第33話 セイレーンは夜に唄う
……戦いは終わった。
ゼクウは消え去った。
或いはまたどこか遠くへと旅立ったのだろうか。
あれから数日が過ぎていた。
ウィリアムの切断された左足は辛うじて元の状態に接合する事ができた。
あの後皆でどこかに千切れ飛んだウィリアムの足を探し回り見つけてきたのはトウガだった。
塔からの干渉による異界の門の暴走はカルラが停止命令を入力する事で収まった。
実の所、カルラは北の大陸に来てから塔を目指したのではなく他の大陸の遺跡から直接塔に転移してきていたのだ。
他の仲間たちを連れてこれたのもこの転移機構を利用したからである。
これは彼女が元々属していた『
エトワールも無事だった。
……最も彼女は天敵のカルラのお陰で命が助かった事が気に入らなかったらしく意識を取り戻したあと暫くの間は不機嫌だった。
────────────────────────
ウィリアムはまたも病室の住人となっている。
運び込まれた日に「ええっ、またこの人なの?」と言っていた医師の言葉が思い出される。
今日は月の綺麗な夜だった。
夜半過ぎにウィリアムの病室の戸が静かに開く。
「……あら」
入ってきた柳生キリコは少し意外そうな声を出した。
ベッドの上のウィリアムは軽く片手を上げて彼女に挨拶する。
「今日は起きていたのね」
「なんとなく、君が来るような気がしてね」
キリコは背もたれの無い丸椅子を引いてベッドの脇に座った。
「貴方を殺しにきたの」
それはまるで「お加減はいかが?」と言っている様な自然で何気ない一言だった。
暫しの静寂が舞い降りる。
月明かりだけが照らす病室内には規則正しい時計の秒針の音だけが聞こえる。
「だけどその様子じゃ殺し合いは厳しそうね」
苦笑するキリコ。
「……どうして私を殺したいと思うんだ?」
浮かんだ疑問をそのまま彼女にぶつけるウィリアム。
ただ実の所、彼はその答えを何となく予測できている。
「貴方が好きになったから」
赤い唇が囁く愛と殺意。
「……沢山可愛い子を侍らせている悪い
むう、とウィリアムは唸った。
……反論ができない。
「私にとってこの世界で一番価値があって一番美しいものが『死』なの。だから私は貴方に死を贈りたい。私は貴方に殺されたい」
「残念だが、その想いには応えられないよ」
拒絶の言葉にもキリコの微笑は揺るがない。
「……そう? でも、私自信があるのだけど。貴方が私に惹かれてるって」
ぎし、とベッドを軋ませキリコが手を突いて身を乗り出してきた。
互いの吐息が感じられるほど近くに顔を寄せて瞳をじっと覗き込んでくる。
「どうして私たちが惹かれ合うのかわかる? それは貴方が自分が思っているよりもずっと死に近い場所にいるから」
「………………………………」
そんなはずはない。
バカな事を、と一笑に付せばいいだけだ。
それなのに……その一言が出てこない。
「貴方は自分の死を忌諱していない。心のどこかで当然のものとして受け入れている。それは貴方が魔人である事とは関係がないわ。もっと根源的なところから来ている想いよ。だから貴方はいざという時に迷わず
キリコがウィリアムの両手を取る。
そして……その手を自らの首に触れさせる。
「抵抗はしないわ。貴方が少し力を入れるだけで私の命は終わる」
キリコは手を放した。
ウィリアムの手だけが彼女の白い喉に指を掛けたまま止まっている。
「さあ、私を想って……ウィリアム。私を……
……この指先に力を入れれば……。
彼女は。
死。
………。
パァン!!!!!!!
