第13話 死を想え

 周防すおう正臣まさおみは人間ではない。

 ……そして、妖怪でもない。

 人と妖怪の間に生まれた子……半妖である。


 父の顔も母の顔も知らずに育った。

 母親は妖怪で非合法で身体を売る仕事をしていた。

 父親は客の内の誰かなのだろう。

 生まれたばかりの正臣は施設に預けられた。

 母親のその後は知らない。

 何処かへ立ち去ったとも、捕えられたとも聞いた。

 どちらでも構わない。

 ……興味のない話だ。


 人の暮らす区域エリアでの生活は認められず、常妖地じょうようちの学校に通った。

 生徒は皆人の姿はしているがそれは規則だからであり、実際は大半が妖怪だった。

 後はの人の子供。

 そのどちらのグループにも加われずに正臣は孤独な少年時代を過ごした。

 幸いにしていじめのような目に遭う事はなかった。

 彼らの学校ではいじめを起こすような問題児はすぐにされる。

 ある朝登校するとその生徒の席はなくなっており、その後の事は誰にもわからない。


 中等学校の卒業式の日、その男は彼の前に突然現れた。


「こんにちは、初めまして。周防正臣くんだね」


 帽子を脱いでスーツ姿のその男は笑った。

 あれほど温度と言うか温かみを感じない笑顔を見たのは初めてだった。

 丸い眼鏡の奥の細い目が機械のように自分を観察している。

 その男が六角武憲だった。


「君の能力チカラ幕府お国の為に役立ててみないかね?」


 やります、とその場で返事をしていた。

 卒業後は金属の部品を作る工場への就職が決まっていたがそんな事はもうどうでもよかった。

 何を望まれているか、何をやらされるのか、何も聞かされてはいないが全てはどうでもよかった。

 ただ生まれて初めて誰かに必要とされた。

 

 それだけが全てだった。


 ────────────────────────


 正臣の母親は絡新婦じょろうぐも……蜘蛛の妖怪である。

 その血を継ぐ正臣は妖気によって作られた特殊な糸を操る。


 糸は不可視ではないが極細であり目視するのは至難の業だ。

 また実体ではなく貼り付けた先から伸ばすと間にどれだけ遮蔽物を挟もうが途切れる事がない。

 どこまで伸ばせるかは込めた妖力次第なのだが限界で5km近くまで伸ばす事ができる。


 そして、この糸を矢に付けて放つとそのもう一方の貼り付けた先の箇所に必ず命中させる事ができる。

 最も、糸とは違い矢は実体で遮蔽物を透過する事はできないので射撃の時は糸を付けた標的ターゲットから射手である正臣の間には遮蔽物がない状態にしなくてはならない。


 糸は微細で感知センサーのような能力を持つ者でも付けられた事に気付くのは相当難しい。

 追跡と暗殺に非常に適した能力だ。


 ……始めから正臣は風上でキリコ達を待ち伏せていた。

 彼女が車を降りるときに風に流して既に糸は付けてある。


「…………………」


 そして今、彼の弓から矢が放たれた。

 例え糸の誘導が無かったとしても周防正臣は非凡な射手であり彼の放つ矢は高い精度と殺傷能力を持つ。

 同時に彼は誰かの命を奪うという行為に対して何かを感じる事はない。

 誰もが自分に興味を示さなかった。

 だから自分も興味を持つ事がない。

 それだけの話だ。


 糸の先……キリコの胸部中央へ必中の矢が風を切り飛翔する。


「1つ貴方に注文というか……不満があるのだけど」


 柳生キリコは目を閉じる。


 その瞬間、世界が暗転した。

 ……少なくとも正臣にはそう見えた。

 ほんの一瞬視界の全ては黒に染まった。


「……な……」


 弓を持つ男がよろめいた。

 柳生キリコがいない。

 20m先に立っていたはずの彼女がいない。


 六角は今煙草を咥えてマッチで火を着けている所だ。


 矢は……命中していない。

 キリコがいたはずの位置の近くの地面に落ちている。

 ただ、先端から半分ほどがなくなって短くなってしまっている。

 もうその半分から先はこの世界のどこにも存在しない。


 柳生キリコがいない。

 ……いや、どこに今いるのか、その想像はできる。

 先ほど、あの暗転の瞬間、何かが悠然と自分を横切っていったのを感じた。


「殺人を作業のように行うのはやめなさい」


 やはり、その声は自分の背後から聞こえた。


「誰かを殺める時はきちんとその相手の死を想いなさい……それが礼儀よ」


 そう言うとキリコは正臣の背の丁度真ん中のあたりを人差し指の指先で軽く突いた。

 本当に、まったく力を入れていないただ触れただけも同然の接触だったが、正臣はフラフラと数歩進んで前に倒れそうになり、いつの間にか近付いてきていた六角に片腕で抱き留められる。


