17「まるで一等星のような」

達巳と水上、半崎の三人は、渋谷にあるサウナ施設に来ていた。高温多湿の室内で、無言で汗を流す。


かなり人気のあるサウナらしい。周囲には同じく全身を汗で濡らした男達が所狭しと座っており、各々自分との戦いに励んでいる。壮年から中年の会社員らしき者もいれば、達巳と同年代の学生のような者も思いのほか多く見れた。


これだけの人数がいながら、誰も何も話さない。語らない。それがマナーだからだ。サウナとは、自分自身と向き合う場。会話などいらない。


九分、十分も経とうかという頃合いで、達巳はサウナ室を出た。少ししてから、水上と半崎も続く。全身の汗を流してから、達巳は水面を気にしつつも水風呂に浸かる。入った直後は冷たいが、やがて体の周りを空気の層が覆って温かく感じてくる。


頭がぼんやりとしてきたタイミングで、水から出て、椅子に座る。室内ではあるものの、天井が格子のように開いており外気がよく入ってくる。初夏の夕方のひんやりとした風が、達巳を包んだ。


この間も無言。


無言である。普段は多弁な水上でさえ、何も喋らない。


達巳は大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。身体中の全ての酸素を吐き出すために。そして新たに新鮮な空気を取り込むために。全身の血流が激しく高まり、風の音が、揺れる枝や擦れる葉の音が、水の流れる音が、通常よりも鋭敏に感じられる。目を閉じているのに、世界がよりハッキリと見える気がする。


——全く、理解に苦しむね


達巳の脳内にノイズが混じった。


——生命を脅かしかねない高温下に身を置いて限界まで耐えたかと思えば、今度は過度な低温で身体を冷やす。わけが分からない


達巳は眉を顰めるが、すぐにまた集中を取り戻す。風の匂いを感じ取った。


——恒温動物の特権なのかも知れないが、甚だ滑稽だ。進化の結果がこの有様というならば、私は変温動物のままで構わないな。まるで憧れない


達巳はまた眉を顰めた。白眉のぼやきはさらに続く。


——言葉を武器として成り上がったヒトという生物が、それを一斉に放棄している。身を守るものを何も持たない無防備の極致のような姿でだ。意味不明。もはや恐怖すら覚えるよ。今この場に、たった一体でもお前達に害意を持つ者が現れれば、お前達はなすすべなく死ぬわけだよ


