第4話 握り飯の取り分

 煌神町こうがみちょう、『うぐいす隊』屯所。

 その取調べの間。


「……わかりません。何も、覚えていなくて……」


 椅子に座った大柄な男が所在なさげに肩を丸めている。

 朴訥そうな中年男である。

 この部屋には今、その彼と机を間に挟んで正面に1人、背後に2人……合わせて3人のうぐいす隊士がいる。


「思い出せないのです。自分が何故常妖地じょうようちを出てあんな煌神の町中にいたのかも……。何も、思い出せないのです」


 心底申し訳なさそうに、男はか細い声で言う。

『常妖地』とは幕府によって定められた妖怪たちの居住エリアであり、多くの妖怪たちはこの常妖地を許可無く出る事は許されない。


 この男は先頃町中で巨大な正体を現し騒ぎを起こしたダイダラボッチである。

 現在は事件の取調べ中だ。

 しかし、男は何もわからない、覚えていないを繰り返すだけであった。


 取調べを中断し見張りを残して隊士たちが出てくる。

 そこで待っていたのは眼鏡を掛けた女性隊士だ。

 うぐいす隊の副長……南雲なぐもひびきである。


「どうだ?」

「相変わらずです。覚えていない、わからない……それだけですわ」


 響の問いに肩を竦める隊士。


「副長、自分はあいつは嘘は言ってない気がしますね」

「そうだとしても、それなら無罪放免だとはならん。何か少しでも事件の背景になるものを探り出せ」


 響の言葉に隊士が神妙な顔で肯く。

 そして南雲副長はその足で隊長室へと向かった。


「南雲です。失礼します」

「はぃよ~」


 引き戸をガラッと開いて一礼し響が室内に入る。

 正面のくたびれた木製の机に座っているのはうぐいす隊の隊長、やしろ景一郎けいいちろう

 そしてその机の斜め前には普段はこの場にいない者……中折れ帽を被ったスーツ姿の神経質そうな男が立っていた。

 目の細い痩せた男だ。

 容姿にはそぐわない丸い愛嬌のある眼鏡を掛けている。

 スーツ姿ではあるが帯刀している。

 この男の周囲の空気だけが冷え込んでいるような気がする。

 そんな得体の知れない寒気を纏った男だった。


「お疲れさん。こちら、火倶楽城おしろから」


 社隊長の紹介にスーツの男が帽子を取って頭を下げる。


六角ろっかくです。お見知りおきを」


 渡された名刺を見る響。

 そこには『火倶楽城情報調査室・室長 六角武憲たけのり』とある。


(情調……諜報部か)


 ピリッと神経を緊張させる響。

 情報調査室……彼らは権力の暗部にいる者たちだ。

 国家……幕府に害となるものを調べ上げ、時には排除する事を生業とするエージェントたち。


「取調べの様子を聞きたいんだとさ」

「残念ながら何も。わからないし覚えていないそうです」


 ありのままを事務的に報告する……

 ふむ、と六角が白手袋の指を顎に当てた。


「何か、こう……幕府や人間に不満があるような素振りは?」

「それは、というお話か?」


 一瞬の空白が生まれる。

 数秒間の無言の間。

 そして六角はふふ、と薄く笑う。


「いえいえ、私の想像ですよ。最近そう言った妖怪やからが増えているとの報告もありまして。いやはや物騒な事ですな」


 そして六角は薄い笑みを顔に貼り付けたまま2人に頭を下げる。


「それでは私はこれで。またお邪魔する事があるかもしれません。その時はよろしくお願いしますよ」

「お疲れさん」


 ひらひらと気のない手の振り方をして見送る隊長。

 六角が静かに退出すると、部屋には2人が残される。

 うぐいす隊長が気だるげに首を傾けてポキポキと鳴らした。


「ひ~びきちゃーん……踏み込みすぎだよ」

「構わないでしょう。歓迎されてない事など向こうも百も承知です」


 平然と流しながらお茶を淹れ出す響。


「どうにかして妖怪は悪いという流れに持っていこうと、色々動いていますね」

「ん、ま~ねぇ……」


 響から渡された湯飲みに口を付ける隊長。


「机の上に握り飯が並んでてさ、今それを妖怪が食う分を増やしてやらないかって話になっているワケよ。でも握り飯の数は決まってるんだからさ、そうすると他の誰かの食う分が減る事になる」

