が見たいなぁー」
どんな子なのだろうか。
お父様に似てぼんやりとした顔なのだろうか。
お母様に似て美しい顔なのだろうか。
いや、おじ様に似て濃い顔になるかもしれない。
性格はどうだろう。私と気が合うだろうか。
いやきっと気が合う。だって兄弟なんだから。気が合って当たり前だ。
「兄弟……兄弟……ふふふっ」
あぁ嬉しい。私に弟ができるのだ。これ以上に嬉しいことなんてない。
勉強を教えてあげよう。私は賢いからたくさん教えてあげられる。
魔法だって大丈夫だ。私は魔法の天才だから、一から一まで教えてあげられる。
本を読み聞かせて、一緒に寝よう。最近ちょっと難しい本も読めるようになったのだ。
「まだかなぁーまだかなぁー♩」
鼻歌を歌いながら待ちぼうけ。
昔は生まれる時に母親がよく死んでしまっていたそうだけど、回復魔法が発達した今、死んでしまうことは減ったらしい。
使用人のママリも大丈夫だと言っていたから、安心して待っていられる。
まぁこうして待ち続けて大分経つのだけれど。
「……一回見に行ってみようかな?」
出産は私の家で行われている。朝からとてもバタバタしていたから邪魔にならないようにと待っていたが、少し覗くぐらいならママリも怒らないだろう。
「……行っちゃお!」
少し考えて行くことにした。
私がいる場所を向こうも知らないわけだし、それだったら家の前で待っていた方がいいはずだ。うん。
自分に言い聞かせて、私は軽快な足取りで街の中を走る。
農業が盛んなので、緑が多いのがこの街の好きなところだ。
大通りは商売で賑わい、みんなが笑顔で私も嬉しい。
私はこの街が大好きだ。
「おー! ミシェル嬢ちゃん! どうしたんだい、そんなに走って!」
この大柄の男の人は街で床屋と肉屋を営んでいるダミリアンさんだ。
ここのお肉は美味しいと評判で、散髪の技術もこの街屈指のものである。
「今日、弟が産まれるのー!!」
私はその場で足を走らせながら、ダミリアンさんに新しい命の誕生を伝える。
「ほう、そうかい!! 今日が出産予定日だったかい! めでたいねぇ!! きっと活きのいい坊主が産まれるぜ!!」
「ありがとう!! 弟が生まれたらまた連れてやってくるね!!」
感謝の言葉を伝えて、私は再び元気よく走り出す。
この大通りを抜けた先の左手にある大きな屋敷が私の家だ。
使用人が十人、執事が一人、私達家族三人が住んでいる。今日から一人増えることになるけども。
「はぁ……はぁ……!!」
気持ちのいい息切れだ。身体を動かしていると本当に楽しい。
そうだ。弟が大きくなったら一緒に身体を動かそう。きっともっと楽しくなる。
あと少しだ。もうあと少し。
家の前に着いた。庭がそれなりに広いのでまだ走らないといけない。
「よーし! 着いたぁ!」
扉の前に来た。この向こう側には希望が広がっている。あぁなんて楽しい人生なのだろう。
こんなに幸せなら他には何もいらない。
私が私で本当によかった。
そう思いながら扉を開こうと――
《バンッッ!!》
「……ッッッッ!!」
私は突然開いた扉に弾き飛ばされた。
一体なんだというのか。これでも私はこの屋敷の娘なのだ。丁重に扱って貰わないといけない。
「……ッ!! お、お嬢様!? も、申し訳ございません! この罰は後でいくらでも受けますので今だけはご容赦を……!!」
どうやら私を弾き飛ばしたのは使用人のママリのようだ。
「べ、別にそこまで怒ってないわよ……ってどうしたの?」
顔を見上げてみれば、ママリの顔は真っ青で今にも泣き出してしまいそうだ。
――そこで私は何か緊急事態があったのだと察した。
「……何が、何があったの!? まさか生まれてこなかったとか――」
「い、いいえ!! 奥様は無事にご出産致しました!! 弟様もご誕生致しましたが……しかし……」
「しかし何よ!!」
「――生まれてすぐに過呼吸を起こされまして! ま、まともに息をしていません!! こ、このままでは……!」
――何ですって? 弟が? まともに息をしていない?
「おいママリ!! 何をしている!!
