第5話 紫の薔薇

 うぐいす隊の屯所にウィリアムが出向いて優陽を引き取ってきた後、連れ帰った彼女は眠りこけていたのでそのままベッドに放り込まれた。

 そして一息ついて日も落ちた頃。


「夕餉は外で取りましょうか。付いてきて頂けますかな」


 幻柳斎老人がそう言ってウィリアムとエトワールの2人を外へ連れ出した。

 日中は静かな界隈が夜になると俄かに息を吹き返し通りには大勢が繰り出している。

 賑やかで活気があり煌びやかで昼間のように明るい。


「この辺は歓楽街ですからのう。夜になってからが本来の顔ですわい」


 そう言って歩く老人に挨拶をしていく者も多い。

 親し気に、かつ敬意を払う感じで声を掛けていく者が大半だ。

 老人がこの界隈では親しまれ、かつ敬われているような様子が伺える。


 そんな中、ウィリアムの視界に通りに立つ1人の男の姿が映った。


(……ぬおっ)


 内心で息を飲む。

 もの凄いインパクトの男だ。


 まず、でかい。身長180台半ばのウィリアムよりも長身である。190以上はあるだろう。

 白いスーツの上下に黒のシャツ……そしてそのスーツの胸には紫色の薔薇が刺繍されている。

 太い腕に盛り上がった胸板。服の上からでもその筋肉の量がわかる。

 引き締まった逆三角形体型であり腰回りはスマートだ。

 そして胸の薔薇同様に紫色に染め上げられた髪は天を突くように逆立っている。

 それだけで十二分にインパクトがあるのだが……。


「あぁ~ら、黒羽のご隠居。今日は随分ステキなお兄さんを連れてるじゃないのよ~」


 薔薇の刺繍の男もこちらに気が付き、ハスキーな裏声で声を掛けてきた。


(センセ、ばかでけーオネエですよ)

(う、うむ……)


 小声で囁き合うウィリアムとエトワール。

 そう、この男は紫色のアイシャドウに口には紅を引いている……姐漢アネゴなのである。


「こんばんわ、むらさきの。こちらワシの客でウィリアム先生と助手のエトワールさんじゃ、よろしく頼むわい」

「こんばんわぁ~お初よお~。私は紫薔薇パープルローズ……この辺りじゃ『パープルさん』で通ってるのよ。よろしくお願いしちゃうわあ~」


 握手を交わしてからウィリアムは渡された名刺を見てみた。

 そこには『バー・エンジェル・ハイロゥ オーナー 紫薔薇』とある。

 見上げると彼の背後の大きな建物に『Angel Halo』の文字と天使のネオンサインが色鮮やかに煌めいていた。


「ご隠居たちお食事はこれから? なら是非寄ってって頂戴。今日のステキな出会いを記念して一杯奢らせてもらっちゃうわよぉ?」

「ふむ、ならお言葉に甘えることにしようかの。入りましょうか先生がた。ここは料理も酒も間違いないですぞ」


 老人が同意してウィリアムらの今日の夕食の場が決定した。


「はぁい決まりねえ。ちょっと! こちらお席にご案内して頂戴。お飲み物は私のおごりでね」


 店内にパープルが呼び掛けるとすぐに蝶ネクタイのスタッフが出てきて丁寧に案内してくれる。


(オーナーみたいのが大量に出てきたりするんだろうか……)


 内心ちょっと不安になるウィリアムだった。


 ────────────────────────


 ウィリアムの危惧は実際には杞憂であり、店内は濃ゆいオーナーとは裏腹に落ち着いた雰囲気のジャズバーであった。

 ギラギラした感じはまったくなくシックにまとまった内装だ。

 ステージではナイトドレスの女性が艶のある歌声を披露している。

 客側も弁えたもので賑やかながらも品が無く騒いでいるような者は1人もいない。


 そして料理も酒も老人が薦めるだけあり舌の肥えたウィリアムたちでも十分満足のできるものであった。


「紫はこの辺りの顔役でしてな。夜の街一帯を仕切っておるんですわ。ワシも面倒は見てるんじゃが昼の間も町全体もなので夜の街に紫みたいのが睨みを効かせてくれとるのは頼もしいですのう」


 食事を終えて一服しながら幻柳斎老人が言う。

 見ればちょうど歌い終えたドレスの女性がパープルに歩み寄る所だ。


「よかったわよお。喉がこなれてきたんじゃなぁい?」

「姉さん~」


 2人は熱く抱擁を交わしている。


「……あの歌い手の娘は妖怪でしてな」


 顔を寄せた老人が小声で言う。


「本来ならばこの辺りでは働けんのです。妖怪がこの辺で働くには幕府の御許しがいるんじゃが、相当なコネと袖の下ワイロがいりますでの。まずそこいらの妖怪では無理な話なんですわい」

