第2話 うぐいす隊

 わからない。

 ……わからない。

 何も……何一つわからない。


 ダイダラボッチと呼ばれている巨大な妖怪は混乱していた。

 何故ここにいるのかがわからない。

 自分が何をしているのかもわからない。

 目の前の景色は見えてはいるが、それをあたまが受け入れてはくれないので闇の中にいるのも一緒だ。

 まるで頭の中で百の鐘が鳴り響いているようだ。


 ただ、「ダメだ」……と、意識の奥底のもう1人の自分が必死に警告を発している。

 ここにいてはダメだ。

 ここを離れなくては……。


 自分がここにいては


 どろどろにかき混ぜられて定まらない思考の中で、ただその事だけを思って彼は動き出す。


 ……だが、不幸にも彼がゆっくりと進もうとしているその先は……汽車の線路であった。


 汽車を降りてウィリアムが線路に沿って走っていく。

 その後ろにはブロンドの長髪を風に靡かせてエトワールが追走している。


「……ウチがやります?」

「いや、啖呵を切った手前頑張ってみるよ。ミスがあればフォローを頼みたい」


 疾走する2人は常人が目で追えない速度に至る。

 走りながら高速で脳を働かせるウィリアム。


(殺さずに大人しくさせたい。となれば昏倒させるしかあるまい。線路側に倒してはダメだ。反対側に倒さなくては……)


 この区画の線路は土手の上に敷かれている。

 緩やかな斜面を斜めに駆け下りるウィリアム。

 もう巨人の脚は目の前だ。


 走りながら地を蹴って灰色の髪の男は跳躍した。

 更に巨人の膝を蹴って上に飛ぶ。

 一瞬で地上は遥か遠くなる。


「さて中身の構造も人と似ていてくれればいいんだが……!」


 眼前には巨大な顔の形をした岸壁。

 剣を振りかぶったウィリアム。

 ただし相手に向いているのは柄の側である。


「オ・オ・オ・オ…………」


 唸り声なのか風の巻くような音がその巨大な口腔から漏れ出ている。

 そしてウィリアムは力一杯剣の柄を巨人の眉間に叩き付けた。


 バキィン!!!!!!!