もはや達巳の集中は完全に事切れた。泡沫のようにデリケートで儚い『整い』への道は、白眉のお喋りによって消え去った。達巳は苛立ちを感じずにはいられなかった。


それから二セット、三セットと繰り返しても結果は変わらなかった。白眉の独り言がある限り、それは成し得ないのであった。


浴場を出て、施設内の食事スペースに移動した三人は、口々に感想を言い合った。


「すげー良かったっすね!ここのサウナ!俺、絶対通います!」


水上が興奮気味に言う。ドリンクを飲みながら、半崎が笑った。


「だろ?俺、週三で来てるから」


「じゃあ俺は週四にします!」


「何で張り合うんだよ」


呆れ顔で言う達巳に、半崎が尋ねる。


「どうだった、初めてのサウナは」


「あー……」


厳密には初めてでは無い。銭湯などに付属しているものには入ったことがあるからだ。しかし、サウナだけを目当てに本格的な施設に来たのは確かに初めてであった。


実際、凄く良かったと思う。……白眉さえいなければ。


「悪くなかったっすね」


「達巳の『悪くない』は『めっちゃ良い』って意味っすよ!」


水上の翻訳に、半崎は笑った。


「それは良かった」


「三つ星判定っすね。タツミシュランで言うと」


「なんだその新語は」


そんな会話で盛り上がる中、やがてサークルの話題に移る。


「明音ちゃんって、どういう男が好みなんですかねー」


水上が半崎に問う。依然、彼は伊武狙いだ。達巳が茶化すように答えた。


「ストーカーしない男だろ」


「それはそうだろうな」


半崎が苦笑いをした。


「その件は、明音ちゃんに悪いことしたなって思っててさ」


「え?雄二さんの責任は無いでしょ?」


そう言う水上に困ったような笑みを向けて、半崎は続ける。


「元々、例のストーカー君をサークルに誘ったの、俺だからさ」


「そうなんですか?」


「ああ。だから、俺のせいなんだ」


「そんなこと無いでしょ」


達巳がきっぱりと言った。


「悪いのはそいつ自身だ。半崎さんはただ誘っただけでしょ」


半崎はまた困ったような笑みを浮かべると、間を埋めるように、ドリンクを口にした。


達巳は、本題に入る機会を伺っていた。なんとかして、自然な形で聞きたい話題に誘導したかった。半崎に続いてドリンクを飲んだ後、また尋ねる。


「その、ストーカーってもしかして、地元の後輩とかですか?幼馴染的な……」


「え?うん。そうなんだよ。よく分かったね」


 少し驚いた様子で半崎は言った。


達巳は何もストーカーの素性など知らないし推察もしていない。ただ、自分の望む話題に移行するために『地元』や『幼馴染』というワードを使いたかっただけだ。そしたら偶然、当たっていた。


しかし今はストーカーなどどうでも良い。


「別に、ただの当てずっぽうですよ」


「達巳って結構勘が鋭いよなー。幼馴染が桜乃真希なわけだわ」


水上が口を挟む。言っていることこそ意味不明であったが、今の達巳にとっては大変ありがたい援護射撃であった。


「うるせえ。お前、桜乃真希の話題いつまで引っ張るんだよ……そう言えば」


ちらりと半崎の顔色を伺いながら、何気ない調子で達巳は聞いてみる。


「半崎さんの幼馴染も、役者だったんですよね」


「ん?……ああ、まあ」


上手く取り繕ってはいるが、半崎の声色がほんの少し陰ったのを、達巳は聞き逃さなかった。


「え!そうなんですか?誰っすか?」


案の定、水上が食いつく。ミーハーな彼がこうなってしまうと非常に厄介だ。達巳は身をもって知っている。


半崎はまた苦笑いを浮かべつつ、ゆっくりと話し始めた。


「茶野茜って言うんだけどね。小学校の六年間、同じクラスで……」


「『ちゃのあかね』?ちょっと聞いたこと無いっす!」


水上の無遠慮な言葉に達巳がつっこむ。


「本名と芸名が別なんだろ」


「そう。多分、『狭山あずさ』って言ったら分かるんじゃないかな」


達巳は思わず息を飲んだ。


聞き覚えのある名前だ。


「あ!なんかその名前は聞いたことあります!えっと、昔、朝ドラかなんかに出てましたよね!そういや今って何してるんです?」


「馬鹿‼︎」


達巳が慌てて水上を静止するが、遅かった。恐る恐る半崎を見ると、彼は相変わらず笑顔であった。


「亡くなったよ」


達巳は思わず目を瞑った。水上の声のトーンが下がる。


「え、すみません……軽く聞いちゃって」


「いや、良いんだよ!昔のことだし」


達巳達に気を使わせまいと明るく振る舞うその姿は、より痛ましく見えた。狭山あずさがどのように死んだのかを達巳は知っていたからだ。当時、その事件は新聞やニュースで大々的に報道され、達巳も細かくチェックしていたのだから。


そしてそれは達巳にとっても、決して無関係な事件では無かったから。


当時、天才子役としてドラマやバラエティで引っ張りだこだった狭山あずさ。桜乃が憧れ、役者を夢見るきっかけとなった少女。華やかで明るい未来を約束されていたはずの彼女は、歪んだ悪意を持った男の手で殺された。


