第14話 天河優陽所長代理

 火倶楽市かぐらし煌神町こうがみちょう黒羽探偵事務所。

 その早朝。


 所長の席に今座っているのが……。


「所長代理ですよーんだ。敬いたまえよー」


 ふんぞり返っている優陽ゆうひ

 胸にはリボンの付いた赤い薔薇の飾りを着けておりそのリボンには『所長代理』と記されている。


「何かあれば手を貸してやってくれって……ご隠居から連絡があったっていうから来てみたんだけど。どういう事なのよ~? これぇ」


 肩をすくめる白いスーツに紫頭の大男、パープル。

 その視線の先はエトワールだ。

 この状況の説明を求める相手としては適切な人選であった。


「爺さんがしばらく留守するんですってよ。行き先はウチらも聞いてねー」


 テーブルに肘を突いてその手に顎を乗せて返事をするエトワール。


 ……それは、ウィリアムに呼ばれた幻柳斎が病院に行った翌日の事であった。


「ちと、遠出しなくてはならん用事ができてしまいましてな。留守をお願いしたいんじゃが」


 朝食を取り終えると老人は唐突にそう言い出したのだ。


「そりゃ構わねーですけど、幻ジイ外したらここ黒羽のモン誰もいなくなっちまうんですが?」

「ワシは皆の事は家族と思うておりますでな。その点は問題はござらぬ。もしこのジジイの留守中に何かありましたら皆の裁量で捌いてしまってくだされ。一応近くにおるすぐ動ける一族の者の連絡先を置いていきまする。後は紫にも声を掛けてから出ますでの」


 するとソファーでだらーんと伸びていた優陽が急に元気に跳ね起きた。


「つまりこのゆーひさんがお爺ちゃんがいない間の所長さんになるって事よね?」

「なんでそーなんですか。いいから寝てろよテメーは」


 半眼で鬱陶しそうに手でシッシッと追い払う仕草をするエトワール。


「ほほほ、それで構いませんぞ。お願いできますかな優陽様」

「え? 本気で言ってんですか? 昔のイメージで喋ってるかもしれねーですけど今のコイツが大活躍すると大体巻き起こるのは涙と怒りの大騒動だぞ?」


 うげ、と露骨に頬を引き攣らせるブロンド美少女。


「その時はエト嬢ちゃんが助けてあげてくだされ」

「つーか現在の人員配置だと自動的に尻拭いはウチになるんですけどね……」


 トホホ顔で肩を落とすエトワールである。


 ……そして現在。


「なるほどねぇ。アンタも苦労してんのね」

「うっせーですね。センセが変なモンをあれこれ拾ってくるからもうしょうがねーんですよ」


 同情と言うかどちらかと言えば呆れている口調のパープルをエトワールがジロッと睨む。


「ま、てきとーに頑張んなさいな。一応私は店にいるから何かあれば言ってきなさい。気が向いたら手を貸してあげるわ」

「あー、容赦なく巻き込んでやるよ」


 やや投げやりなエトワールだ。


「おっかないわねえ……」


 くわばらくわばら……と大きな肩を縮こめるようにしてパープルは帰っていった。


 ────────────────────────


 王牙会おうがかいの動向を調べるために半年前から西州に赴いている黒羽くろば疾風はやて獅子王ししおうの2人。

 彼らはここ数週間、王牙会のアジトであるバー『幽世かくりよ』の近くに宿を取り周辺の調査を行っている。


 それは2人が公園で泥酔する王牙会の総長、牙嵐がらんの姿を確認して10日ほどが過ぎた日の事だった。


「連中に何かあったらしいな。昨日の夜あたりからアジトが騒がしくなってやがる」


 安ホテルの一室に戻ってきた疾風はドアを閉めるなりそう言った。


「ほう。西州にはもう奴らに厄介ごとを持ち込めるような相手もいないように思うがな」


 鉄塊を巻き付けた棍棒を己の身体に絡み付かせるように振る鍛錬をしている獅子王。


「そうだな。東から何かアクションがあったような話もないしな。引き続き探りを入れてみよう」


 言いながら疾風は紙袋からパンや缶詰を取り出し机の上に並べた。


 ……同時刻、バー幽世。


 顔面を歪ませ血だらけにした王牙会の構成員が床に這いつくばり頭を下げている。

 その前に立つのは拳を返り血で汚した斬因ざいんだ。


「わかりません、で済む話だと思ってやがるのか。……あぁ?」

「申し訳ありません! 斬因さん……ですが、総長は人が付くのを嫌がりますし、斬因さんも自由にしてもらっていいと……」


 喘ぐように言う手下に斬因が忌々し気にチッと舌打ちする。

 実際にこの手下の言っていることは事実であった。


 牙嵐の行方がわからない。

 斬因がその報告を受けたのが昨日の夜の事だ。

 はっきりはわからないが牙嵐は連絡が付かないままもう一週間近くアジトに戻っていないらしい。


 牙嵐がフラフラと出歩いているのは常であるしアジトに戻れば部屋で寝ている事が大半だ。

 その為斬因が数日顔を合わせる事がないのも珍しい事ではない。

 それに加えて今は東州攻略のための策を巡らせている最中であり意識をそちらに取られ斬因は牙嵐の所在をほとんど気にしていなかった。


 手下の言うように牙嵐は部下が近くに付いているのを嫌がるので基本的に1人にさせている。

 出歩くことが多いといっても基本的にはアジトの周辺をうろうろしているだけだ。

 1日程度戻ってこない事はこれまでにもあった。

 なので問題なしとしてこれまでは基本的に自由にさせていたのだが……。


 ……だが一週間近くも戻ってこないのは初めての事だ。

 更には異常に気付いて構成員たちが捜索に出たのだがアジトの周辺で発見できなかった。

 見たという話すら聞こえてこない。


(拉致られたか? だが、そう易々と身柄を自由にさせるタマじゃねえが……)