「おっと……大丈夫かね? だから言っただろう」

「室長……六角さん、何ですかこの女は。なんなんですか」


 顔中に汗を浮かべて喘ぐように言う正臣。

 苦笑した六角が首を横に振る。


「それは私にも何とも答えようがないな。少なくとも、我々でどうにかできるような存在ではないということだよ、周防君」

「…………………………」


 六角の言葉にキリコを窺う正臣。

 彼女はたった今一蹴した彼のことなどまったく眼中にないかのようにポケットから出した飴の包みを解いて口に入れていた。


 ────────────────────────


 西州某国、歓楽街。


 薄汚れた雑居ビルの2階にある軽食喫茶。

 今その店内の表の通りに面した窓際の席に2人の男の姿がある。


 1人は長めの髪を襟足で束ねた軽い雰囲気の二枚目半だ。

 顎に少々の無精ひげがあり、体格は中々にいい。

 サンドイッチをパクつきながらそれとなく表に視線を送っている。

 彼の名は黒羽くろば疾風はやて

 幻柳斎の息子である。

 そして向かい合って座っているのはがっしりとした体格の大男だ。

 もみ上げから顎のラインを濃い髭で覆ったいかつい雰囲気の中年男。

 彼の名は獅子王ししおう

 両名共に人の姿をしているが正体は妖怪である。


「ダンナもしかし甘いものそういうの好きだね」


 疾風が獅子王の前に置かれている大きなパフェを見て言った。


「ああ、甘味はいいぞ。幸せな気分になれる」


 言葉とは裏腹に仏頂面でパフェを食べている獅子王。

 それなら幸せな顔をすればいいのに、と疾風は思うのだが口には出さない。


「……ん、あいつだ」


 外を見ていた疾風が小声で言う。

 2人は食べる手を止めて表の様子を窺った。


 この喫茶店は道路を挟んで向かいにある公園の様子が一望できる。

 今その公園に1人の黒いジャケットの大男がふらふらと千鳥足で入ってきた。

 そしてベンチに乱暴に腰掛けると持っていた酒瓶をラッパで呷った。


「あれが牙嵐がらんか」

「そうだ。王牙会おうがかいの総長……だってのに護衛の1人も無しかよ」


 獅子王の言葉に肯いて疾風が言う。

 王牙会は今や西州……つまり大陸の西半分の裏社会を掌握している。

 ならばその総長である牙嵐は大陸の半分の闇の帝王という事になるわけだが……。


「ゼクウだと言われているらしいな」

「ああそうだ。お笑いぐさだな。妖怪王サマが真昼間から公園で泥酔してるぜ」


 そう、その男……牙嵐は裏社会では生きていたゼクウなのではないかと噂されている男だった。


 事の次第はこうだ。

 天霊山てんりょうざんの戦いでゼクウが嘉神かがみ刻久ときひさに討ち取られ、百鬼夜行が崩壊して四天王が全員姿を消してから10年以上彼らの動向は不明であった。

 だが幕府が百鬼夜行の残党の掃討を終え、各国が復興を始めると四天王の1人だった斬因ざいんが暗躍を開始する。

 裏社会に根を下ろした斬因は犯罪組織を立ち上げ着々と勢力を拡大していった。

 そして十数年が過ぎ、斬因の組織が西州全域に影響力を持ち始めた頃、唐突に斬因は1人の男を組織に連れて来た。


 名前は牙嵐。


 そして斬因はその牙嵐を組織の№1にして自分は№2に退くと部下たちに宣言したのである。

 同時に組織の名前を王牙会と正式に命名した斬因。

 王牙会……まるで、牙嵐を王にする為の組織と言わんばかりの名である。


 部下たちは驚いた。

 斬因とは支配欲と野心の塊のような男である。

 そんな男は自ら自分の上に置く人材を連れてくるなどと……。

 斬因にそうまでさせた男……牙嵐とは何者だ?


 妖怪ではあるようだが誰もそれまで牙嵐の名を聞いた者はいなかった。

 どこから来たのか、何者なのかもわからない謎の男。

 過去は不明だ。

 本人も斬因も語った事がない。


 いつの頃からか、牙嵐の正体はゼクウではないかという噂が流れ始めた。

 四天王だった斬因が自分の上に置く者などもう妖怪王しかいないだろうと。

 ……生きていたのだ。

 斬因はそれを知っていてこれまで匿っていたに違いないと。


 妖怪王の復活を信じた多くのならず者が王牙会に集い組織は急拡大した。

 そしてとうとうその規模は西州全域の裏社会を掌握するまでに至ったのだ。


「千客万来の招き猫ならぬ招き熊ってか? だったらもう少し大事にしてやりゃあいいのによ。……しかし、そうなるとあの牙嵐ってのは何者なんだろうな」

「力はある妖怪のようだがな」


 ベンチに座ったまま足元に酒瓶を転がし居眠りを始めた牙嵐。


「そりゃまあ、曲がりなりにもゼクウのフリをさせとこうって奴があんまり雑魚だと話にならんだろうからなあ」


 そう言って疾風はサンドイッチの最後の一切れを口に放り込むのだった。





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