第8話 痛みの中を、前へ

 半世紀ぶりの邂逅。

 元ゼクウ四天王の1匹、羅號らごうがウィリアムたちの前に立ちはだかる。

 かつて一戦まみえ手傷を負わされているウィリアムを標的に定め憎悪の気を吐く羅號。

 そして残りの舎弟の3匹が幻柳斎、エトワール、優陽の前にそれぞれ立った。


 そしてその睨み合う両者の様子を少し離れた廃ビルの屋上から見下ろす者がいる。


「フフフ、私の考えていた通りの展開になったわね」


 胸に紫の薔薇の刺繍の大柄な男……紫薔薇パープルローズ

 彼は風に吹かれてポケットに両手を入れて眼下の睨みあいを見物していた。


「……あ~ら、特等席を独占したつもりでいたのにね」


 パープルが振り返るとその視線の先で屋上への半分錆びた戸がゆっくりと開く。

 月明かりの下に歩み出てきた者は眼鏡を掛けたスーツ姿の女性だ。

 帯刀している。


「鬼の副長さんにこんな所で会えるなんてねぇ。奇遇じゃないのよ。どうしたの? 月夜のお散歩?」

「紫の薔薇か」


 南雲なぐもひびきは刀の柄に手を掛けた。

 それだけの動作で周囲が氷点下に冷え込んだような気がしたパープル。


「ちょっとちょっとぉ、やめなさいよぉ……せめて今夜は。ショーを目の前にして観客同士騒ぐのは品がないわ」

「…………………………」


 互いに銃口を突き付けあっているかのような緊張感。

 響の眼鏡の奥の切れ長の瞳が冷たい光を放っている。


「アナタもうぐいすの紋は背負ってないんだからオフでしょ?」


 薄笑いを浮かべるパープル。

 しかしその目の光に油断はない。


 数十秒の沈黙の後で響は刀から手を離した。

 そして彼女は眼下に視線を送る。


「……フフ」


 笑うパープルの紫の髪が夜風に吹かれて揺れていた。


 ────────────────────────


 3mはあるであろうH型の鉄鋼を軽々と振り回して羅號がウィリアムに襲いかかる。


「おォらあああああッッッ!!!!!!」


 ……ドガアッッッ!!!!!


 ウィリアムは横にステップしてその一撃をかわした。

 地面に激しく叩きつけられた一撃が舗装を粉砕して破片を散らせる。


 その直後に攻撃を終えた体勢の羅號にウィリアムが斬りかかった。

 だが巨漢はすぐさま鉄骨を持ち上げてその斬撃を弾く。

 その反応速度はウィリアムの想定を数段上回っていた。


 ガキィィィン!!!!


 激しい炸裂音と共に火花が散る。


「のんびりしてんじゃねえぞ!!!」


 そして再度の羅號の攻撃。

 体躯と得物のサイズと重量を考えると驚異的な速度で無数の打撃を打ち込んでくる。

 嵐のような猛攻に一気にウィリアムは防戦一方の状況に追い込まれてしまった。


(強い……!!!)


 前回の……半世紀前の戦いのデータを元に戦略を組み立てていたウィリアムだがこの男について過去のデータが既に役に立たないものになっている事を痛感せざるを得なかった。

 いかにかつての妖怪軍の実力者四天王とはいえ、この半世紀に渡る逃亡の日々は決して楽なものではなかったのだ。

 習慣となっていた暴食も叶わず体型が変わるほどの追われる日々がこの男の戦闘力と凶暴性をさらに1ランク高い所へ押し上げている。


 速度なら未だにウィリアムに一日の長がある……だが、その差は以前に比べると確実に詰まっておりそこを生かして圧倒するという戦い方は通用しそうにない。

 そして破壊力と耐久度なら向こうが上だ。


 つまり……。


「うおおおッ!!!!」


 ウィリアムが吼えた。

 羅號の攻撃が向かってくる中、強引に突っ込む。

 巨大な鉄骨が身を屈めた彼の頭部を僅かに斜めに掠めていく。

 空中に赤い血が散る。

 そして被弾を覚悟しながら放ったウィリアムの斬撃は羅號の左の肩を浅く切り裂いていた。


 つまりは……こういう事だ。

 もう相手に有効打を与えるためには自らも傷を負う覚悟で前に出るしかないのである。


「このッ……野郎があぁぁッッ!!!!」


 肩の傷の痛みに表情を歪めながら怒号を轟かす羅號。

 先ほどまでのテクニカルな立ち回りではなく荒々しく攻撃的なスタイルに変えてきたウィリアム。

 その対敵の覚悟の危険度を理解する四天王。


 そして……乱打戦が始まった。


 みるみるうちに両者に傷が増え足元には血が滴る。


 その頃にはもう、エトワールたちはそれぞれ自分が担当した相手の処理を済ませていた。

 1匹は海蛇、もう1匹はクラゲ、そして最後の1匹はボロボロに朽ちた木材を人の形に組んだような妖怪だった。

 早々に正体を現した3匹はそれぞれかなりの実力者ではあったものの、エトワールたち3人の相手が務まるレベルではなく……結果としてあっけなく倒されている。


 撃ち合うウィリアムはもう満身創痍だ。

 その顔は流れる血で半ば以上が赤く染まってしまっている。


(むう……いかんか)


