第21話 地の底に広がる地獄
五大老の1人である
施設の外には物々しい警備陣が敷かれている。
「物々しいな。ここまでの警備が必要なのかね?」
「ははっ。芭琉観様の御身にもしもの事がございましたらと……」
白衣姿の初老の研究者はさきほどから頻りにハンカチで汗を拭っていた。
「この平和な火倶楽にもしもも無いと思うがね」
「あくまでも不測の事態への備えでございます」
研究者はひたすらに低頭している。
厳重警戒の中、視察は問題なく進行している。
このままいけば穏便に今日を乗り越えられそうだと案内役の研究者がホッと内心で胸をなでおろしていた時……。
「物足りないな」
唐突に和尚がそんな事を言い出した。
「は? いや……その、そう申されましても……」
いきなりの事態に狼狽する研究者。
「わしの本当に見たいものがないではないか。ここでは
「…………………………………………」
鋭く目を光らせる和尚に研究者は固まってしまう。
「この破戒僧芭琉観を甘く見るなよ。わしは初代
「……わ、わかりました芭琉観様」
青ざめていた研究者は一転頬をやや紅潮させガクガクと頷いたのだった。
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「馬鹿め!! それを真に受けたのか!!!」
連絡を受けた筆頭家老
『いや、閣下は我らの研究を援助する用意があると……』
「愚か者めが!! 五大老芭琉観といえば大権現様(初代将軍征崇)に最も信を置かれた最側近。同時に最もその思想を継承している男だ!! 時を置いて少しずつ妖怪への弾圧を緩めよというのが大権現様のご意思である以上あの男がそれに逆行する思想を持っておるはずがない!!」
そして通話の双方が沈黙した。
豊善はハァハァと荒い息を吐いていたが……。
「始末するしかない……視察中の事故としてだ」
『!!!?? し、しかしそれは…………』
受話器から聞こえてくる声は既に悲鳴に近かった。
「あれが芭琉観の手で表沙汰になればわしは破滅だ!! だが奴を始末できれば施設は失うが再起はできる!! 他に手はない!! 命がけでやれ!!!」
乱暴に電話を切る豊善。
「豊善様、連中では心許ないのでは」
「わかっておるわ!! だが昨日から六角と連絡が付かんのだ!!」
血走った目で奥歯を噛む豊善。
その彼に向けて側近の男が1歩前に踏み出す。
「やれやれ、そこまで堕ちきっておったか」
「何だと!!?」
ぐらり、と側近の男がよろめいてそのまま絨毯の床にぐにゃりと崩れ落ちる。
……そして、その背後には小柄な作務衣姿の老人が立っていた。
「……黒羽幻柳斎」
掠れた低い声がその名を呼んだ。
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隠されている地下実験施設。
そこは妖怪を素材にした様々な非人道的な実験が行われている悪魔の研究室だ。
今その施設内に関係者以外では初めて芭琉観和尚が足を踏み入れる。
施設内に付いて研究員から説明を受けている芭琉観。
その背後に足音を殺して別の研究員が忍び寄る。
それは先ほど豊善と電話で連絡を取っていた研究員である。
やや前傾姿勢の研究員。
その手には何か光を反射して輝くものが握られている。
……ドン!
芭琉観に背後から研究員が体当たりした。
「……!!!」
目を見開いた芭琉観。
その巨体がゆっくりと前に倒れていく。
「よ、よし……! やった……やったぞ!!」
息を乱した研究員。
その眼前で床にうつ伏せに倒れている巨漢の老人の背には短刀が突き立っている。
まだ肉に埋まりきっていない刃が照明の明かりを映して冷たく輝いていた。
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同時刻、地下研究エリア最下層。
研究施設内の排水溝の鉄蓋がずれてそこから人影が這い出してきた。
「はーあ、ひでー匂いですよこれちゃんと落ちるんですかね」
ぐったりした様子でエトワールが愚痴る。
「私は匂いより光景がな……当分は悪夢を見そうだ」
続いて排水溝から姿を現したウィリアムは顔を顰めている。
「地獄とはこういうものかと思わせる光景だったな」
排水路には何らかの実験の素材にされたものと思われる妖怪たちの残骸が無造作に討ち捨てられていた。
まともな形をしているものがないので一体どのくらいの数の妖怪の骸なのか見当もつかない。
数十ではあるまい……少なくとも百の単位であろうとウィリアムは推測する。
そこは確かに人の傲慢の生み出した現世の地獄であった。
「人は歴史から学ばない生き物ですね」
「そう断じたくはないが、確かに繰り返される愚行はあるね」
ほろ苦く微笑するウィリアム。
かつて正義感に溢れ誠実で優しかった者も勝者の側に立つと醜悪で傲慢に変わってしまう事がある。
「私も大分『人』を外れてしまってはいるが、それでもまだその端っこにぶら下がる者ではあるつもりだよ。せめて自浄作用になるとしようか」
ウィリアムの言葉にエトワールが肯いて、そして2人は走り出す。
今日のこの2人の潜入の目的は芭琉観和尚の視察とタイミングを合わせて施設内部に救出できそうな妖怪がいるのか調査する事と、何かヤバいものがあるのならその排除と、後は悪事の証拠となるものがありそうならその回収とで多岐に渡る。
黒羽の諜報能力を持ってしても内部の構造を知る事はできなかった地下施設、調査は体当たりで行うより他はない。
廊下を静かに走る2人の前にT字に接続する横の通路から不意に灰色のスーツの男が現れた。
「……!!」
即座にウィリアムが剣を抜いて斬りかかる。
峰で殴打して昏倒させるためだ。
その速度は常人が目で追えるものではない。
「おっと!」
ガキィィィィン!!!!
冷たい白い照明が照らす銀色の通路に響く金属音。
灰色のスーツの男は咄嗟に掲げた太刀の、その鞘から抜いた三分の一ほどの刃の部分でウィリアムの奇襲を受け止めていた。
(強い!!!!)
どうやら手加減して昏倒を狙うというような甘い戦術が通用する相手ではなさそうだ。
一旦身を引いたウィリアムが全力で戦闘に入るために構えを取る。
「お待ちを。私は敵ではありませんよ」
灰色のスーツの男がそう言うとウィリアムを制止するように右手を上げる。
丸いメガネを掛けた細い目の中年男……六角武憲だ。
「味方だというわけでもありませんがね。少なくともこの場では貴方がたの行動を妨害する気はありません。お二人の名前は存じ上げていますよ。ここへいらした目的も大体想像はできます」
「あなたは……何者だ?」
剣は構えたまま、警戒は解かずに問うウィリアム。
「自分は六角武憲と言います。幕府の人間ではありますが現在はこちらの施設の責任者と敵対状態でしてね。同じ御上を頂く者同士甚だ気が進まない事ではありますが、色々と足を引っ張るために動いている所ですよ」
「……………………」
六角の言葉の全てを信じたわけではないが少なくともこの場で敵対する気はないのは本音であるらしいと判断してウィリアムは武器を下ろした。
「ありがとうございます。肩を並べて行動するのもなんですから私はお二人とは別の方へ行きますよ。それでは」
帽子を軽く脱いで頭を下げて六角は2人とすれ違ってウィリアムたちが来た方へと消えていった。
「あいつ、
「ああ。それもかなり強いな。数え切れないくらいの修羅場を越えてきた者に共通する雰囲気がある」
六角の姿が完全に消えてから2人は無人となった廊下の先を見てそう言葉を交し合うのであった。
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