そして桜乃にまで及んだその男の魔の手を達巳と白眉が捕らえたのだ。今でも忘れない。男の顔と視線、声。思い出すたびに、全身に悪寒が走る。


「……どんな子だったんですか?」


沈黙を破ったのは、水上の言葉だった。


「できれば、聞いてみたいです。雄二さんの中で生きてる狭山あずさちゃんの……茶野茜ちゃんの思い出を、俺達にも分けてほしいっす」


裏表の無いその言葉に、半崎は穏やかな笑みを浮かべた。


「ありがとう。そうだな、初めて会ったのは小一の時なんだけどね……」


初めての席替えで、隣の席になった。引っ込み思案だった半崎に積極的に話しかけてきた茜は、半崎の最初の友達になった。低学年の時は男子に負けず劣らずのヤンチャっ子で、イタズラや喧嘩は日常茶飯事。半崎も常にそれに巻き込まれて、共に先生に怒られる羽目になったのはいまだに納得がいっていないという。


地元の小さな神社の祭りに、茜の弟も交えた三人で、毎年行った。皆でお小遣いを出し合って買った一つのお面を取り合って喧嘩して、半崎も茜の弟も毎回コテンパンにされていた。誇らしげに、楽しげに面を被る彼女の奇抜な盆踊りは、どうしても忘れられないそうだ。


そんなお転婆な茜も、高学年になるにつれて落ち着いていった。男勝りの短髪も少しずつ伸ばして、頑なに履こうとしなかったスカートにも挑戦してみて、それでも筆箱だけは、半崎とお揃いの、変身ヒーローデザインのものをずっと使っていた。


習い事で始めた演劇にてその才能を開花させ、常に主役を演じていた。いつか、お気に入りの変身ヒーローシリーズに出演することを夢見ていた。そして東京の祖父母の家に行った際に、歩いていた渋谷の街でスカウトを受けた。


それから会える回数は極端に減ったが、それでも手紙のやり取りをして近況を報告し合っていた。テレビに映る彼女の活躍を見るのが、半崎は好きだった。


子役の『狭山あずさ』が有名になるのと比例して、『茶野茜』として半崎と関わる機会は減ってゆく。彼女の姿をあらゆる場所で見るようになるたびに、手紙の数は減っていった。


やがて、中学受験を理由に休業した直後に送られてきた返事を最後に、彼女からの手紙は途切れた。


『私、これから少しの間休むことにした。もちろん、受験のためだけどさ。でも、時間はできるし、久しぶりに会えるかも!』


渋谷の街。数えきれない人の群れが行き交う大都会。その中にあってもなお目に留まるほどの、まるで一等星のような輝きを、狭山あずさは……茶野茜は、持っていたのだろうか。一人で歩む帰り道。人混みに揉まれ、また埋もれながら、達巳は思った。


——先ほどの半崎雄二の話から、思い出したことがある


白眉がおもむろに言う。


「あの男のことだろ?」


——そうだ。憎むべきあの男の事を思い出した


白眉が何を語ろうとしているのか、達巳には薄々予想がついていた。確証こそ無いものの、彼の持つ勘が、一つの事実を導き出していた。


そして白眉が思い出したそれは、達巳の勘を裏付ける情報だ。


会話を交わさずとも、達巳と白眉の見解は一致していた。


——我ら蛇は、嗅覚が鋭い。舌で匂いを感じ取ることができる


「知ってるよ。何年一緒にいると思ってんだ」


交差点の喧騒の中で、達巳の『独り言』を気にする者は誰もいなかった。


——思い出した匂いは、非常に似通っていた。偶然とするにはあまりに不自然なほどに。それこそ限りなく近しい血縁を感じさせるほどに、匂いが同じなのだ


「ああ。だろうな」


達巳は一人頷いた。


——あの男と川澄すぎなは、同じ匂いを持っている。


ついに捕らえた。この事件の真相を。


川澄すぎなが隠していた大きな秘密。そして、思いがけないところから出てきた、最大のヒント。


達巳の中に、ようやく具体的な犯人像が浮かび上がる。それは......これまで想定もしていなかった、気づきようのない死角から現れた答えであった。



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