第18話 ゆーひさん成長中

 その妖怪は人の手によって作られた。

 ……というよりも改造されたというべきか。

 元は『悪食あくじき』と呼ばれる妖怪であった。

 大きな体のほとんどが口であり、山野を彷徨い空腹になれば生き物であろうと岩や土であろうとなんでも食らってしまう。

 そんなところから付いた名だ。

 その悪食がある時、人によって捕らえられた。

 悪食は妖怪の中の極少数である妖怪だった。

 大半の妖怪は人に化けることができる。

 悪食がそれができない理由は知性であった。

 この妖怪はそこまでの知性を持っていなかったのである。

 原始的な食欲のみで動く妖怪、それが悪食だった。


 人に化けられない妖怪の末路は決まっている。

 幕府の公式の発表ではそういう妖怪たちの生活するエリアが存在しそこに放たれるという事になっているが実際は異なる。

 ……殺処分。

 それが定められた末路。

 悪食もそうなるはずであったのだが……。


 ふとした事から悪食の噂を聞きつけた幕府の研究機関が悪食を引き取った。

 そしてその時からこの機関の研究者たちによる悪魔じみた悍ましい実験が始まったのだ。


 柳生キリコはこの機関の施設……表向きは某製薬会社の研究所という事になっている……に招聘された時にこのかつては悪食であったものを目にしている。


 巨大な人型の妖怪によって抱きかかえられるような体勢で押さえ込まれているそれ。

 それは赤紫色の巨大な臓器のような異形であり、その表面には大きさも形もまったく不揃いな歯が並んだ口が付いている。


 そして次々に放り込まれてくる意識のない妖怪たちを体表から伸ばした触手で絡めとって食らう。

 ただひたすらにそれだけを続ける存在。

 長い時をかけひたすら妖怪だけを食わせ続けられた結果、妖怪のみを餌として生きる忌むべき異形と成り果てたかつて悪食と呼ばれていたもの。


 柳生キリコが彼らに依頼されたのはこの異形を小型化した上で増殖させられないかという研究であった。

 彼女はその依頼を断り現在逃亡生活中である。


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「視察だと?」


 火倶楽城かぐらじょうの自らの執務室で宍戸ししど豊善ほうぜんが振り向いた。

 側近の男が頷く。


「はい。今月の15日に芭琉観ばるかん様が……」


 面倒なことを、という渋面で豊善が舌打ちをする。


「五大老があんな所に何の用だ。当然あそこが実質幕府うちの機関である事は知っておろうに」


 五大老とは幕閣の最高権力者たちであり幕府において将軍に次ぐ№2の地位にいる5人の総称である。

 慣例的に天領てんりょう五カ国と呼ばれる火倶楽を取り囲む5つの国の国主が就く。

 幕府内では豊善にとって将軍以外では唯一自分の上位にいる幹部たちであった。


「いかがいたしましょうか?」

「断れるはずはあるまい。……どのみち例のあれは地下だ。入り口も見えているような場所にはない。上の問題ない部分のみご視察頂いてお帰り頂け」


 極星きょくせい製薬の非合法イリーガルな研究施設は地下に集約されている。

 出入口などもカモフラージュされており研究者以外は極限られた者しか立ち入る方法は知らされていない。


「柳生キリコも未だ見つかっておらん。今はとにかく穏便にやり過ごさんとな……忌々しいが」


 そう言って豊善は不機嫌に鼻息を吐くのだった。


 ──────────────────────


 火倶楽市煌神町、黒羽探偵事務所の午後。


「だからねぇ俺はツレーんすよ。隠し事すんのってこんなにツレーんすねえ」


 爪楊枝の刺さった羊羹を口に運んで陣八が大きくため息をついた。

 ちなみにその羊羹は彼が今日持ってきた手土産である。


「だから何を隠してんですかっつの、オメーは」

「いやぁ、そりゃ言えねーんすよ。エト姐さんにも言えねんすよ」


 困ったー、みたいに首を横にぶんぶん振る陣八。


「なんなんだこのバカは。センセ、しばいていいですかねコイツ」


 急に話を振られたウィリアムが「え」と一瞬硬直した。


「彼をしばいても何も生まれないよ。ただ君がスカっとするだけだ」

「だからただスカっとしてーんですけどね」


 嘆息してとりあえずしばくのは諦めたらしいエトワール。


 すると、そこまで黙って漫画雑誌を広げていた優陽が急にその雑誌をぱたんと閉じた。


「先生、ちょと手合わせしよ。久しぶりに」

「構わないが、いきなりだね」


 少なからず驚くウィリアム。

