第22話 あらまきじゃけのなく頃に 昼

 火倶楽城かぐらじょう筆頭家老、宍戸ししど豊善ほうぜん執務室。

 追い詰められた豊善の前に立つ黒羽幻柳斎。

 歯軋りをする豊善。その日焼けした頬を汗が伝っていく。


「お主とてかつては将来を嘱望された優秀な幕閣であったろうに。何故そこまで堕ちた。そこまで歪んでしまったんじゃ」

「歪んだ……だと?」


 ギラリと血走った目を光らせる豊善。


「貴様などに何がわかる!!!!!」


 バサッ!!と豊善が机の上の物を薙ぎ払った。

 クリスタルのペン立てやインク壷、書類やグラスが撒き散らされる。


「歪んでなどいるものか! これがわしだ……僅かな曇りも無い純粋なわしだ。あの日、あの時からずっと……わしの中には妖怪キサマらへの憎しみ以外のものなどなにもないわ!!!」


 吼える豊善の目には半世紀以上前の光景が映っている。


「当時、あれは大権現様が征威大将軍となられ火倶楽を奪還する1年前の事だ。当時わしは他の多くの者たちと同じように山深い隠された村で暮らしていた。だがそこにも遂に百鬼夜行の者どもが現れ襲い掛かってきたのだ……」


 握り締めた老人の拳に血管が浮く。


「あっという間に村は地獄に変わった。妖怪どもはわしの暮らす屋敷にも来た。わしには……姉がおった。四つ年上の優しい姉だった」


 拳が震えている。

 幻柳斎は無表情で黙ったまま話を聞いている。


「姉はわしを押入れに隠すと決して出てはならぬと言い残して襖を閉めた。何もできなかった。ただ暗闇で震えておった。外が静かになってもまだわしは動く事ができなかった。どのくらい時が過ぎたか……ようやく押入れを出たわしが見たものは一面の血の海と、両親や姉だったものの残骸だ……」


 幻柳斎は目を閉じる。

 言葉も無くただ痛ましげに瞑目する。


「その時に誓ったのだ!! いつか妖怪どもをこの世界から根絶やしにしてやるとな!!! あの日の怒りが、憎しみがわしを作ったのだ!!!」


 ガン!!!と樫の木の机を拳で殴りつける豊善。

 拳の皮が裂けて血が飛び散る。


「……じゃが、お主のやり方では新たな宍戸豊善をこの世に生み出すだけじゃ」

「構うものか!!! 根絶やしにしてやるのだ!! 報復を考えられる立場の奴など1匹足りとて生かしてはおかん!!!」


 机の引き出しを開け豊善はそこから黒光りする回転式拳銃リボルバーを取り出した。

 冷たく光る銃口を幻柳斎に向ける豊善。


「わしは終わらぬ。わしは止まらぬ!! バケモノどもめ……この地上から消えてなくなるがいい!!」


 幻柳斎は動かない。

 ただ哀れみを含んだ目で自らに銃を向ける男を見ている。


「……まさか、そなたがそのように考えておったとはな」


 その時、その場に対峙する両者のものではない別の男の声がした。

 声を聞いた豊善が表情を凍て付かせる。


 入ってきたのはセーターにスラックスというラフな格好の男だ。

 穏やかで理知的な品性を感じさせる風貌をした中年男。


「上様……」


 呻くように言う豊善の手から拳銃が落ちてガチャンと派手な音を立てた。


 ────────────────────────


 冷たい床に累々と倒れている警備保安担当のスタッフたち。

 全員が昏倒させられている。


「大事な大事な施設を守ってるにしてはお粗末な警備ですねー」

「その方が助かるよ」


 彼らを撃退したのはエトワールだ。

 衝撃波を発生させる魔術で一息に薙ぎ払ってしまった。

 稀代の魔女にとっては牽制ですらないような一撃だったがそれに耐えられた者はいなかった。


「……やれやれだ。だからあれだけ雑魚を数だけ置いた所で無意味だと言ってきたのにな」

「!!!」


 通路の奥から声がした。

 何かがゆっくりとこちらへ向かってやってくる。


 ずるっ……ぺたっ……ずるっ……ぺたっ……。


 何かを擦るような足音?が近付いてくる。


「お陰でこっちの仕事が増える」


 そして姿を現したもの……それは……。


「鮭だ」


 エトワールが乾いた声で呟いた。


 そう、そこに現れたものは巨大な鮭であった。

 全長2メートル半はありそうだ。

 直立(?)しており頭が上で、尾の部分で器用に立っている。


「鮭だと? ふざけるな……あんなハラワタの詰った連中と一緒にされては困る。どこから見たってオレは新巻鮭あらまきじゃけだろうが。塩漬けにされ保存が利くオレはこうして数百年の時を経てもまだピッチピチだぞ」

