第9話 昔の名前

 ウィリアムと元四天王、羅號らごうの勝負の決着がつく直前の事。


「……そろそろ私も行かなきゃね。できればアナタは今夜はこのまま静かにしていて欲しいんだけど……まあ、お任せするわ」


 そう言ってパープルは屋上を出て行った。

 去り行く白スーツの後姿をちらりと一瞥して響は下の景色に視線を戻す。


 隠密諜報は黒羽の大得意とする分野であるが、警察機構たるうぐいす隊の響もお抱えの情報屋というものがいる。

 彼らが持ってきた『黒羽に揉め事アリ』の情報を元に勤務明けにこの場に足を運んだ響であったが……。


「…………………………」


 彼女が形の良い眉を顰める。

 まさか、現れたのが四天王だとは……。


 火倶楽かぐら幕府による公式の発表では妖怪王ゼクウ以下大幹部四天王も全てあの天霊山てんりょうざんでの戦いで命を落としたということになっている。


 ……だが、事実は異なる。


 四天王たちは全員が逃げ失せている。

 骸岩がいがんだけは刻久ときひさが討ったとされているのだが、それも屍を確認できたわけではないので希望的観測でしかない。

 ゼクウの四天王といえば百鬼夜行の実質的な指揮官だ。それをまとめて逃したとなれば折角の大戦の勝利も画竜点睛を欠く。

 よって幕府は全て討ち取ったとして完全勝利を公表したのだ。

 だが当然幕府はその後も姿を消した四天王を追い続けており、その内の1匹斬因ざいんが西州にて『王牙会おうがかい』なるマフィア組織を立ち上げて着々と裏社会に勢力を広げつつある事を把握している。

 そして今、今日この場に長く行方知れずとされてきた四天王の一角、羅號が姿を現した。


 響ら警官隊へも当然命令は下されている。

 もしも四天王を発見した場合は速やかに、かつ静かに抹殺しなくてはならない。

 間違っても彼らの生存が世間に知れることのないように。


 ……そしてパープル。

 あの謎めいた夜の街の男。

 彼にはうぐいす隊は兼ねてより大戦時の大物妖怪の生き残りではないかという疑いを持っていた。


 ──────────────────


 突然現れたパープルはすっかり場の空気を支配してしまった。


「まさか……四天王であったとは……」


 流石に幻柳斎翁も愕然としている。


「私の以前の名前は凶覚きょうかく。そこに転がってるヤツと一緒でゼクウの四天王だったわ」


 ポケットに手を突っ込んだまま超然とその場に立つパープル。


「あの最後の戦いのときに森から出てきた白いヤツか。でもオメー、オネエじゃなかっただろ」

「うっさいわね! あの後で私は本当の私に気が付いたのよ。美の世界に羽ばたいたのよ」


 エトワールをジロリとにらんで言うパープル。

 彼の今の姿が美しいかどうであるかについては誰も何も言わなかった。

 ……人それぞれである。


「んで元四天王のオメーが元四天王のそいつを庇って、それをウチらに信用しろってのか?」

「そうよ。言っておくけどこれが最初で最後。もしもこいつが約束を破ってまた姿を現すようならその時は責任を持って私が殺すわ」


 座り込んだ満身創痍の羅號を見下ろすパープル。


「私のこの言葉が信じられるかどうか、それはもうお任せするわ。これまで私が煌神町こうがみちょうでしてきた事を見て判断してちょうだい」


 パープルの言葉にウィリアムたちの視線が幻柳斎に集まった。

 それを判断できるのはこの場では彼だけだ。


 ……老人は僅かな間目を閉じて思案してたが……。


「わかった。お主の言葉を信じよう。だがもし、その言葉が偽りであったその時は……この老いぼれがその首を跳ねるぞ。その事を心せい、紫の」

「それでいいわ。ありがとうご隠居」


 礼を言うとパープルは羅號に肩を貸し彼を立ち上がらせる。

 そしてフラつく巨体を支えながら2人は去っていく。


「さあ急ぎ先生を病院へ」


 それを最後まで見届けることなく老人が振り返って言った。

 ウィリアムも優陽に肩を借りてようやく立っている状態だ。


「先生かっこよかったね」

「たりめーですよウチのセンセだぞ」


 言葉を交わしあうエトワールと優陽。


「……!」


 そしてその全員が固まった。

 立ち去る元四天王たちとは別の道に南雲響が立ち去っていく。

 その後ろ姿が見えたからだ。

 一度だけ彼女はちらりと背後を振り返った。


「いいんですかね。警察隊ポリでしょ、あれ?」

「あの娘ならば何かあるのなら実力行使していくじゃろう。それをしないという事は一先ず見逃してくれるという事じゃ。姿を見せていったのは見てはいたぞという警告じゃな」


 去り行く響の後姿をそう言って老人は見送るのだった。


 ──────────────────


 煌神町、町外れ。


「カカッ、助かったぜ……凶覚。斬因の野郎は冷てえのによ、お前はいいヤツだなあ」

「ほら、この辺でいいでしょ。後は1人で帰んなさいな」


 肩から羅號の太い腕を下ろしてパープルが離れた。


「クカカ、それにしてもお前があの町にいたとはな。ひでえ目に遭いはしたが最後でオレにも運が向いてきたじゃねえかよ……」


 血で汚れた口元に獰猛な笑みを浮かべる羅號。

 そんな彼をパープルは冷めた目で見ている。


「オレはこの傷を癒してすぐ戻ってくるからよ。次は手を貸してくれよ凶覚。オレたちが揃えばヤツらになんか負けやしねえ。煌神町を手に入れたらそこはお前の好きにしたらいい。知ってるか? 斬因が西にまたバカでけえ組織を作ってよ……ヤツらを始末してあの町を手に入れればオレたちは2人とも幹部になれる。また大戦時むかしみたいに楽しくやろうや」

