第15話 黒い来訪者
……胸の古傷がズキズキと痛む。
この傷は今から半世紀も前、聖地のある山で妖怪王によって付けられた傷だ。
「その一撃でくたばったと思っていたが、生きていたとはな……」
「あり得ない」
動揺しているウィリアム。
それでは、この男は……。
この目の前の黒衣の男は……。
「奴は首を落とされて死んだ」
……ゼクウだと言うのか。
「クククク、そうだ、首をな……」
その下から現れた地肌には、見るも無残な傷跡が残っていた。
稲妻のようにギザギザに首をぐるりと一周している灰色の傷跡。
それはまるで
「世界を探せば首を落とされたヤツなぞ掃いて捨てるほどいるだろう。……だが、
ギシッとソファを鳴らして横柄に胸を反らせる牙嵐。
そして黒衣の男はまるで遠い過去を見やるかのように斜め上を見上げる。
「あの日、あの時……オレはトキヒサ、
牙を見せて笑う牙嵐。
だがその笑いはどちらかといえば自嘲的なものに見えた。
「最も、その時のオレはただ死んでないというだけの有様で、もうまぶた一つ自分の力じゃ動かせないような状態だった。残った命も刻一刻と……砂時計の砂が落ちるようにサラサラと失われていくのが自分でもわかったぜ。それが尽きたときに自分は本当に死ぬんだろうとな」
ふしゅうう、と息を吐く牙嵐。
「だが……全てはもうどうでもよかった。己の死、消滅であってもオレにとっては『ああ、そうか』程度のものでしかもうなかった。オレを動かしていたもの、尽きぬはずの怒りは既に消えていた。怒りを無くしたオレは空っぽだった。この世の全てはもう、どうでもいいものだった」
2人は無言のまま牙嵐の言葉を聞いている。
陣八など出そうとしていた茶を手にしたままだ。
それがとっくに冷めてしまっている事にも気付いていない。
「オレの首は巨大な押し車に乗せられ大勢で運ばれ、
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晒し首にされていたゼクウを強奪し逃げ去った妖怪たちはそのまま遠国のある朽ち掛けた山村にそれを持ち込んだ。
元は村長の住居だったのか……大きな屋敷が一軒だけあり、その庭先に首がない自分の胴体が転がされていた。
そこで待ち受けていたのが
首を繋がれ辛うじて命を取り留めたゼクウが次に目を覚ました時、自分は人間の姿になっていた。
妖気の消耗を抑えるために身体が自然にそうしたのだろう。
「……何のつもりだ」
目を覚ました自分が最初に発した一言がそれだった。
「心配するな。善意じゃねえよ。オレたちにそんなもんはどこにもねえからな」
斬因はそう言って冷たく笑った。
その足元には無数の妖怪たちの亡骸が転がっている。
たった今斬因が殺したばかりの妖怪たち。
それは斬因の命令で決死隊でゼクウの首を奪還してきた妖怪たちだ。
「これでアンタが生きてるって事はオレしか知らねえ、妖怪王」
薄笑いを浮かべて両手の血の汚れを布で拭っている斬因を冷めた目で見るゼクウ。
実際の所、問いはしたがこの男のしようとしている事になどまったく興味が持てなかったし、それはこの先の自分の処遇に付いても同じだ。
「その様子じゃまたすぐ大暴れしてやろうって感じでもねえんだろ? 当分はのんびりすりゃあいいさ。必要なものはオレが用意してやるよ」
斬因はその言葉の通りにその後しばらくすると村に数家族の人間たちを連れてきた。
どうやらその人間たちはゼクウの世話をするように言われて金を受け取っているらしい。
彼らは屋敷の周囲の家に家族ごとにそれぞれ暮らし、普段は普通に農村の民として生活をしながら持ち回りでゼクウの世話を行った。
ゼクウは全て彼らのしたいようにさせていた。
全ては……どうでもよかった。
そんな生活が二十数年間も続き、ゼクウの世話をする家族も大体代替わりを終えた頃に、また斬因がやってきた。
「そろそろ山奥の生活も飽きたか? 街へ出ようぜ」
そう言って斬因は自分を村から連れ出し街へと向かう。
それきり、ゼクウはあの村には戻っていない。
自分の世話をしていた家族たちのその後は知らないが恐らく斬因によって皆殺しにされているだろう。
「オレはまた自分の軍隊を作った。いや、作っている途中というべきか……。もっともっと
同じも何も以前のゼクウには自分が担がれているというつもりもない。
斬因も他の妖怪たちも全て自分に勝手に纏わりついてきているだけの存在だったのだが、あえて今更それを口にする気も無い。
こうして、斬因によって
流石にゼクウと名乗らせるわけにはいかないと仮の名を求められたゼクウは牙嵐と名乗った。
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そして王牙会の肩書きだけの総長として酒に溺れて暮らしていたある日の事。
アジトであるバー『
それは黒羽探偵事務所とその関係者を調べた資料だった。
その一番上に
「一目見てすぐにわかったぜ。刻久だ。実の兄に討ち取られたと聞いていた。生きていたんだな……まあ、別段おかしな話でもない。現にオレがこうして生きているんだからな」
両手を軽く広げる牙嵐。
「気が付けばオレは東へ向かう汽車の座席にいた。刻久に会いに行こうと思ってな。オレが自分から何かをしようと思って行動する事など首を落とされた時以来だな」
「彼女に……復讐する気なのか」
ウィリアムが硬い声で問うと牙嵐はニヤリと笑う。
「ククク、そんなつもりはない……今の所はな。それどころか、仲良くできればいいとさえ思ってるぜ。平和な時代には到底住めたものではないオレと、同じく平和な時代には不要だと切り捨てられた
「それでも彼女は今平和に暮らしている!」
強い調子で牙嵐の言葉を否定するウィリアム。
彼女は……優陽は決して切り捨てられた者などではないと。
「それはどうかな? お前の言う平和に暮らすとは、力を押し殺してひっそりと世間から身を隠して生きていく事じゃないのか? それは奴のしてきた事に釣りあう、見合った生き方なのか?」
言葉が……返せない。
その牙嵐の言葉は確かにウィリアムの胸に棘のように突き刺さって鈍い痛みと共に残り続ける。
「……まあいいさ。その答えはいずれ奴本人から聞くことにしよう。今日のところは挨拶に来ただけだ。奴には会えなかったが急ぐまい」
ギシッとソファを鳴らして牙嵐が立ち上がる。
「ククク、予言してやろう。いずれお前たちは自分の意思でオレに会いに来る。必ずな」
振り返りながら肩越しにギラリと目を光らせる牙嵐。
「その時は……お前は前座ではなくなっているかもな。ウィリアム・バーンズ」
ドアを開け黒衣の男が消えていく。
そして事務所内にどこか寒々しくドアベルの音がコロンコロンと響いたのだった。
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