「痛ぁい……!!」
その音でウィリアムは我に返った。
動悸が早い。いつの間にか全身に冷や汗を掻いている。
目の前には頭を押さえているキリコと、その背後に鬼の形相でハリセンを手にしたエトワール。
「ウチのセンセを妙な趣味に目覚めさせようとしてんじゃねーですよ!」
「いたた。もう……どこから出てくるのよ」
涙目で抗議するキリコにエトワールはふん、と顎で隣のベッドを差した。
そう、彼女はウィリアムの隣のベッドで入院していたのだ。
「
「オメーみてーに入院中のセンセにちょっかいかけてくる奴が大勢いるから準備してんですよこっちは。お陰様で大活躍ですよ」
既にここまでも乱用されまくっているハリセンは大分ボロくなっている。
はぁ、とため息をついてキリコがハリセンの一撃で斜めにズレた眼鏡の位置を直した。
「折角のムードが台無しじゃない。もう……今夜はここまでにしましょう」
立ち上がったキリコ。
そのついでにエトワールのハリセンをつい、と指先で撫でる。
するとハリセンは黒く崩れて消滅してしまった。
「あっ、テメー……ウチの折檻用ウェポン『マグワイヤーくん』を成仏させんじゃねーですよ」
「ふんだ」
つんとそっぽを向いてキリコは病室を出て行った。
後にはウィリアムとエトワールの2人が残される。
「……ふんっ」
ごん!!!!
ハリセンが無くなってしまったのでエトワールはウィリアムの頭に拳骨を落とした。
「痛い!!!!!」
ウィリアムが両手で頭を押さえて俯く。
「……何をあんなのに言い負かされそうになってんですかセンセ。言ってやりゃいーんですよ、俺はエトワールとラブラブで幸せだからこの先1万年生きるしオメーには用はねえ帰れって」
「いや……それは……」
口篭もるウィリアム。
彼自身自覚していない事だった。
だが、柳生キリコの言葉は確かにウィリアムの胸の奥の深い部分にある何かに突き刺さっていた。
「すまない。大変な事があった後だから少し疲れて心が弱くなっていたのかもしれない」
「…………まあ、いーですけど。センセはウチが死なせませんし」
そう言うとエトワールはウィリアムのベッドに上ってくる。
「でもヘタれた所見せたバツとして、今夜はセンセはウチの抱き枕ですよ」
ウィリアムにしがみ付いてニッと歯を見せて笑うエトワールだった。
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病院を出たキリコ。
目の前の道路には一台の自動車が停まっている。
彼女が後部座席に吸い込まれるとエンジンは掛けたままだった車は静かに走り出した。
「正直、先ほど貴女を送り出した時にもう戻ってはこないような気がしていましたよ」
ハンドルを握る六角が静かに言う。
「鋭いのね。そういう結末も有り得たわ。そうはならなかったけど」
流れる外の景色に目をやりながら何でもないことのように言うキリコ。
助手席の正臣は無言のままだ。
「そろそろ私はこの国を出るけど、貴方たちはどうするの? 一緒に来るならそれでもいいし、そうでないのなら殺して行くけど。……好きにしていいのよ」
「………………………………」
前の席の2人は黙り込む。
「……これが脅し文句ではなく口に出てくるのがこの
やがていつもの淡々とした口調で六角が言った。
「最悪ですよ」
心底嫌そうに顔を顰める正臣。
本当に、心の底から……彼女はその二択を等価値のものとして尋ねているのだ。
「まあ、調査室もめでたく閉鎖が決まった事ですし。私ももう少し生きていたいのでね」
調査室が閉鎖されるとはいえ、それは直属の上司であった家老宍戸の失脚からくるものであり、そういった部署が不要となったわけではない。
早々に似た役割の部署が創設され本来なら六角はそこに横滑りする事になっただろう。
それを拒めば幕府の暗部を知りすぎている自分は処分されるだけだ。
皮肉な事に、どこまでいっても彼に用意されているのは服従か死の二択なのだ。
「寄らば何とやらで。少なくとも私には幕府より貴女の方が恐ろしい。なので付いていきますよ、キリコさん」
「……最悪ですよ」
本当に心底いやそうにそう言って正臣は大きくため息をついたのだった。
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