第12話 深夜の見舞客
静かな夜だった。
季節にしてはやや暖かい過ごしやすい夜である。
しかし深夜に不意にウィリアムは目を覚ました。
意識が覚醒した理由はほんの僅かな違和感のようなものだった。
「起こしてしまったかしら? 御免なさいね」
ベッドの脇に背もたれのない丸椅子が置かれ彼女はそこに座っていた。
夜目が利くウィリアムには僅かな月明かりでも彼女の微笑みがよく見えている。
「キリコ……」
「お見舞いに来たわ。今は事情があって昼間に動きが取りにくくてね。貴方の寝顔を見たら帰るつもりだったのだけど……」
柳生キリコがコートのポケットから白い封筒を取り出す。
「お手紙があるの。明日の朝、目を覚ましたら読んで頂戴ね。正直、楽しい話ではないのだけど興味は持ってもらえると思うわ」
封筒をウィリアムの枕の下に差すキリコ。
「それじゃあ私は帰るわね。お大事に、ウィリアム」
ウィリアムの唇をキリコのあまり体温を感じさせないひんやりとした指先がそっと撫でていく。
それだけでウィリアムの意識は泥沼に沈み込んでいくように眠気に侵食されていく。
眠りに落ちる間際に見たのはキリコが自分の唇に指先で触れてほほ笑む所だった。
気が付けば朝になっていた。
あれは夢だったのではとも思うウィリアムだったが枕の下から昨夜見た封筒が覗いている。
早速開いて中の手紙を読む。
『楽しい話ではないのだけど……』
耳の奥に彼女の言葉が蘇る。
読み進めるごとに彼の顔に差した影が濃くなっていく。
(これは……『楽しい話ではない』どころではないぞ……)
読み終えて彼は重たい息を吐いた。
泥の海を泳ぎ切った後のような不快な疲労感を感じる。
色々なものを振り払うかのように頭を2,3度横に振ると彼は黒羽事務所に連絡を取りに病室を後にするのだった。
────────────────────
ウィリアムからの電話を受けた
1人で来て欲しいと頼んだので連れはいない。
キリコからの手紙の内容を仲間たちに広く拡散していいものなのかウィリアムには判断が付き兼ねたのだ。
手渡された手紙を読む老人の表情は無表情であり、ウィリアムが予想したような沈痛さや憤怒の様相への変化は無かった。
「……何とも、救いようのない話ですのう」
読み終えた老人の言葉には虚無感があった。
柳生キリコが持ってきた手紙の内容、それは
その実験ではこれまでに相当数の妖怪の犠牲があったと考えられる。
「
手紙にはキリコがその研究に参加するように要請されたのだが断ったので追われている、と綴られていたのだ。
「ああ、それは……」
彼女自体がそう希望しない限りは大丈夫だろうとウィリアムは答える。
この手紙を持ってきたという事はキリコは自分たちを巻き込む意図があるはずだ。
その上で彼女が自分の保護を望むのなら今も側に留まっているはずだろう。
「正直な所、あまり近しくするのも危険な女性で……」
「なるほど。色男もあれこれ辛いですのう」
微妙に誤解されている気がしなくもないが今はとりあえずそれどころではないので流すウィリアム。
「この施設に付いてじゃが……現時点ではワシらにも打つ手がありませぬ。豊善の息のかかった会社という事はある意味で幕府そのもの。以前も言うた通り迂闊に手出しすればこちらが幕敵という事にされてしまいますからの」
「そうか……」
視線を伏せるウィリアム。
一族の長であり、大戦で人間側についた妖怪という微妙な立場である老人の苦労が伺える。
「これを相手取るとなれば我らも余程の後ろ盾がなければ」
「では……将軍を?」
ウィリアムの言葉に老人は寂しげに首を横に振った。
「いやいや、今の上様にはこの爺はなんの発言力もありませぬ。
「そうでしたか……」
またもウィリアムの知らぬ黒羽の現状であった。
「とはいえ、八方塞がりというわけではござらぬぞ。時間はかかるかもしれぬがこの件流してしまうつもりは毛頭御座らぬのでこの老いぼれにお任せくだされ」
「ああ。私も力になります。……とはいえまずはこの腕を治してしまわないとな」
固定された左腕を押さえて苦笑するウィリアム。
「そうですぞ。まずはお元気になられませんとな。事務所のお嬢様方も心配しておられますぞ」
そう言って幻柳斎は穏やかに微笑んだ。
────────────────────
時は半日ほど遡る。
ウィリアムに手紙を手渡したキリコを病院の裏手で一台の蒸気式自動車が拾った。
後部座席に乗り込みシートに身を預けるキリコ。
ハンドルを握るのは
「ありがとう。首尾よく済んだわ。流石は諜報機関……すぐ調べられるのね」
「彼は元々我々の要注意人物リストに名前がありましたからね」
いつもの抑揚のない声でそう答えると六角がアクセルを踏み、車は静かに走り出す。
「
「言う通りにするわ。よろしくね、武憲さん」
流れる街の景色を眺めながら返事をするキリコ。
やがて車は一件のホテルの裏手に停まる。
六角が運転席から外へ出て周囲の様子を窺う。
「ああ、しまった……バレていたか」
セリフの内容とは裏腹に六角の口調はいつもとまったく同じだ。
「……そこの女、動くな」
静かな声がして後ろの座席から降りたばかりのキリコが動きを止める。
2人からは20mほど離れた場所に和弓を構えた顔の半分に前髪を垂らした色白の男が立っている。
先日あの化け灯篭の妖怪白郷キミヱを2km先から射殺した
「よく気が付いたな、
「室長の様子がいつもと違いましたから」
周防と呼ばれた弓の男が静かに答える。
「やめておきたまえ。君でも彼女には勝てんよ」
「一射で仕留めます。室長は離れていてください」
するとそれまで黙って成り行きを見守っていたキリコがフゥ、と小さく息を吐いて六角の方を向く。
「彼の能力を教えてはくれないの?」
「それはマナー違反かなと」
そう言って六角は丸眼鏡の位置を直す。
緊迫したこの場面でジョークのつもりなのか……だが案外本気で言っているのかもしれないとキリコは思った。
「その代わりに貴女の
「面倒ね」
ため息をついて肩をすくめるキリコ。
常々思うことだが……自分は戦う事が好きではない。
そもそも研究職だ。
身体を動かすのは億劫なのだ。
それは
「僕の矢は
弓を引く黒スーツの男。
キリキリと弓が鳴る。
「……この一射でお前は終わりだ」
射手の外気に触れているほうの左の瞳が鋭く光を放った。
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