 最後に彼女と手合わせなどしたのはいつであろうか、と考える。

 10年以上前なのは間違いない。


「珍しいこと言うじゃねーですか、何かヘンなもん食ったのかオメー」

「皆同じものしか食べてないじゃんって!」


 けらけらと笑っている優陽である。


 そして、一同は事務所を出て雑居ビル裏の駐車場に出てきた。

 今は車は一台も停まっていない。


 ウィリアムと優陽が木刀を持って向かい合う。

 立会人はエトワールと陣八だ。

 右手だけで木刀を持ち、それを正眼に構える優陽。


「ちょっと、本気で行くから先生よろしくね」

「……わかった」


 ぞわっ、と陣八の全身に鳥肌が立つ。

 ありふれた昼下がりの街中で彼は底のない深淵の縁に立っているような気分になる。


 とん、と軽やかに優陽が宙を舞った。

 助走も屈伸なしに彼女は身長の何倍もの高さに跳躍する。

 そして飛びながらくるりと縦に回転しウィリアムの頭上をちょうど頭が真下になる位置関係で通過して……。


 カァァン!!!!!!!


 高く大きな木製の打撃音が1つ周囲に響いた。


(うおおおお、見えねええええ!!!!)


 気が付けば陣八は全身に汗をかいていた。

 音からして優陽がウィリアムの頭上を飛び越えながら攻撃を行い、彼がそれを木刀で受けたのだと思うがいつそんな攻防があったのかまったくわからない。


「どーです、8発に見えたろ? だけど本当は今の11発だからな」


 そんな陣八を見てエトワールがニヤリと笑う。


(いやいやいやいやいや8発にすら見えてないっつうの! 1発も見えてませんって!!!)


 愕然とする陣八。

 隊内では副長以外では無敵と自負する自分が……韋駄天いだてんの異名で呼ばれる神速を売りにしている自分が……。

 まったく、まるで、目で追えなかった。


「あらら……」


 優陽の手の中で木刀がバラバラに折れて崩れて無数の木片と化す。


「壊しちゃった。こうなるのは私が未熟だからだよね」

「そうだな。武器に合った力加減で戦うことも大事だからね」


 ウィリアムが手にしている木刀は壊れていない。

 とはいえ、彼にはわかっている。

 力加減に一日の長があり優位を取れるのはお互いが木刀を持って殺意のない修練だから。

 もしも優陽が彼女の力に耐えうる武器を手にして本気で殺しあえばもう自分では敵わないだろうと。


「しかし……」


 そこで言葉を切り、ウィリアムはふーっと鼻で長い息を吐いた。


「おどろいたよ。また強くなったね」

「えへへ。でしょ? ちょっとそれを確かめてみたくてね~」


 自慢げにピースする優陽。


「食っちゃ寝しかしてねーのになんで強くなってんですか。どういう生き物なんだテメーは」


 呆れて首をカクンと斜めに傾けるエトワールと言葉もなく固まっている陣八。


「んー、そこはホラ、日ごろの行い?」

「なら最悪じゃねーか」


 エトワールがボヤいたその時……。


「ちょとお、アンタたち何やってんのよ全員で事務所空けて~。お客さん困ってんじゃないのよぉ」


 野太い声がしてパープルがやってくる。

 そしてその背後には何やら気弱そうな中年女性がパープルの広い背に隠れるようにしてこちらを窺っている。


「いかん。依頼人の方か」

「滅多に客こねーのに珍しいですね。また猫か?」


 慌ててウィリアムたちが撤収する。


 ばたばたと全員で事務所に戻り、とりあえず推定依頼人を応接用ソファに座らせてお茶を出す。

 相変わらず陣八はいるし、おまけにパープルまで増えた。

 警官と夜の店のオカマがいる謎の探偵事務所になっている。


 パープルはふらりと訪ねてきて閉まっている事務所の入り口の前で立ち尽くす女性を発見したらしい。


「迷える子羊に道を指し示しましょう。さて本日のお悩みは?」

「それ探偵事務所の口上じゃねーだろ」


 胸に『所長代理』のリボンを付けて依頼人の正面に座った優陽に例のごとく半眼でつっこむエトワール。


「あの……実は……」


 そこで中年女性は涙ぐみ、ハンドバッグからハンカチを取り出し目頭に当てた。


「主人が……うちの主人が浮気をしているみたいで……」


 声を震わせて言う中年女性。

 思いがけずヘビーな話が来て一同が沈黙してしまう。


「えーと、それで……旦那さんをブッ殺せばいいみたいな感じ?」


 発言した優陽の頭をエトワールが手にしたお盆で思い切りパーンとしばいたのだった。

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