第6話 戦帰りの男たち

 前回、ダイダラボッチの時は単純な命令を与えて遠くにいたのだがそれが災いして混乱している内に事態を収拾されてしまった。

 今回はその反省から何かあれば臨機応変に命令を上書きできるように比較的近くに潜んでいたのだが……。

 その判断が裏目に出た。

 コートの女のサングラスの奥の目が動揺と怒りに歪む。


「抵抗するもしねーもご自由にどうぞー。どっちみちお前の末路オチは変わらねー」


 エトワールの挑発にコートの女がギリッと奥歯を鳴らす。

 すると、ブロンドの美少女の周囲の空間に無数の鬼火が浮かび上がった。

 ゆらゆらと揺れながら虚空に浮いた人魂にエトワールは取り囲まれる。


「ほー?」


 それを別段慌てた様子もなく見回すエトワール。


「なるほどなー? 多数の偽物フェイクの中にいくつか本物の火が混じってるな。虚実織り交ぜて攻撃するやつか」

「……!!!」


 実際の攻撃に移る前から仕組みを看破されてしまったコートの女。

 額に無数の冷や汗の玉を浮かべて数歩後ずさる。


「ちくしょうめぇッッ!!!」


 叫んで鬼火を一斉にエトワールに向けて放ちながら女は背を向けて走り出した。


「チッ、往生際がよろしくねーですね」


 鬼火を全て障壁で防いで無傷のエトワールもコートの女を追って走り出す。

 女が息を切らせて細い路地から表の道路に飛び出した。

 ……そこに風切り音が響く。


「ぉ……ゴッ……!!」

「!!!」


 飛来した1本の矢がコートの女の首を斜めに刺し貫いた。

 その勢いで横に投げ出されて女が路上に転がる。

 眼前のその光景に後から路地を飛び出しかけていたエトワールは急ブレーキを掛けて停止した。

 同時に彼女は周囲に魔力波動を放っていた。

 その波動の反響エコーでエトワールは周囲の状況を走査スキャンする。その有効半径は500mにも達する。


「いねー! くっそどんだけ遠くから撃ったんですかね……」


 少なくとも半径500m以内には射手らしき存在は確認できない。

 奥歯を噛んで悔しがるエトワールの目の前でか細く痙攣していたコートの女が完全に動かなくなった。


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 ……倉庫街河川敷より凡そ2km南西。


 工場のような大きな建物の屋根の上に2つの人影があった。

 1人はふちのある帽子にロングコート姿で丸い眼鏡を掛けている男。

 眼鏡の奥には冷たい輝きを放つ細い目がある。どことなく爬虫類を思わせる雰囲気の男だ。

 そしてその男の後方にもう1人、スーツ姿で大きな和弓を手にした何者か。

 その弓を持つ方は前髪が長く顔半分を覆い隠している物静かな雰囲気の男。


「仕留めました」

「よし。では引き上げるとしようか」


 遥か遠方の動く的を一射で仕留めた射手の男は静かに成功を告げる。

 撤退を告げたのは丸眼鏡の男……六角武憲ろっかくたけのりだ。


「こういう下らん騒ぎを起こすにはうってつけの人材だったがね。足が付きかけていたからな。仕方がない」


 最後に一度振り返って感情を感じさせない声でそう言い残すと六角と弓を持つ男は闇の中へ消えていった。


 ────────────────────────


 騒動から一夜が明け、早朝の黒羽探偵事務所。

 結局あの後、ウィリアムらは通報を受けて駆けつけてきた警官うぐいす隊に犯人を引き渡したり状況を説明したりで事務所に戻ってこれたのは明け方近くなってからだ。

 流石に今回は通りがかったと言い張るわけにもいかずに素直に黒羽の手伝いをしたと言ってある。

 別段屯所に連れて行かれることも無く、隊士には後で話を聞きにいくかもしれない、とだけ言われて放免である。


 普通の人間ならここで眠気のピークで辛いところなのだが、いずれも人間ではないウィリアムたちは別に平気だ。

 戻ってきてからシャワーだけ浴びてさっぱりして今に至る。


 その間にも黒羽衆によって幻柳斎の下には昨夜の事件を起こした者の調査報告が届いていた。

 手渡されてウィリアムも書類を見る。


「『白郷しらさとキミヱ』妖怪『化け灯篭どうろう』……能力は幻惑や催眠による洗脳か」

「そやつが主犯でしょうな。口を封じられてしまったようじゃが」


 老人の言葉を受けてエトワールが「面目ない」というように両手を合わせる。

 とはいえ、幻柳斎もウィリアムもこれを彼女の失態とは別に考えていない。

 常識外れの超遠方からの一射で標的を射殺すような射手に誰がどうやっても対処はできなかっただろう。


「化け灯篭は古くなった石灯篭が化けた妖怪でしてな。白郷は特に依頼を受けて悪事を働く裏社会ではそこそこに名の売れた悪行妖怪でして、黒羽ワシらも目を付けておったんじゃが。今回は相手が一枚上手でしたのう」

「前回の大きな彼もこの女か」


 ウィリアムの言葉に老人が「でしょうな」と肯く。


「ここの所、素行には問題なかったはずの妖怪たちが突然錯乱して悪さをする事件が続いておりましたが、その大半……或いは全てが白郷の仕業だったんでしょうな。これで同種の事件は無くなるかもしれませんが、結局依頼主クライアントは無傷ですからのう。次は何をしてくるやら……」


