第20話 真実はいつもマッスル

 大野田おおのだ房親ふさちか48歳。

 百貨店経営者。

 性格は生真面目で堅物であると彼は自分でも思う。

 しかしそれは誰にはばかるものでもない。

 自ら望んでそう生きてきた。

 冗談の一つも言えぬ、遊びも知らぬ。

 だが自分はそれでいいのだ。

 この生き方を好んでそうしてきた。

 恐らく生涯変わることはない。


 だが、この夜……。


 房親の全てを打ち壊す事件が起きた。


「有り金全部置いていけ、オヤジ」

「身体のどっかを無くしたくないだろ?」


 夜の裏道で自分は今ガラの悪い男たちに刃物で脅されている。

 この夜は人と会う約束があった。

 房親が帰るときに相手は車を出してくれると言ったのだが、歩いて帰れる距離だからと断った。

 そして普段使わぬ裏道に入りこの男たちと遭遇してしまった。


 ふざけるな、と。

 お前たちのような輩にくれてやる金などびた一文持ち合わせてはいない、と。

 そう叫んでやりたいのだが、喉から出るのは掠れた呻き声だけだ。

 全身は震えて冷や汗が止まらない。


 何故だ、何故自分がこのような目に遭っている?

 品行方正に誰にも迷惑をかけずに生きてきた自分が、何故?


 怒りと恐怖と絶望と困惑とすべてがごちゃ混ぜになった感情の中、房親は月のない夜空を見上げたのだった。


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 堅物を絵にかいたような人物であった大野田氏の様子が突然おかしくなったのが半年前だ。


「やはりその暴漢に襲われかけた一件というのが鍵になっている気がするな」


 朝食後のコーヒーを飲んでいるウィリアム。


「なんにも盗られなかったし怪我もしてないって話だけどねぇ」


 ハーブティーを飲んでいるパープル。

 昨日からの流れでこの紫頭の大男は朝からこっちの事務所に来ている。


「人生いつ何があるかわかんねーから遊んどいた方がいいって考えを変えたんですかね?」

「また随分とダイナミックな方針転換だな」


 エトワールにそう返事をしつつも、そういう事もあるかもしれないなとウィリアムは思う。

 そこで事務所の電話機が鳴った。


「はいこちら黒羽探偵事務所です……って、あーなんだオメーですか」


 あからさまに途中から声のトーンが変わるエトワール。


「へえ? はいはい、なるほどな。お疲れさんですよありがとな」


 電話を受けつつ何事かメモをとっているエトワール。


「陣八でしたよ。アイツ今日は仕事だからこっち来れないって。でも例の暴漢事件の時にオーナーを助けたやつの住所調べてくれたみたいですよ」

「それは助かるな。話を聞きに行ってみるとしようか」


 そう言ってウィリアムが立ち上がった。


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「よし、帰ろう。この事件はもう終わった。我々は手を引こう」


 振り返って立ち去ろうとしたウィリアムの肩をガッシリとパープルが掴んだ。


「ちょっとちょっと何なのよおここまで来て」

「離してくれッ! 私は帰るんだ!! 帰って布団かぶって寝るんだ!!」


 ぎゃいぎゃい騒いでいる一同。

 彼らは今6階建てのビルの前にいる。

 最上階に大きな看板の掲げられたビル。

 そこには『火倶楽プロレスリング社』という文字が記されていた。


「もういいよ……流れは読めたよ。オチもわかったよ……」


 ついにウィリアムは路上に座り込んで膝を抱えてしまった。


「どうしたのよこの人」

「まあセンセは昔レスラーと色々あってな……」


 この展開にはエトワールもそこはかとなく虚無の表情なのであった。


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 同時刻、大型百貨店『デスエキサイティング』オーナー執務室。


 ビシャアアアアッッッッ!!!!!