 割って入ろうと前に出かかって……そして老人は足を止めた。

 エトワールと優陽の2人が動いていない。

 自分よりもずっとウィリアムに近しく、ずっと彼のことを案じているはずの2人がその場を動いていないのだ。

 血が出るほど強く拳を握りしめてその場に留まり続けているのだ。


 今、この両者に割って入ることは敗れる事よりも強く彼の誇りプライドを傷付ける行為だという事がわかっているから彼女たちは動かないのだ。


(こっ、こいつ……この野郎がッ!! 人間の……分際で……!!!)


 撃ち合いながら羅號は徐々に内心に焦りが出始めていた。

 普通、傷付けば怯むのだ。攻撃は鈍るはずだ。

 だが目の前の男は傷付けても傷付けても更なる闘志を燃やして向かってくる。


 このままでは……。


(!!?? このままじゃ何だ!? 今オレは何を考えかけた!!??)


 一瞬頭に浮かんだ不吉なビジョンをかき消して羅號が鉄骨を振るう。


(くそがァッッ!! 正体だ!! 変化へんげさえしちまえばこんな奴……!!!)


 そう考えた羅號であったがこの撃ち合いの最中に正体に変化する隙は生まれそうにない。


「乱れたか。……未熟者め」


 その羅號の様子に幻柳斎が小さく呟いた。


「しぶとい野郎だ!!! いい加減に……くたばりやがれぇぇッッッ!!!!」


 横薙ぎの一撃がウィリアムの左の二の腕に炸裂する。

 めき、と嫌な音が響いた。


(折ったッ!!!)


 その感触に羅號の顔が喜悦に歪んだ。

 だが腕を折られたウィリアムは歯を食いしばって更に前へと踏み込んだ。


「な……」


 呆然と羅號がその剣を見上げる。

 自らの間合いに踏み込んだウィリアムが……折られた左腕を力なくだらんと下げた男が……。

 右手で剣を大きく振りかぶる。

 高速の斬撃が……右斜めの切り下ろしが……いつか誰かが『雷霆らいてい』と名付けた一撃が羅號を斜めに切り裂いた。


「ギャアアアアアアッッッッ!!!!」


 鮮血を噴き上げながら吹き飛ぶ羅號。

 背後の倉庫の壁に叩きつけられそこに背を預けるように崩れ落ちる。

 ウィリアムがその前に立った。


「……ま、待て……」


 息もえな羅號が血だらけの震える手を上げてウィリアムの動きを制止する。


「殺すな……おめえの勝ちだ……」

「…………………………」


 油断せず剣を構えたままのウィリアム。


「オレの負けだ。オレは消える……もうこの町には近寄らねぇ。……だからよ、命まで取る事はねえだろう……?」


 ……嘘だ、と直感的にウィリアムは思った。

 生かして帰せば傷を癒してからこの男は復讐に現れる。

 例え言っていることが本当だとしても他所で悪事を働くだろう。

 数百年悪党をしてきた妖怪だ。

 その性根がそう変わることはない。

 それはわかっているのだが……。


 今ウィリアムは激しく迷っていた。

 とどめを刺すのか、見逃すのか……。

 何十年もの間戦い続けてきた。

 だが、命乞いする相手を殺めたことはこれまで1度もない。


 そんな苦悩するウィリアムを後ろでエトワールが見守っている。


(ウチならぶっ殺しちまいますけど。……けど、センセがいいようにしたらいいんですよ)


「見逃してやってくれる? 今回だけはね」


 不意に声がして全員がそちらを見た。

 靴音を鳴らしてポケットに手を突っ込んだ白いスーツの大男が近付いてくる。


「紫の……」


 幻柳斎老人が現れた男の名を呼んだ。


「アナタたちが考えている通り、そいつはどクズよ。ここで見逃したって改心なんてしやしないわ。でもこの町ではもう悪さはさせない。それだけは私が保証するわ」

「てめぇは……」


 羅號がパープルを見上げて表情を硬直させる。


「久しぶりね羅號。アンタも変わらないわね……変われないんでしょうけど」

凶覚きょうかくか……」


 掠れた声を出す羅號を街灯の寂しい明りが照らし出していた。

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