第24話 さは我が死すとや?
璋子様、みまかりて入る国に時のあるべしや、身の貴賤、男女の別さえせんなきこと、ただ魂のみ栄えがあるばかりにて、阿漕の浦さえとこしえにはべるなり」とやさしく、かつ淡々と語る義清、いや西行法師だった。その一言一言が光となって、何の無理もなく胸のうちに入るのが不思議だった。耳というよりは心で聞いている璋子、ただ一言をのぞいては。「みまかるとはなんぞ。さは我が死すとや?」‘みまかる’つまり‘あの世へ行く’などと聞けば誰でも催す不安を璋子も口にした。今という大事をいっさい弁えぬ璋子に「さればよ、彼処を御覧ぜよ」と云って丑寅の方向を西行が指さした。その方向はるか彼方の虚空に一点の光があらわれ、璋子の凝視とともにそれが一瞬のうちに数間先の光景となって眼前に展開された。卑しからぬ臥所に真っ青な、すっかり顔色が失せた尼御前が伏している。「あれは…あれなるは」おびえる璋子に「三条高倉第となむおぼえはべる。あれなる門院は…」「われか!」とついに臨終をさとる璋子だった。臥所の脇では夫鳥羽上皇が馨(けい。読経のさいに打ち鳴らす仏具)を鳴らしながら身も世もない様で大声で泣いている。僧正に合わせる読経も途切れがちだ。たちまちみずからももらい泣きしながら「いかに(なんとまあ)わらべのごとき様や…わが背、わが背!」と得子出来以来の恨みもなにも消え失せて子をいたわるがごとく鳥羽を許す璋子であった。さらに西行が璋子の視線を誘う。「几帳の外にも尼御前のはべるなり」見れば堀河が身をうつぶして泣いている。
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