早く!! 早く医者を呼べぇ!!」
「……ッ!! お嬢様!! お嬢様は自分の部屋で待っていてください!! 大丈夫……きっと大丈夫ですから!!」
ママリは自分に言い聞かせるように、それだけ言い残して走っていった。
今はそんなことどうでもいい。
私の弟がピンチ? 何でだ。まだ生まれたばかりだというのに。
目の前が真っ暗になる。さっきまで明るかった未来が嘘みたいにドス黒い。
何とかしないと、お医者様を待っていては間に合わない。
早く、早く。
動かしなさいミシェル、その脚を。
「……ッ!!」
私は勢いよく地面を踏み込んだ。
玄関扉を開けて二階へと走っていく。
登って右手、一番奥の部屋。
母の自室。そこで出産は行われていた。
廊下では使用人達がママリと同じような顔をして、慌ただしく動いている。
「はぁ……はぁ……!」
先程の息切れがそのまま身体に響く。
気持ちよかったのに、今ではただ不快なだけのシロモノだ。
部屋の前に着く。
普段はノックをしてから入れと言われているが、そんなこと気にしてられない。
私は勢いよく、部屋の扉を開けた――!
「な、何で!? 何でなの!? 生まれたばかりなのに!! お願い!! 落ち着いて!! ダメよ!! ダメ!!」
「おいナナム!! なんとかできないのか!? 早く!! 早くなんとか!!」
「だ、ダメです!! 生まれたショックで過呼吸になっているとかじゃないんです!! 恐怖のあまり、な、何かに怯えているような……!! こんなの見たことがない……!!」
「そういう問題を解決するのもお前の役目だろう!? 頼むよ!! 早くなんとかしてくれ……!」
――血気迫るとはこのことだ。
緊急事態にみんながパニックを起こして、油断を許さない状況が続いている。
普段は落ち着いていて穏やかなお父様は、見たことがないほど慌て、助産師さんに必死に懇願している。
使用人のナナムさんも、今までこんなことがなかったからなのか、どうしたらいいかも分からず混乱してしまっていた。
一番酷いのはお母様だ。ただでさえ出産の疲れがあるのに、こんなことになってしまったのだ。
顔は疲労困憊で、額には大量の汗が乗っかっている。
息も途切れ途切れで、これ以上出ないのではないかと思うほどに涙を流していた。
「うぅ……! お願い……! お願いよぉ!! アラナ様ぁ!! どうか!! どうか私の愛しき子を……!」
――普段はキリっとしているお母様が神に縋りついて懇願している。
大好きな人のこんな姿を見て、私はただ見ているだけなんてできない。
「――ッ!! お母様!! お父様!!」
私の声が聞こえて、部屋にいた人達がが一斉に振り返る。
「ミ、ミシェル……!? なんでここに!!」
「ママリから聞いた……!!」
「そ、そうか……大丈夫だ、安心しなさい。少し元気がないだけだ。あと少しすればこの子も……」
「――そんなに苦しそうなのに……?」
「ッ……!」
私の言葉にお父様が固まる。私を安心させようとしてくれたのだろうけど、お母様の腕に抱かれた子を見ればそんなもの嘘だと分かる。
「ヒュー! ヒュー! ヒュー!」
――異常だと一目で分かった。
まだ六歳の自分でも、一目で。
「ミ、ミシェル……大丈夫よ」
「ヒュー! ヒュー! ヒュー!」
「お母さんが……なんとかするから!」
「ヒュー! ヒュー! フュー!」
「この子は大丈夫だから……!」
「ヒュー! ヒュー! ヒュー!」
「だから……だから……!」
「ヒュー! ヒュー! ヒュー!」
「……ッ!! 貸して!!」
今思い返せば耐えきれなかったのだろう。
苦しそうな母を、父を、弟を。
見ていることができなかったのだろう。
私は素早く、丁寧にその子を奪いとって、自らの腕に抱いた。
「ミ、ミシェル……!?」
お母様が呆気に取られている。周りの人達も驚いた表情でこちらを見ていた。
だがそんなこと気にしてなどいられない。
赤ちゃんの顔を見る。
――その表情は恐怖に染まっていた。
目を見開いて、口はガタガタと震え、か細い息を吐き続けている。とても赤ん坊がする顔ではない。
でもそんなこと関係ない。この子は私の弟なのだ。
大切な、大切な、弟なのだ。
姉として、この子にできること。
一つしかない。だけどきっと大丈夫。
私は決意して一つの決意を胸に――
《ギュッ……》
「ミ、ミシェ……ル、貴方……」