「いや、普通新巻鮭ってそこまで長期の保存は想定してねーだろ」


 エトワールの言葉の調子から感じられるものは「ああ、またヘンなもんに遭遇してしまった」という虚無感である。


「何だお前は。妖怪なのか?」

「妖怪ではない! オレは新巻鮭だと言っているだろうが!」


 ウィリアムに対して叫ぶや否や新巻鮭はバン!と尾で床を叩いて跳ねそのまま襲い掛かってきた。

 轟音が響き壁と床の一部が倒壊する。

 ……凄まじい威力の体当たりだ。


「もしかして北の大陸の新巻鮭はこんなのが普通なのか?」

「落ち着いてセンセ。思考がだいぶやられちゃってますよ。んなわけねーでしょ」


 冷静になってそれもそうか、と思いなおすウィリアム。

 シーズンごとにこんなのが量産されてたら鮭漁師が大陸を統一してしまう。


「どうせ妖怪でしょーよ。新巻鮭が化けたんでしょ」

「フン、何も知らん小娘が。オレが妖怪なら今ここをこんな風に自由に動き回れているはずがない。何せここには……」


 そこで言葉を切る新巻鮭。


「ここには、何だ?」

「それを知りたければオレを倒してこの先へ進むのだな。最も……それは不可能な話だがな!」


 再び鮭が跳ね、今度は横に高速で回転しながら飛来する。

 またもその一撃を回避する2人。


 着撃……そして轟音。

 金属製の床が、壁が……破片となって周囲に飛び散る。


「フフフ、いつまで避けきれるか……」


 言いかけて鮭が硬直した。

 眼前の空中に漆黒の破壊エネルギーがドリルのように渦を巻いている。

 ギュルルルと唸りを上げて死を呼ぶ螺旋が鮭に狙いを定めている。


「ウチらもヒマじゃねーんですよ」


 右手を掲げてそのエネルギードリルを制御しているのはエトワールだ。


「正月でもねーしテメーの出番はここまでだ。『滅びの姫君ドゥームプリンセス』!!!」


 ゴアッ!!!!


 破壊エネルギーに胴体を抉られ、三分の一ほどを削り取られる新巻鮭。

 丸い形にごっそりと胴部分のほとんどを無くした魚が通路にべしゃっと崩れた。


「……ったくしょーもねー。センセ、行きましょう」

「いや、待て!」


 ウィリアムが表情を強張らせる。

 倒れた新巻鮭の抉り取られてなくなった胴体部分がまるで時計の針を逆回転させたようにどんどん再生され復元されている。


「オレは新巻鮭……言ったはずだぞ。塩漬けにされ長期保存が可能になったとな!!」

「塩に再生能力そんな効果はねーよ!!」


 キレて叫ぶエトワール。

 その目の前で完全に再生した新巻鮭がむくりと起き上がってきた。


「雇われの身だが不審者は排除しろと言われているんでな。悪く思うなよお前たち」


 じりっと新巻鮭が距離を詰めてくる。

 はっきり言って無意味に強い。

 攻撃は破壊力が高いし速度もある。

 そして何より厄介なのは今しがた見せたばかりの超再生能力だ。


「ここのヤツは何考えて新巻鮭を警備に雇ったんですかね」

「それはわからないが、皮肉な事に今奴は実際どの警備員よりも頑強な障害として我々の前に立ちはだかっているな……」


 剣の切っ先を新巻鮭に向けたまま油断なく対敵を見据えるウィリアムの眉間に皺が寄る。


「悪の組織の秘密の研究所に潜入したら新巻鮭が出てきたので戦いましたか……昨日の自分に言っても信じてもらえないだろうな」

「まーウチら大体いつも昨日の自分に言ったら『こいつ頭大丈夫だろうか』って思われるような目にばっか遭ってる気がしますけどね」


 苦笑しつつも次の攻撃のための魔術の集中に入るエトワールであった。








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