 巨人の眉間は僅かにヒビが入って崩れ破片が風に舞った。


「……………………」


 ……その時、何かが聞こえた。

 その微かな声は確かにウィリアムの耳に届いた。

 巨人の鉱石のような目に光がなくなり、ゆっくりと倒れていく。

 彼の狙い通りに線路の反対側に仰向けに倒れていく。


 そしてダイダラボッチは大地を揺るがしその場に倒れ動かなくなった。


 ────────────────────


 その一部始終を離れたビルの大きなガラス張りの壁越しに見ている者がいた。

 スーツに身を包んだ気難しそうな初老の男だ。

「上」の身分の者にありがちな冷徹さの圧を持つ男。

 ウィリアムの一撃を受けた巨体がゆっくり倒れていく所で皺の刻まれた日焼けした顔が不愉快そうに歪む。


「あれでは線路に被害が出ていないのではないか?」

「は。……どうにも、そのようで」


 その後ろに控えるもう少し若いスーツの男が恐縮した様子で頭を下げる。

 こちらは初老の男とは対照的に色白で痩せて生真面目そうな眼鏡の男だ。


「それではあまり騒ぎにならんな。仕込みに手間を掛けた割にはお粗末な結果だ」

「弁解の余地もございません」


 初老の男はそこで煙草を取り出し咥えてマッチで火を着けた。

 やがてフーッと大きく吐き出された紫煙がゆっくりと天井へ向かって溶けていく。

 それがこの男が気を落ち着ける際のルーティンだと知っている側近の男は黙って控えている。


「まあいい。いくつも仕掛ければ中にはこういう時もある。下手な鉄砲では困るが百発百中でなくともよかろう」

「ははっ」


 頭を下げる側近の男。


「……またに連絡を入れろ。今回は残念なことになったが中々仕事のできる奴だ。次も任せてよかろう」

「御意にございます」


 一礼して言い付けられた仕事のために側近の男は部屋を出ていった。

 広い部屋に1人残された初老の男は変わらず外を見ている。


「早くこの美しい都に薄汚いものがいなくなる日が来てほしいものだ」


 眼下の景色を見下ろし男は再度長く紫煙を吐くのだった。


 ────────────────────


 自分が倒したダイダラボッチの脇に立っているウィリアムの耳に近付いてくる足音が聞こえてくる。

 すっかり耳に馴染んで自分の一部になっていると言ってもいいその足音の主は見て確認するまでもない。


「お疲れさまでーす。なんですかねコイツ? 失恋のショック?」


 やってくるエトワールのあっけらかんとした言葉にウィリアムが苦笑する。


「さてどうだろう。でも、何か事情はありそうだ」


 長剣を腰の鞘に戻しながらウィリアムの表情が一瞬陰る。


「私が倒す直前、彼は『』と言っていたよ」


 そこに慌ただしくサイレンを鳴らした数台の蒸気式自動車が乗り付けてきた。

 いずれも屋根に回転灯を乗せ白と黒のカラーリングで塗装されドアには嘉神かがみ将軍家の紋である藤の花が描かれている。


「うげ、センセ警察隊ポリですよ。めんどくせーですね」

「まあ今回は事情が事情だやむを得ないな。……しかし一応は無関係を主張してみるか」


 警察車両パトカーから降りてきた者たち。

 彼らは紺色の制服に胸部装甲と手甲と脚絆で武装しており、青い陣羽織を羽織っている。

 その陣羽織の背にはうぐいすの紋が描かれていた。

 火俱楽国かぐらのくにの警察機構は国内の10に分けられたエリアにそれぞれ部隊を持ち、その10の部隊はそれぞれ別々の鳥の紋を背負っている。

 このエリアの部隊の紋はうぐいす。

 そこから彼らは『うぐいす隊』と呼ばれている。


(流石に全員かなりの使い手だな)


 ちらりと彼らを見たウィリアムがある程度の実力を見抜く。

 彼らは言わば幕府と火倶楽の武の番人である。

 その羽織に袖を通すためには相応の実力が求められるのだ。


(……特に彼女が別格に強い)


 それは最後に車から降りてきた2人の内の1人。

 眼鏡を掛けた背の高い女性で淡い紫色の布をリボンにして髪の毛をポニーテールに纏めている。

 職務故であろうか冷えて鋭い圧を放っている。

 所作は静かで隙のない雰囲気を持つ女性だ

 そしてもう一人は顔の下半分を栗色の濃い髭で覆った中肉中背の中年男だ。

 眼鏡の女性とは対照的にこちらはどこかとぼけた感じで飄々とした男である。

 車から降りて早々にだるそうに欠伸を嚙み殺している。


「あなた方は?」


 隊士の1人がウィリアムたちに近寄ってくる。

 隙が無くすぐにでも攻撃に入れる体勢だ。


「観光客です。大きな音がしたので見に来てしまいました」


 用意しておいた返事を淀みなく口にするウィリアム。

 最初に近寄った隊士が振り返って「どうしますか?」とでも言うように背後の2人の顔を見た。


「屯所で少し話をお聞きしたいのだが」


 眼鏡の女性の言葉にウィリアムが困った、というように首を横に振った。


「お話できるような事は特にないのだが……」

「それは我々が判断します」


 ダメだ、逃げられない。

 ウィリアムが内心で嘆息する。

 疑われている。というかもうこの状況に関係していると決め付けられている。

 ……実際そうなのだからしょうがないが。


 するとそれまで黙って成り行きを見守っていた髭の男が口を開く。


「あのさ、ひびきちゃん……」

「そちらワシのお客さんなんじゃ。大目に見てくれんかのう」


 その声にもう1つのしわがれた声が重なる。

 皆がその最後の声の主を見る。


 口の上側両端と顎に筆の先のような髭を付けたやや腰を曲げた小柄な老人がそこに立っていた。

 アロハシャツに短パンに雪駄姿のその老人はニコニコと柔和な笑みを浮かべて一同を見ている。


「……………………」


 その顔を見た時、ウィリアムの脳裏に沢山の記憶が奔流のように蘇る。


幻柳斎げんりゅうさい翁!!!」

「わははは! 先生~!!」


 二人はがばっと抱擁を交わした。


「お懐かしゅうござる。よう来てくだされた」

「いやいやすっかりご無沙汰してしまって……」


 そこでハッとウィリアムは今の自分の置かれた状況を思い出し周囲の視線に気付く。


「そんなわけなんじゃが」


 幻柳斎老人が見ているのは髭の男だ。


「あ~ハイハイハイ。勿論オーケーでございますよ。黒羽くろばのご隠居のお客様であれば問題ナシ! お手間を取らせて申し訳ないですな~」


 まるで揉み手でも始めそうなほどの低姿勢で髭の男は「行って良し」の許可を出した。

 それを受けて行きましょう、と老人が促しウィリアムとエトワールを連れて去っていく。


「隊長……」

「まあしょうがないよ。黒羽のジイ様の客じゃオジさんたちじゃど~にもできんて。響ちゃんだって後で山ほど始末書書くのイヤでしょうが」


 去っていく三人の後ろ姿に鋭い視線を注いだままの響。


「ですが、ダイダラの意識を飛ばしたのはあの2人の内のどちらかですよ」

「だとしたら尚の事今回は見逃してあげましょって。彼らがいなきゃオジさんらの仕事になってたって事なんだから。キミらに寝かしつけとかそんな器用なマネできんでしょ」


 そして、髭のうぐいす隊長は倒れているダイダラの身体をノックするかのようにコンコンと叩く。


「こんなでっけえホトケさん持ってったら火葬場も困っただろうし、ね」


 そう言って隊長はとぼけた顔で笑うのだった。








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