 破裂音のような、何かを引き裂くような音が響き渡る。

 虚空に舞うのは細切れになった生地の砕片だ。


「おおっと、またやってしまったか。先週新調したばかりなのになあ」


 シャツとスーツが弾け飛んでしまったので上半身が全裸になってしまった大野田オーナー。

 彼の肉体は男性神の彫像の如くパンプアップされ表面がテカっている。


「オーナー、またですか?」

「すまない。ちょっとスーツ売り場に行ってくるよ」


 秘書に言われて照れ笑いをしながら房親がオーナー室を出ていく。

 のっしのっしとマッスルな巨漢が廊下を進む。

 途中ですれ違った女性スタッフ2人が頭を下げてオーナーが通り過ぎるのを待ち、それから振り返った。


「本当に別人ね」

「筋肉もわからないけど、50近いおじさんの身長が半年で20㎝くらい伸びるのも意味わかんないわよね」


 そう小声でスタッフたちは囁き合うのだった。


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 ……救いの主は唐突に現れた。


剃律怒ソリッド梵爆ボンバーーッッッッ!!!!!!」


 突如として現れたマスクマンは悪漢2人を一まとめにラリアットで粉砕した。

 閑静な住宅地であったはずの周囲は巨大なクレーターになり、その中心にはどこまで深いのかもわからない黒い大穴が開いている。

 短刀ドスを持った2人組はその穴に深く突き刺さっているはずである。


「ありがとうございます。なんとお礼を言ってよいか……」

「気にすることはない」


 そう言って振り返った巨漢。

 白地に赤い縁取りのリングマスクに開いた口元から濃い灰色の口ひげを覗かせる男だった。


「何かあれば訪ねてきなさい」


 手渡された名刺には『火倶楽プロレスリング社 社長 マスク・ザ・バーバリアン』と記されていた。


「プロレスラー……」


 去り行くマスクマンの背を見送りながら目を潤ませて大野田氏が呟いた。


「おい何だ!? 何あった!? ガス爆発か!!??」


 そしてその背後で瓦礫の下からどっかのお父さんが這い出してきて叫んでいた。


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 結局、事の真相はウィリアムが想像して嘆いた通りで……。


 プロレスにドはまりした小野田オーナーは仕事帰りに火倶楽プロレス社に通いトレーニングを積み鋼の肉体を手に入れた。

 熱が入り朝帰りも珍しくなかったという事だ。


「奥さんは旦那の変貌を何とも思わなかったのかしらね……」

「太ったなあとは思ってたらしーですよ」


 パープルとエトワールのやり取りにやさぐれ気味のウィリアムが割って入る。


「160㎝の痩せた男が半年で180のビルダーみたいになってるんだから太ったとかそういうレベルの話じゃないだろう……」


 虚ろな目のウィリアム。


「それで周りのレスラー達に影響されて価値観が色々変化した結果、金髪ボイン最高になってったわけね。……連れて帰ってきたっていう金髪女は?」

「酔っ払いに乱暴されそうになってたのを助けたらしい。で、女の方もベロンベロンだったんでとりあえず自宅に連れてきたんだとさ」


 エトワールが肩をすくめる。


「天日干しは?」

「翌日二日酔いで女がグロッキーだったんで、日に当てたらどうにかならないかと思ったらしい」


 ならないわよ、とパープルが半眼になる。

 大野田氏自身が深酒をしない人だったので二日酔いの対処法などわからなかったのだ。


「もうレスラーはこりごりだよ……」


 肩を落としてとぼとぼと歩くウィリアム。


「こうして今日も町の平和は守られたのであった」


 結局ほとんど何もしてない所長代理が最後に〆た。


 ───────────────────────


 一方その頃、法巌国ほうがんのくに


「すぐ側にいたんじゃねえか! わし10日近くかけてこんなとこまで来たんじゃけど!?」

「いやワシだって幻ちゃんが煌神町にいたの知らんかったって! どこ住み?とか聞いてこんかったでしょうが!! ワシも幻ちゃん来るって聞いて慌てて戻ってきたんだから!!」


 大寺院の本堂ででっかい爺さんとちっさい爺さんがどたんばたんと取っ組み合いをしていた。


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