第16話 私の戦う理由

 昼下がりの町の中を2人の女性が忙しそうに動き回っている。


「おーい、しげお~。しげお出ておいで~」


 茂みや物陰に向かって声を掛けている優陽ゆうひ


「ミーコだっつの! 性別すら合ってねー!!」


 その後ろに付いて回るエトワールがグッタリしたように突っ込んだ。


「あ、そーか。またごっちゃになっちゃったよ」

「誰とごっちゃになったんですか。誰だよシゲオ」


 てへ、と若干ムカつく感じでぺろっと舌を出した優陽が引き続き迷い猫の捜索に戻る。


「しかし……結構マジメにやんのな、オメー」


 エトワールは意外そうである。

 普段のぐうたらな姿を見ているからであるが。


「そりゃやりますよー。お仕事だもん」

「ウソこけ。普段は仕事でもマジメにやらんでしょーが」


 半眼のエトワール。

 優陽は「んー」と何かを考える。


「シゲコが見つかったらあのお母さんは喜ぶよね?」

「遂に合体してんぞオイ。まあそりゃ喜ぶでしょーよ心配そうにしてたしな」


 依頼主のおばちゃんを思い出す2人。

 いかにもな肝っ玉母さんという感じのマダムであったが、飼い猫が余程心配であるのか気の毒なほど萎れてしまっていた。


「それなら頑張らなきゃね。……結局さ、私が昔兄上の名前で戦ってたのだってそういう事だったし」

「ん?」


 怪訝そうな顔のエトワールを振り返って優陽がニヤッと笑う。


「お城で暮らしてるような人たちって、笑ってられなきゃ自分たちでどうにかしそうじゃない? だけど町で暮らしてる人たちって中々そうもいかないんじゃないかなって。だから、その辺に暮らしてるフツーの人がフツーに笑ってられるように私は戦ってるんだよねー」


 優陽による非常にざっくりとした権力者評である。

 さしものエトワールもこれには思わず苦笑せざるをえない。


「ほー。優陽さんは平凡な平穏を守りたくて戦ってますと」


 そうそう、と優陽がカクカク肯いた。


「フン。ぐーたらダメ人間かと思いきや時たまこっちをジーンとさせるよーな事を言いやがりますね。そんじゃウチもウィリアム事務所の看板娘のプライドってもんを見せてやりましょーかね」