「パープルはその事を?」


 ウィリアムの問いに老人は肯く。


「勿論知っとります。他にもあれの面倒見てる店には似た境遇の妖怪が結構働いておりましてな。自分を頼ってきた者たちに働き口を世話してやっとるんです」

「あぶねー橋を渡ってんのね」


 食後のデザートのシャーベットを食べながらエトワールが言う。


「ですのう。まあ、正直ワシも似たような事はいくらでもやっております。現状、ルールを律儀に守っておったんでは妖怪たちはとても救いきれませんでの。それでも、煌神町ここ社隊長うぐいすが警察隊としては理解のある男なので他所に比べれば大分マシな方なんじゃが……」

「という事は、当然パープルは妖怪か」


 別の意味で人間離れはしているが……と思いつつウィリアムは壁際で目立たぬように店内を見ているパープルの方を窺う。


「でしょうな。最も何の妖怪かはわからんのです。黒羽一族うちでざっと調べたことはあったんですが追いきれませんでの。そうこうしている内に協力関係のような間柄になったもんで、そうなるともうあまり詮索はするまいと思いましてな」


 煙草に火を着け、ゆっくりと紫煙を吐く老人。


「謎は多いが、この町の夜には必要な男ですわい。今はそれでええと思っておりまする」


 そう言った老人の作った煙は虚空に輪を描いて消えていった。


 ────────────────────────


 食事を終えた3人がテーブルでゆっくりしていると、店内に音もなく気配もなく素早く1人の男が入ってきた。

 これといって特徴のない着流しの中年男だ。


「翁……」


 男は素早く幻柳斎のテーブルに近寄ると何事か老人に耳打ちしている。


「そうか、わかったすぐに行く」


 真剣な表情かおになった老人が立ち上がった。


「ちと用事ができましてな。お二方はごゆっくり……」


 幻柳斎の言葉の途中でウィリアムとエトワールも立ち上がる。


「行きましょう。ご一緒します」

「食事だけご馳走なって知らん顔はできねーですね」


 2人の言葉に老人が表情を綻ばせる。


 そんな慌ただしく会計を済ませて店を出ていくウィリアムたちをパープルが冷静に観察していた。


 ────────────────────────


 店を出て人気のない路地に入った3人は跳躍すると建物の屋根から屋根へと飛び移りながら移動を開始した。

 つい先ほどまで楽しく食事をしていた界隈はあっという間に背後に流れて行って見えなくなる。

 三日月を背景にウィリアムたちが煌神町の空を行く。


 目的地に到着するとそこは倉庫街に面した河川敷であった。

 1人の……否、1匹の妖怪を数人の男たちが取り囲んでいる。

 取り囲んでいる男たちは服装、年齢共に共通点のない普段着姿。

 そして、囲まれているのはトレーナーにズボンというありふれた格好の獣の顔の妖怪だ。


「遅くなった」


 駆け付けた幻柳斎が囲みの背後から声を掛ける。


「翁、鎌鼬かまいたちです。正気を失ってます。2人襲って怪我をさせてます。被害者はもう病院へ……」


 取り囲んでいる男の一人が振り返らずに言う。

 彼らは全員黒羽一族の者だ。

 囲まれている妖怪は……成程、その名の通りに鼬の顔をしている。

 周囲を威嚇するように細い息を吐いて睨みつけている。


「ご苦労。後はこっちでやるわい。……先生、気を付けて下され。鎌鼬は真空の刃を使う妖怪じゃ」

「了解した。まず私に任せてほしい」


 先日のダイダラボッチの一件と同じだ。

 殺さずに大人しくさせる。

 黒羽の1人から鉄杖を借り受けるウィリアム。

 斬る必要はないのだから、彼にとってはこれで十分だ。


 囲みの男たちが距離を取る。


 鎌鼬もウィリアムに気付いて注意を彼へと集中した。

 この場で誰よりも警戒しなければならない相手を本能で感じ取ったのか……。


 鎌鼬は振るった腕から真空の刃を発生させる事ができる。

 だが……。


「!!!?」


 ウィリアムが踏み込んだ瞬間、鎌鼬の視界から彼は消失していた。

 見えない者には……見えない速度で接近する者には打つ手がない。

 出鱈目に真空波を放つつもりで腕を振り上げたその時、灰色の髪の男は既に攻撃を終えていた。


 ……バシィッッッッ!!!!!


 肩口を高速で打ち据えられ、その勢いで鎌鼬が縦に跳ねた。

 その時には既に妖怪の意識は飛んでいる。


「……おぉ」

「なんたる……雷光の如し」


 周囲の黒羽の者たちが思わず感嘆の呟きを漏らす。


 その悶着の一部始終を少し離れた物陰から見ている者がいた。

 コートにサングラスの女だ。


「くっ……」


 鎌鼬が倒されるのを見て女は忌々し気に下唇を噛むと踵を返しその場を後にしようとする。


「まー、お待ちなさいよ。そんな偓促あくせくしないでさ」

「!!」


 振り返った彼女の視線の先にはブロンドの美少女がいた。

 直前までは誰もいなかったはずの空間に忽然と。


「うちのセンセの殺陣たてはそうお安いもんじゃねーんですよ。帰るならちょいと見物料頂戴しときましょーかね」


 そう言ってエトワールはニヤリと不敵に笑うのだった。



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