第15話 三保の羽衣の思い
とっぴだが約800年後のかの麗歌人、柳原白蓮(伯爵令嬢にして大富豪夫人)と青年宮崎竜介の邂逅とひょっとしてそれは同じだったかも知れない。彼竜介同様に義清の地位ある女性(にょしょう)への思い入れは隠すべくもなかったし、それならひとつと今はなけなしの自尊心を璋子はくすぐられもし、なにより「吾を救いなむや(助けて欲しい)」の思い入れとともに我身との逢瀬を与えたのであろう。
さてそこでである。再び義清の立場にもどるが‘天女’璋子との交わりはかない、のみならず未だ出家願望の身とその折り云ったにもかかわらず、いきなり引導まで乞われては身にこそばゆいどころの騒ぎではなかったろう。それこそ三保の羽衣伝説の伯梁ではないが、天女の生殺与奪の権利まで得た気がしたかも知れない。しかしこの場合生かすとは引導を渡すがごとく璋子の懊悩を晴らし得ることを云い、殺すとは「身に過ぎたるこそ」と、畢竟おのが無能を開陳するしかないことを云う。弘徽殿に於ける最後の別れ同様無念にも後者だったろうが、しかし強い慙愧の念はその折り義清に残ったろう。一方璋子にしても強いうっ屈の果てにしてしまった逢瀬だったのであり、直後義清の将来を慮っては「阿漕の浦ぞ」と突き放す云い方をしたのかも知れない。してみれば義清の内には解決のつかない不安定さのみが残り、それは云ってみれば璋子のうっ屈がそのまま義清に伝播したとも云えるだろう。つまり璋子の懊悩が文字通り肌身感覚でわかり、若くて純粋だった義清にしてみれば強く璋子に感情移入してしまったわけだ。
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