「それを良く思っていない者がいると?」


 熱いお茶を一息に飲もうとして隊長が舌を出して涙目になった。


「というよりは……その不満が幕府うえに行くことを嫌がってるんじゃないかね。なんだかんだここまで幕府は支配の為のガス抜きの対象として妖怪たちを利用してきたわけだ。生活に……政治に不満のある者がいたとして、そういう連中が妖怪を見て『あいつらよりはマシだ』と思って不満をぶちまけるところまではいかないって仕組みでさ」

「イヤな話ですね」


 眉を顰めた響の眼鏡の奥の瞳が不快そうに細められる。


「統治ってのはキレイごとじゃ済まないからねえ。ま、戦争に負けるっていうのはそういう事だ」

「………………………………」


 黙って響も湯飲みを傾ける。

 すると俄かに部屋の外が騒がしくなった。


「ちょっとちょっと、ねえねえ……ここどこなの? あ~後、私はだれなの? 自分は何者かなんてテツガクテキな問いだよね! あははははは!!」


 誰かが連れてこられたらしい。

 騒々しい女性の声がここまで聞こえてくる。


「ああ……また自分が誰なのか何もわからない者が」

「いや酔っ払いでしょあれは」


 半眼で言う隊長であった。


 ────────────────────────


「本当に……ご迷惑をお掛けいたしまして」


 ウィリアムが深く頭を下げる。

 目の前のうぐいす隊士たちは苦笑している。

 幸いにして彼らはあまり怒ってはいないようだ。


 ……しかし、いい若い者(見た目は)が昼間から泥酔して警察隊の屯所に担ぎ込まれたのだ。

 体裁は非常に良くない。


 優陽ゆうひはここに連れてこられて自らの行き先として黒羽探偵事務所だと告げて寝てしまったらしい。

 それで事務所に電話が入りウィリアムが慌てて出向いたというわけだ。


「ほら、優陽……帰るよ」

「う~……おんぶ……」


 長椅子にぐで~っと伸びている優陽の肩をウィリアムが揺すると彼女が腕を伸ばしてきた。

 仕方がないので背負うウィリアム。


「うふふ……先生愛してるよぉ」


 酒臭い愛の囁きに思わず苦笑が漏れるウィリアムだ。


 そんな屯所を去っていく2人の後姿を隊長室の窓から隊長と響の2人が見ていた。


「黒羽事務所には最近珍客が多いようですね」

「あのジイ様の客ならとりあえず心配はいらんよ。油断ならんおきなではあるけどさ、人と妖怪を仲良くさせたいって思想は本物だから。どっちかにでも害のある奴ならジイ様は仲良くせんさ」


 窓枠に右手を置いて外を向いたままの響。


(だが、あの女の方は相当の化け物だ……)


 その袖の下の腕にはまだ鳥肌が立ったままだ。

 南雲響にここまでの戦慄を与える事のできる者はそうはいない。

 彼女はウィリアムたちが敷地を出て姿が見えなくなるまで窓の側を離れることはなかった。


 ────────────────────────


『常妖地』忌川町いみかわちょう

 閉店時間となり、一日の営業を終えた雑貨店。

 その入り口でエプロン姿の男がシャッターを閉めている。

 気の弱そうな風貌の青年である。


「……あの、すいません」


 その後ろ姿に声が掛けられ男がびくりと肩を震わせた。

 おずおずと彼が振り返ると、そこには女性が1人立っている。

 コートを羽織ったサングラスの女性である。

 身に着けているものはそこそこの値のしそうなものばかり。

 そしてどことなく品があり、どこか良い家の夫人という感じだった。

 そんな人はこの町では滅多に見ないので青年は意外に思った。


「申し訳ない。今日は店じまいなんですよ」


 恐縮して頭を下げる青年。


「そうですか。探しているものがあるんですけど……」


 そう言って右手を差し出す女性。

 空を向けた掌の上に小さな青白い炎がゆらゆらと揺れている。


「こういうものなのですが」

「………………………………」


 何故か、その炎に目を奪われてしまう青年。

 視線を外せなくなり他のことが気にならなくなってくる。


「大事なものなんです。探してくれますよね?」


 女性の声にはエコーが掛かっていて、まるで脳に染み込んでくるかのように青年の意識に強く訴えかけてくる。


「はい……」


 虚ろな目で返事をして肯く青年。


 それからしばらくして奥からエプロン姿の小太りの中年男が出てきた。


「おーい、何時いつまでかかってんだ……」


 中年男が周囲を見回すが青年の姿はどこにもない。

 シャッターは半ばまで下ろされた所で放置されている。

 シャッター棒は足元に転がっていた。


「あれ? あいつどこ行ったんだ……?」


 怪訝そうな顔で中年男は誰の人影もない暗い路地で周囲を見回すのだった。






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