 カウンター席に乱暴に腰を下ろして斬因は腕を組んだ。


 いくらお飾りの総長とは言え自分の立場の事はそれなりに理解はできているはずだ。

 どこの誰ともわからぬ輩の誘いにホイホイ乗るとも思えない。

 力ずくで誰かが連れ去ったのなら騒ぎを見聞きした者がいるはずだ。


「勝手なマネをしやがってよ……」


 斬因の苦い呟きは口の中で消えて実際に外に漏れることはなかった。


 ────────────────────────


 ウィリアム・バーンズが約2週間ぶりに黒羽探偵事務所に帰ってきた。

 折れた腕は完治したわけではないがもう入院の必要はない。

 後は簡易ギブスで在宅療養で十分だ。


「やっと戻ってこれたか。自分の事務所ではないがそれでもほっとするな」


 独りごちて事務所の戸を開くウィリアム。


「兄さん! お帰りなせえ!!」


 勢い良く挨拶をしてきたのは和柄のジャンパーにスキンヘッドの若い衆……うぐいす隊三番隊隊長の葛城かつらぎ陣八じんぱちである。

 ……ここにいるという事は今日は非番らしい。


「や、やあ葛城くん」

「水くせえっすよ兄さん! 陣八って呼んで下さいや!」


 陣八の勢いに終始押され気味なウィリアム。

 そもそもこの青年がどういう経緯でこうなっているのかを大雑把にしか彼はわかっていないのだ。

 何だかあれこれあった挙句に本人は優陽の舎弟を名乗っているようなのだが……。


 その優陽に敬意を払えとでも言われたのか初対面からウィリアムにも腰が低く懐いた様子を見せている陣八。


「他の皆は?」

「爺さんは何だか用事で遠出だとかで何日か前から留守っすわ。姐さん方は今猫を探しに行ってます!」


 荷物を置きながら問うウィリアムに威勢よく陣八が答える。


「……猫?」


 思わずウィリアムが聞き返す。


 陣八が説明する所によると……幻柳斎老人は留守にするに当たって優陽を代理の所長に任命して後を任せていったらしい。

 最初の数日は特に来客も無く平和だったらしいが、昨日近所のご婦人が飼い猫が行方不明になったので探して欲しいという依頼を持ってきた。

 それで優陽とエトワールは朝からその猫を探しに出ているという次第である。


「それでこの男、葛城が留守を任されまして!!」


 自慢げに自分の胸を拳で叩く陣八。

 この男も本職があるのに休みの日にご苦労な事だ、とウィリアムは思ったが本人が気にしてなさそうなのでよしとする。


「兄さんは病み上がりなんですから座ってくださいよ! 今お茶をお持ちしますんで!!」


 外見に合わず甲斐甲斐しい男である。

 ウィリアムが礼を言って座ろうと椅子を引いた所で……。


 事務所の戸が開きドアベルがコロンコロンと鳴った。


 瞬間。


 事務所の時間が止まっていた。

 否、そう表現したくなるほどの冷気が周囲を駆け抜けてウィリアムも陣八も硬直して動作を止めていた。

 それは現実の温度ではない精神的な冷気……いわゆる悪寒と呼ばれるそれだ。


 1人の男がゆっくりと事務所に入ってくる。


 2人とも見覚えの無い男だった。

 黒いロングコートにその中も黒の上下……黒ずくめの大男。

 肩幅は広く上背は2m近くありそうだ。

 ぼさぼさの黒髪を乱暴にオールバックにして首には包帯を巻いている。

 顔立ちは若いとも中年ともいえるような凄みのある野生的な風貌だ。


 挨拶も無しに入ってきたその男は靴音を鳴らして応接用のソファまで行くとそこに腰を下ろした。

 まるでそうするのが当然であるというように自然に、誰にはばかる事も無く。


 その黒衣の男が西で牙嵐と呼ばれていて、まして王牙会の総長をしているという事などこの場の2人は知る由も無い。


「……………………………」


 誰もが無言だった。

 陣八の頬を冷たい汗が伝って落ちる。


(何なんだこのヤローは!? まるで地獄の底から来たみたいな冷気を撒き散らしてやがる……!!)


 若いが数多の凶悪犯を相手にしてきた陣八が鳴りだしそうな奥歯を抑えるのに全身の神経を集中している。


「どちらかな。生憎今所長は留守にしているのだが……」


 ようやくウィリアムが口を開いた。

 座りかけていた彼だが、今は普通に立ち上がっている。

 ……何かあれば即座に対応できるように。


「……クックック」


 すると、牙嵐が喉を鳴らして笑った。


「お前の事は覚えている」


 そう言って黒衣の男がギラリと光る目をウィリアムに向ける。


「……何?」

「トキヒサの前座で出てきた男だ。……ククク、オレの一撃を受けてまるでボロ布のように空を飛んでいたな」


 ……その瞬間、ウィリアムの胸部に斜めに走る古傷がズキンと疼いた。




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