――その子を優しく、力強く抱きしめた。
「……大丈夫だよ。何も怖くないよ」
言葉は分からないだろうけど、ゆっくり、ゆっくりその子に語りかける。
「私がいるよ。お姉ちゃんがいるよ。大丈夫。守ってあげるから」
「ミ、ミシェル……! 今はおままごとをしているわけじゃ――」
「旦那様、お待ちください。あの顔……」
「な、なんだ! 何があるっていうん――ッ!!」
皆がこの子の表情に驚いている。
あぁそうだろう。
だってこの子の呼吸は徐々に落ち着き始めたのだから。
「フゥー……フゥー……」
でもこんなこと当たり前だ。姉の力は偉大なのだ。
この子を愛する気持ちが止まらない。だったらその愛をこの子に伝えよう。
この子に大丈夫だと伝えよう。私がいるからと、怖いものなんてないんだと。
「ここには貴方を愛する人しかいないよ。怖いものなんて何もない。だから安心して。大丈夫、大丈夫よ。だから――」
「フゥ……フゥ……」
「――ゆっくりお眠りなさい」
呼吸の乱れが完全に落ち着き、部屋には穏やかな寝息の音だけが聞こえている。
あんだけ慌しかった屋敷が嘘のように静かだ。
「す、凄いですお嬢様……あんなに乱れていたのに、ここまで……!」
ナナムが驚いた表情で私を見つめる。ワナワナと音が聞こえてきそうだ。
場の緊張が解けていく。それぞれの表情に色が戻り始めて――
「ミシェル……! ありがとう……! 本当にありがとう……!」
――お母様が、私と弟をギュッ抱きしめた。
顔を見れば涙が止まらないみたい。でもさっきとは違う。これは安心したときの涙だ。
「そんな、だって私はお姉ちゃんだもの。弟を助けないと」
「ええそうね……! でも違うの……今貴方がやったことは本当なら私がやらないといけないこと……! だから……」
お母様はさらに強く抱きしめる。
「ありがとう……! 貴方は立派なお姉ちゃんよ……!」
――あぁダメだよお母様。そんなこと言われたら私も……。
「うぅ……あぁ……うぁぁあああ……!!」
今まで我慢していた涙が一気に溢れ出しくる。ダメだ。止まらない。
「よかったぁ……よかったよぉ……! お母様ぁ!!」
私は弟を強く抱きしめながら、お母様の胸に身体を預けた。
二人して号泣とは、情けないなぁーなんて思ってしまうけど。
すると後ろから大きな身体が、私たち三人を温かく包み込んだ。
「……貴方」
「ほんとうに……ありがとう……二人とも……! 俺、何にもできなくて……自分が情けなくて……!!」
どうやらお父様まで泣いてしまったらしい。
「何言ってるの……ずっと手を握っててくれたのは貴方じゃない……だから、私こそありがとう」
「ッ!……うぅ……ううぅ!! ありがとう!! 使用人の皆んなもだ……! 本当にありがとうぅ!!」
お父様が一番泣いているのではないだろうか。こんな姿見たことがないので少し笑ってしまう。
「でも……この子は泣かないのね……貴方が生まれた時は大号泣だったのだけども」
「そ、そうなの? 大丈夫なのかな?」
「奥様、お嬢様。大丈夫でごさいます。赤ちゃんは生まれたとき泣かないと危険なのですが、不思議なことに、このように落ち着かれているので」
そう言われて三人でその子を見やる。
「スゥ……スゥ……」
「……ふふっ!」
人の気も知らずによくここまで寝れたものだ。
こっちは家族全員で大号泣だというのに。
「あっ……」
「……? どうしたのミシェル?」
「名前、名前思いついた!」
「おー名前か。そうだな、今回はお手柄だったからお前に命名権をやろう!! いいよな母さん」
「それはもう! きっと素敵な名前だわ」
あぁその通りだ。素敵な名前だ。
最近勉強している『ラート語』の中で学んだ言葉。
きっとこの子に合っている。
「ミンクレス。貴方の名前はミンクレス・リクメト=イモタリアス。意味は『泣かない子』、きっとこの子は強くなる。」
「ミンクレイスか……いい名前だ。うちの家を継ぐに相応しい名前だ! きっと先祖様も喜んでいるだろう!」
「ええ、本当に……素敵よ、ミシェル」
「えへへ!」
――今でも鮮明に思い出す。
大切な貴方を思い出す。
どんな時でも、いつだって。
大切な貴方を。ねぇミクリィ。
愛おしい貴方が生まれたあの日を。
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