 嘆息した幻柳斎が煙管に火を入れた所で事務所のドアがバーンと開いた。


「いや~なんかさ、道に迷ってわけわかんなくなって困ってて、そんで寝て起きたら目的地に到着してるなんてさ、魔法みたいだよね」

「泥酔して警察に担ぎ込まれるような夢も希望もねー魔法があるかアホ」


 暢気な事を言いながら入ってきた優陽にエトワールが嘆息しつつぼやく。


「あ……」


 その優陽の視線が幻柳斎に留まった。


「お爺ちゃん~!」

「お元気でしたかな、優陽様」


 がばっと抱き着かれて優しい笑顔を見せる幻柳斎。


「元気だったよー。もう、お爺ちゃん様付けはやめてよね。昔みたく呼んでよ。えーと……なんて呼ばれてたっけ私。『狂乱のインサニティ斬鬼ブレード』?」


 老人をぬいぐるみのように抱っこしながら首を傾げる優陽。


「いや、じゃから昔から優陽様と呼んどったんじゃが……」

「そんな名前で呼ばれてる幼児ガキイヤすぎるだろ」


 困惑する老人に突っ込むエトワール。

 そんな皆を見てウィリアムが苦笑するのであった。


 ────────────────────────


 煌神町の一角に薄汚れた灰色の4階建てのビルがある。

鬼哭興行きこくこうぎょう』の看板が揚げられたビルだ。

 そこは煌神町一帯を縄張りシマとするヤクザ組織、鬼哭会きこくかいの本部であった。


 今その組事務所に訪問客の姿がある。

 突如として事務所に押し入ってきたのは4人の男たち。

 4人ともスーツ姿ではあるが堅気ではないのは雰囲気で丸分かりだ。

 リーダー格の1人は特に2mに届こうかと言う巨漢であり、鬼瓦のようないかつい四角い顔にオールバックの髪型の威圧感の塊のような男であった。


「……もう一度言うぜ。この組は今日からオレのもんだ。お前らは全員オレの兵隊になるんだよ」


 3人掛けの大きなソファを1人で占領してニヤリと笑うリーダー格。


「正気か? オイ……ここは組事務所だぞ。真昼間からよぉ……ヤクでも食ってやがんのか!! あぁ!!?」


 奥の机にいた組長が怒鳴って回転式拳銃リボルバーを抜く。

 組長の怒号に呼応するかのように周囲の組員たちも拳銃や短刀ドスを抜く。


 しかし、4人の男たちは慌てた様子も無く互いに顔を見合わせて笑っている。


「そんなもん出してよ、オレらをどうにかできるつもりなのか」

「いいか? 雑魚ども……オレたちは全員いくさ帰りだ。乱の時代の生き残りなんだよ」


 男たちが嘲るように言う。

 戦とは大戦の事である。その参加者であれば人なら当然かなりの高齢……だが、目の前の男たちは全員そこまでの歳には見えない。

 つまり、4人とも妖怪であるという事だ。


「お前ら……うちの上には武侠連ぶきょうれんがいるんだぞ……」


 組長が掠れた声で言う。

東州とうしゅう武侠連ぶきょうれん』とは、北方大陸の東部全域のヤクザ組織の連合体である。鬼哭会はその武侠連に所属する下部組織の1つなのだ。


「クカカカカ!! そりゃいいぜ、たった4人に殴り込みカチコミされて上部組織うえに泣き付くわけか!! それでその先この業界で飯食っていけるのかお前? クカカカカ」


 リーダー格の男の言葉に組長がギリギリと歯を鳴らした。

 男の言う通りであった。

 ヤクザの世界は見栄と面子で出来ている。

 舐められたら終わりなのだ。

 そんな組には組員は居着かない。

 構成員に出ていかれて組の維持ができなくなるわけだ。


 ギシギシとソファを軋ませてリーダー格の男が立ち上がった。


「明日の夜にまた来る。それまでに組を明け渡す準備をしておくんだな」


 出て行くリーダー格に3人が従う。

 その内の1人が去り際に振り向いた。


「オレたちが仕切ればこの組はバカでかくなるぜ。大人しく言う通りにしてればお前らにもいい目を見せてやるよ」


 ドアが閉まり事務所内には沈黙が舞い降りる。

 そこにはただ時計の秒針が時を刻む音だけが響いていた。


 ────────────────────────


 バー『エンジェル・ハイロゥ』

 営業時間外の薄暗い店内でテーブルを挟んで2人の男が向き合っている。


 1人はこの店のオーナー。

 白いスーツの男……紫薔薇パープルローズ


 そしてもう1人は鬼哭会の組長だ。


「なあ……頼む! この通りだパープル!! 手を貸してくれ……!!」


 テーブルに手を突いて組長が頭を下げている。

 対するパープルは気乗りしない様子の顔である。


「アンタねえ、私は一般人パンピーよ? ヤクザが泣きついてくる相手じゃないんじゃないの?」

「そ、そうは言ってもよ! 俺はもう他に誰も頼りにできる奴がいねえんだよ! 悔しいが連中の言う通りだ……この件で武侠連に泣きついたらどっちにしろうちはもう看板下ろすしかなくなっちまう!!」


 興味なさそうに手鏡を出して化粧メイクの乗りをチェックしていたパープルであったが……。

 やがて何かを思いついたように手鏡に映る目が一瞬輝いた。


「そうね、私はアンタたちの手助けはしないけど……知恵だけは貸してあげてもいいわ。要は4匹ソイツらをどうにかできればいいんでしょー?」


 そう言ってパープルは組長にニヤリと笑って見せたのだった。






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