20〈違和感〉

その日は夕方から雨が降っていた。土砂降りの大雨。その中を、達巳はビニール傘をさして歩く。


 頭の中で、ここ一週間で起こったことを思い返す。


 先週の今日、達巳は半崎を呼び出して、大学近くのカフェでこれまでのことを話した。サークルのSNSを管理する川澄に宛てて送られる誹謗中傷の話。そして達巳の予想通り、その事件の一端に、半崎は関わっていた。


 半崎の協力を得たその翌日、誹謗中傷の送り主である茶野彰とカラオケ屋で対面した。多少の口論にはなったものの、最終的には茶野の説得に成功し、二度と暴言のDMは送らないと、川澄に対して危害を加えるようなことは一切しないという約束を取り付けた。


 その約束にいかほどの効力があるかは分からない。茶野が本心から反省しているか、同じことを繰り返さないかなど、達巳には確信はできない。しかし、以前とは違い、半崎の監視の目がある。川澄もまた、何かあれば話してくれるだろう。現状が好転しているのは確かなことだ。


 茶野の説得から三日後。吉祥寺のファミレスで、達巳の仲立ちのもと、半崎が川澄に謝罪した。その場に来なかった茶野の分も含めて、村上経由で川澄の個人情報を得ていたこと、それを茶野へ教えてしまったことに関して深く反省の意を示した。何度も頭を下げる半崎に対し、川澄は何度も頭を上げさせた上で、許すと言った。半崎のことも、茶野のことも。二人の気持ちを、動機を理解した上で許し、さらに父親のしたことを謝罪した。


 両者のやり取りを、達巳は黙って聞いていた。これは二人の問題であり、無闇に口を出すべきではないと思ったからだ。尤も、口を出そうにもどうすべきかも分からなかった。


 半崎が自動車教習所に行くため一足先に帰った後、川澄はおもむろに達巳へ言った。


「ありがとうね。やっちんくん」


 もはや聞き飽きた感謝の言葉だった。


「いえ、別に……」


「何度言っても言い切れないよ。キミは……凄いね、やっぱり。ヒーローだよ。私にとって」


「辞めてください。そんな大層なもんじゃ無いです。偶然と気まぐれの結果ですから」


 心底煩わしげに言う達巳を見て小さく笑ってから、川澄は言い換えた。


「じゃあ、キミはあれだ。最高のボランティアンだ」


 達巳は呆れ顔でため息をついた。それから話題を変えるべく、スマホを取り出した。


「そういや、サークルのアカウントですけど、もう茶野のDMは来ないわけですから、管理の権限を川澄さんに返して良いですか?俺だとサークルのこととか呟けないんで」


「ああ、そうだね。分かった!」


 スマホを操作しつつ、達巳はなんとなく聞いてみた。


「もともとこのアカウントって、複数人で交代してたんですよね?」


「そうそう。またその形式に戻そうかな」


「半崎さんや、山路さん、あとは……誰です?」


「あとね、もう一人。やっちんくんは話したこと無いと思うけど〜」


 川澄が言った最後の一人は、達巳は名前だけ聞いたことのある人物だった。サークルのメンバーの一人で、川澄の大学の友人だと言う。


「……ここだけの話、山路くんの元カノなんだよね〜。別れたからサークルに顔出し辛くなったって、最近来てないんだけど」


 苦笑いで言う川澄を見ながら、達巳は思った。


 そうか、竜胆は関わってなかったのか、と。


 考えてみれば当たり前のことだ。竜胆がサークルに参加し出したのはごく最近、達巳や水上と同じタイミングだったはず。そんな彼女がサークルのSNS運営に関係しているはずがない。達巳は一人納得した。そもそもなぜ、竜胆が関わってるという発想に至ったのだったか。今となってはどうでも良い。


 達巳はついでに、竜胆関連の別件を確認しておくことにした。話題を、少し前の親睦会の件に移す。山路が居酒屋で暴れたあの日のことだ。


「あの時、大変でしたよね。なんとか水でも飲ませて落ち着かせようとしましたけど……」


「無理だったね〜。それこそ、あの時は彼も破局直後で荒れてたんだよね」


 川澄が笑って言う。達巳はその様子を観察するように見ながら、続けた。


「結局全く水飲ませらんなかったですもんね」


「私達はね。でも、ゆずが飲ませるのに成功したんだよ。これが妙案でね〜」


 川澄の話を聞いて、達巳は頷く。白眉の推理の通りだった。やはり、あの時山路に毒を盛った蛇憑きは竜胆で間違いない。


 それを確信したところで、達巳は特別何かをする気は無かった。蛇の毒を乱用するのは良い事とは思えないが、達巳は別に教師だったり、警察だったりする訳では無い。その件について竜胆に何か言う気も無ければ、これ以上彼女に関わる気も無かった。


 以前白眉が言っていた通り、他の蛇に自分の境遇を知られるのはリスクが伴う。達巳が蛇憑きであることは、竜胆に知られるべきでは無いのだ。川澄の件も解決した今、サークルに参加するのもこれで打ち止めにすべきかもな。達巳はそう思った。


