六道の蛇

第18話 第四章の脚注

この章以降は著者によるまったくの想像の世界を描きます。義清のみならず後日強制的に(?)出家させられた中宮璋子がその失意の強きがゆえか、隠居先の三条高倉第で臨死の時を迎えます。この時に…ご存知でしょうか?人が死ぬときにはお迎えの霊が来るということを。それが善霊であるとは限りません。光と闇のいずれかへ引導すべくそれぞれの霊が死者をめぐって綱引きをします。生前に六道の轍(わだち)から脱け切れなかった者はその折りかなりの試練を受けることでしょう。仏教で云う六道とは感覚的にわかりにくいですが、例えてみれば自分自身のこの肉体、身体そのものであると云えばいいでしょうか、それほどに自分にとって血肉と化したような習慣と感覚を指すものと思われます。自己保存の感覚そのもの。このように桎梏と化したわが習癖を断って、善霊に全面的に身を託すということは、これはなかなか至難の業と云えるのかも知れません。このことをおもんばかりつつ善霊を西行法師、悪霊を‘六道の蛇’として中宮臨死のその折り、場面を描いてみました。はたして中宮璋子は法師の引導を受け切れるか、人間としてこれ以上はないと思われる切事の次第をごらんください。なお西行法師は数十年先の未来世から(あるいはあの世から?)引導を渡しにやって来ます。臨死の折りの璋子はいまだ40過ぎの年令ですがそれより若かったはずの西行法師(20過ぎ)がなぜか60~70才くらいの年令となっています。そのわけは…これもご存知でしょうか、あの世には「時間がない」ということを。「今」だけが永遠にあり続けるのだそうです。畢竟そこからは人間の過去・現在・未来すべてに通じていることでしょう。いわばタイムトラベラーのごとしです。悟りを開いた時点での西行が時間を超越したということです。さて、この西行、いかなる引導のわざを展開することでしょうか。とくとご覧ください。

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