「……………………………………」


 上機嫌にまくし立てている羅號をしばらく無言で見ていたパープルだが、やがてフッと苦笑する。


「アンタ、本当に変わってないのねえ」

「あん?」


 怪訝そうな顔をした羅號。

 その視界がガクンと飛んだ。


「……ぉ?」


 ポカンとした表情のまま羅號の首が宙を舞った。

 そして暗い道路に投げ出されたそれは鮮血を散らしながら転がっていく。


「昔のよしみで最後にチャンスをあげたつもりだったけど、無駄だったわね……」


 右手だけを白い異形の装甲で覆ったパープルがその腕をビュッと振って返り血を飛ばす。

 その背後で首の無くなった羅號の胴体がゆっくりと向こう側に倒れていった。


「虚しいわねぇ。なんか、涙出ちゃうわ」


 嘆息混じりに言ってパープルは目尻の涙を指先で拭うのだった。


 ────────────────────────


 火倶楽市、某施設地下実験場。

 巨大な装置が鳴動している。

 そのシルエットは巨大な円柱そのものだ。

 天井から、壁から、そして床から大小さまざまなケーブルを繋がれ下部には無数の計器が並んでおり、白衣姿の大勢の職員がその周囲で各自作業に従事している。


「お聞きの通りでして、教授プロフェッサーのお知恵を拝借できればと」


 白衣の一人、白髪交じりの痩せた研究員がそう言って背後を振り返った。

 彼の振り向いた先に立つ者は柳生キリコである。

 視線を向けられてキリコは小さく肩を竦める。


「私が言うのもなんだけど、悪趣味な事を考えるのね」

「私たちなりにとの平和的共存の道を模索した結果ですよ」


 白衣の研究員の視線の先は床が大きく四角くくり抜いてある。

 水を張っていない深いプールのようなその窪みには何か巨大な人型のものが膝を抱えるような姿勢で納まっていた。

 さながら、沈黙の巨兵と言ったところか。

 ……かつて自分が某企業で研究していたものを思い出すキリコ。

 最もそれは目の前のこれに比べればもっとずっとおどろおどろしい外見をしていたが……。


「予算は青天井ですし、お引き受け頂ければこの国での地位も思うがままです。悪い話ではないでしょう?」

「そうね……折角のお話だけど、お断りさせていただくわ」


 キリコの言葉に薄笑いを浮かべていた白衣の研究者が呆気にとられて真顔になる。


「は? ……え? 断ると? この話をお聞かせした我々が断ると言われてあなたを黙ってお帰しするとお思いなのですか?」


 早口になった研究員に何事かと周囲の他の研究員たちが視線を向けてくる。

 慌てる彼に柳生キリコはくすっと微笑んだ。


「思ってはいないけど、貴方たちが何をしようが私が帰るという結果は変わらないもの。それじゃ、ご機嫌よう」


 軽く手を振ってキリコはフロアから出ていってしまう。


「な、なんだあれは? 正気なのか? おい、すぐ保安員を向かわせろ。今の女を拘束するんだ。施設から出すな」


 白髪の研究者の言葉に付近にいた警備スタッフが頷き慌ただしく走っていった。


 ──────────────────────────


『なんだ一体。軽々しくこの回線に連絡を入れてくるな』


 受話器の向こうから不機嫌さを隠そうともしない低い声が聞こえる。


「も、申し訳ありません。例の女教授ですが、説得に失敗しまして……逃がしてしまいました……!!」


 受話器を持つ白髪交じりの髪の研究員は深刻な体調不良を疑われるほどの汗を顔から流していた。

 たった10数分で10歳も老け込んでしまったように見える動揺と焦燥ぶりである。


『逃がしただと? 何を言っている』

「わ、わかりません……! 本当に、何もわからないのです! 確保に向かわせた保安員全員と連絡が取れません。わかっているのは柳生キリコが既に施設を出てしまっているという事だけです!!」


 チッという苛立たし気な舌打ちが聞こえて研究者の顔面が蒼白になった。


『使えんヤツだ。降格は覚悟しておけ』


 電話は一方的に切られ、研究者はへなへなとその場に座り込んだ。


 ──────────────────────────


 筆頭家老、宍戸ししど豊善ほうぜんの執務室。


「能無しばかりでイライラするな。……おい、六角ろっかくを行かせろ。柳生キリコはもう始末して構わん」


 電話を切った豊善が直立で控えている側近を指差しながら言った。











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