 別れ際、JRの改札前で川澄が言う。


「また、次のサークルでね!」


 達巳は無言で手を降った。


 それから数日、大学に行ったり、バイトをしたり、以前と変わらない、なんでもない日常に達巳は戻っていた。


 そして大雨が降る今日。達巳は一人考えごとをしながら歩いていた。傘をさしながら、最寄り駅から家まで。


「……これで良いんだよな。全部解決したんだ」


 自分自身を納得させるように呟く。それに対して、脳内の声が答えた。


——そのような事を言うのは、つまり、何か引っかかっているという事だね。お前の中で、何か拭えない違和感が残っているのだ


 達巳は何も答えない。しかし、白眉の言う通りであった。何か、何かが足りない気がする。本当に全て解決したのだろうか。何か大事な事を忘れている気がする。


「……違和感って訳じゃないが……モヤモヤしてることはあるよ。川澄さんと半崎さんのこれからの関係のことだ」


 それまで、サークルで見た二人の関係は、他の人達とのそれとは違って見えた。つまり、特別な間柄。ただのサークル仲間や、友情とも違う特別な空気感。


 分かりやすく言うならば、友達以上、恋人未満。


 二人を見て、達巳はもしかしたら付き合ってたりするのだろうかと思った。サークルの飲み会なんかでも、そのような噂話はちらほらと聞こえてきた。


 カラオケ店で茶野と話した時、彼もそのような事を言っていた。


「雄二くんは、川澄のことが好きなんだ、だからあいつの味方をするんだろ⁈」


 茶野の目からもそう見えていたわけだ。


 しかし、先日吉祥寺のファミレスで二人が会った時、その空気感は消えていた。まあ、それは当然のことだろう。言ってしまえば半崎の軽率な行動が原因で、川澄は被害を被ったのだ。例え二人が許し合ったとしても、以前のような関係には戻れない。


 半崎はこれからも罪悪感を抱え続けるだろうし、川澄もまた自身の父親が、半崎の大切な人を奪ってしまったと知っている。その負い目は、そう簡単には消せない。もしかしたら一生残る。


 友人には戻れるかもしれない。しかし、それ以上にはなれない。もはや、二度と。


 その事実が、達巳の中のモヤモヤの正体だ。しかしそれはどうしようもないことだと達巳自身理解している。そんな事をいつまでも考えても仕方がない。


「……忘れるべきだろうな。でも、なんか考えちまう」


——では、忘れるための努力をするべきだろうな。意識して考えないようにするのだ。そもそも、他に悩むべきことはお前には無いのかい?大学の単位とやらのことでも考えてみたらどうだい。以前はそのことばかり考えていただろう


 雨音が続き、コンクリートに跳ねたそれが、靴の隙間から達巳の靴下を濡らす。じんわりとした不快感に顔を顰めつつ、達巳は問う。


「急によく喋るじゃねぇか。まるで、違和感について考えさせたくないみたいだ。なんだ?なんかあるのか?」


——考えすぎだ。無駄なことはやめろと言いたいのさ


「……ふーん……」


 ふと、達巳の脳裏に竜胆の言葉がよぎった。


「半崎さんのせい」


「……そういや、あの言葉は結局何だったんだろうな。やっぱり竜胆は今回の件に気づいてたってことか?」


——達巳よ。無駄なことは考える必要ないのではないかい


「……気づいてたとしたら、どこで?……あ、そうか。だから俺は、竜胆がSNS管理に関わってたんじゃないかって思ってたんだ。それで誹謗中傷のことを知ったんじゃ無いかって、思ってたんだ。……でも、結局それは間違ってた。じゃあ、竜胆は今回の件は知らなかった?」


——そういうことだな。あの竜胆柚巴は蛇憑きではあったが、川澄すぎなの件には関わりは無かったのだろう


「……でも、竜胆は半崎さんに毒を盛ってる。それって、半崎さんのやってた事に気づいて彼を敵視したから、じゃ無いのか……?いや、待てよ、違うな……違う!」


 達巳は、違和感の正体に気がついた。


「半崎さんの言っていたことが正しいなら、彼が『蜂』の被害を受けたのは、事件が起こる前だ。半崎さんが行動を起こす前に、竜胆は半崎さんに毒をくらわしたんだ。……だとすると、どういう事だ?」


——何かのきっかけで、半崎がそのようなことをしかねないと判断して、その前に攻撃を加えた、といった事では無いのかい?


「おい、誤魔化すな。さっきから、お前、何か隠そうとしているな?なんだ?なんか気づいてんのか?」


 白眉は何も言わない。達巳はさらに続ける。


「そういや、山路さんが盛られた毒の効果って、どんなだったっけ?確かに意図的に人を暴れさすみたいな……そんなのじゃ無かったか?」


——ヒトの負の感情を増幅させる毒だ。黒蟒こくぼう十八番おはこだな


 達巳はハッと息を呑んだ。脳裏に言葉が浮かぶ。


「例の『蜂』に刺されて、三日くらい熱で寝込んだ。その間、ずっと見たんだ。夢を……茜の夢を。あいつが殺された……悪夢を」


「どんな人にも心の内がある。そこに皆、汚いものを隠しとる。外も内も変わらず綺麗な人なんて、すぎな先輩くらいやっちゃん」


——できれば、お前には気づいてほしくは無かったのだがね


 白眉が一人ぼやく。


——気づいてしまえば、お前は行動に移す。しかしそれは、非常に危険な行動だ。黒蟒に我々の存在を知られる。最悪の場合、黒蟒との殺し合いに発展しかねない。お前や、竜胆柚巴を巻き込んで、だ。……それでも、お前は、もう止まる気は無いのだな


 その問いに、達巳は頷いた。雨音が強くなった。


「竜胆に会いに行くぞ。一言物申してやんないと、気が済まない」


 白眉はやれやれ、と呟いた。



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