 腕まくりをするような仕草をするエトワールであった。


 ────────────────────────


 ……そして、夕刻。


「たっだいまー! いい子にして待ってたかな?」


 優陽とエトワールの2人が黒羽探偵事務所に帰ってきた。

 二人は大きな籠に一杯の野菜を持っている。

 ミーコ見つけて届けたらマダムがお礼にと持たせてくれたものである。


「お、お、お帰りなせえ姐さん!! 男、葛城……しっかり留守をお守りさせて頂いておりました……ぜ……は、はははは」


 まるで油の切れたカラクリ人形のような死ぬほどぎこちない動きで陣八じんぱちが挨拶する。

 どうしようもなく挙動不審なのだが幸い優陽とエトワールの注意はすぐに別の方へと向いた。


「先生!! おかえりー!!!」


 ガバッと抱き着いてくる優陽をウィリアムが優しく抱き留めた。


「ただいま、優陽……心配をかけたね」

「くっつきすぎだっつーの」


 普段ならここで一撃入れている所なのだがウィリアムがまだ負傷中であるからかエトワールの手が出ない。

 そんな3人のやり取りを見ながら陣八がそっと冷や汗を拭う。


 ……昼過ぎに牙嵐がらん……実は生きていた妖怪王ゼクウが事務所から立ち去った後のこと。

 2人がようやく口を開く気力を取り戻せたのは黒衣の男がいなくなってから10分以上も経過してからの事だった。


「な、なんなんスか兄さん!! あのヤローは!? ま、ま、ま……まさか本当に……」


 必死に詰め寄ってくる陣八にウィリアムは困り果てた顔で唸った。

 偶然居合わせた彼に背負わせるには余りにも重い真実。

 だが、もうごまかすには彼は話を聞きすぎてしまっている。


「陣八、君に今から本当の事を話そう。だが、それは君の胸の中だけにしまって誰にも口外はしないでほしい。例え優陽であってもだ。約束してくれるか……陣八」


 ウィリアムの静かな迫力に気圧されたのか言葉に詰ったように陣八は一瞬黙り込んだ。


「わかったっす。男と男の約束です、兄さん」


 沈黙の後で陣八はそう言うと力強く肯く。

 その目の光に偽りは無しと見てウィリアムも腹を括って彼を信じる事に決めた。


 そしてウィリアムは真実を語った。

 先ほどの男は妖怪王ゼクウである事、そして天河てんかわ優陽ゆうひという女性が歴史に語られるその妖怪王を討った悲劇の英雄嘉神かがみ刻久ときひさである事。

 そして、そのどちらもが死んではいなかったという事。


「マジか……姐さんが嘉神刻久だっつーのかよ……。俺が歴史の授業で習ったあの……」


 そこでハッとしたように陣八がウィリアムを見る。


「けど、そんじゃ兄さんは……。姐さんは小さい頃から兄さんに剣を習ってずっと一緒に暮らしてるって……」


 そんな彼にウィリアムは曖昧に、そして少しだけ寂しげに笑いかけた。

 その先はもう……蛇足だろう。


 ウィリアムの表情から陣八も何か察するものがあったようだ。


「わかりました兄さん。男、葛城……今の話は誰にも言いません。墓まで持っていきますぜ」


 そう言って陣八は力強く肯いたのだった。


 そして優陽たちが帰ってきたわけだが……。


 彼の口の堅さが信用できるという話と、スマートにごまかせるかという事はまったくの別問題なのだという事をウィリアムが痛感する。

 とにかく陣八の動きがぎこちない。

 エトワールはもう完全に怪しいと思っているだろう。

 優陽は……ちょっとよくわからない。

 優陽の知性や勘の良さは場面場面で激しく上下するのだ。まるで本人の戦い方の如く縦横無尽で予測不能なのである。


 優陽にゼクウの事を伏せたのはウィリアム自身もよく理由はわかっていなかった。

 それを知れば彼女はどうするだろうか?


 ……再度、妖怪王を討つために戦いに赴くのだろうか?


 ウィリアムは個人的にはそんな事はする必要がないと思う。

 彼女はもう十分戦ってきた。十分傷付いてきた。


 しかし、そうは言ってももしもあの妖怪王が再び世界に害を為そうと力を振るったら……。


 誰があの破壊の獣を討てるというのだろうか。


 ────────────────────────


 火倶楽隣国、法巖国ほうがんのくに


 地図上において火倶楽の右斜め上に位置するこの国は城の代わりに大寺院『壱幡寺いちばんじ』が中枢拠点となる珍しい国風をしている。


 己を鍛え上げる事を善とし男女問わず国民のマッチョ率が異様に高い事でも有名な国だ。


 その壱幡寺の大仏殿に今、小柄な老人が1人座していた。

 紺色の作務衣姿の老人……黒羽くろば幻柳斎げんりゅうさいである。


 全高20m近くもある、余所で見かけるそれとは異なり明らかに筋肉質な大仏が座す静寂の空間。

 今その静けさを破りのっしのっしと足音が響いてくる。


「お待たせしてしまいましたな」


 低くてよく通る声が広い空間を震わせる。

 穏やかに微笑んだ幻柳斎がゆっくりと首を横に振る。


「いやいや、こちらこそ突然押しかけてしもうて。ご無沙汰しておりまする」


 老人の眼前には今袈裟を着た天を突く巨漢が立っている。

 彫りの深い皺の刻まれた日焼けした肌に分厚い口髭の男。

 灰色の長髪はオールバックに背中へと流されている。


 彼こそは嘉神家の客将、初代将軍征崇まさたかの側近として大戦を戦い抜いた豪傑、芭琉観ばるかん和尚である。


「とんでもござらん! 幻柳斎殿ならばいつでも歓迎致しますぞ。……ですが、何やらお急ぎのご様子。それがしとの旧交を温めに参ったというわけではないようですな」


 芭琉観の言葉に幻柳斎は一瞬視線を伏せた。


「実は、是非に和尚の……否、法巖国主様のお力をお借りしたい事態が生じておりましてな……」

「わかり申した。お話お伺いいたしましょう」


 幻柳斎に向かって力強く肯いた和尚であった。



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