19「お前が……その犯人だ。そうだな?」

夜中十時、いつものように、それらの言葉をボランティアサークルのSNSへと送る。


『川澄すぎなは人殺しの娘』

『恥知らずの偽善者』

『×××』

『犯罪者』

『キ××イ』

『生きる価値がない』

『やってることがただの自己満足』

『死んだ方がいい』

『こっちはお前のことはなんでも知ってる』

『時が来たら、お前の罪を週刊誌に持っていく』

『クズの父親の後を追って死ね』

『言うこと全てが的外れ。薄っぺらい綺麗事並べ立てて馬鹿を騙す詐欺師』

『聖人のふりしてイケメン男に良い顔するクソ×××』

『お前の家は知っている』

『最寄り駅は○︎○駅。そこからバスに乗って、△△のバス停で降りたところにあるアパートの三階』

『いつでも会いに行ける。今夜行っても良い。お前の部屋を三回ノックする』


唐突に返事が来た。


『来れるもんなら来てみろよ。住所間違ってるけどな』

『うちの最寄りは◎◎◎駅だ。来いよ』


いつもと違う文体の返信に戸惑いつつも、少し間を置いてから問いかける。


『誰だ?』


すぐに返答が送られてきた。


『会いに来いよ。そしたら名乗ってやる』

『しかし、よくもまあこんなにたくさん悪口が思い浮かぶな』

『語彙力は低いけどな』


舌打ちをして一言送る。


『調子乗んな。死ね』


その日のDMはそこで打ち切った。苛立ちを紛らすため歯軋りをしてスマホを見ていると、チャットアプリの通知が届く。


それは半崎雄二からの誘いであった。


Yu-Ji『夜遅くにごめん。明日って会えるか?』


「……」


先ほど来た謎の返信の正体を、雄二ならば知っているかもしれない。そう考え、『会える』とだけ伝えた。


翌日、行きつけのカラオケ屋に向かう。半崎はすでに着いているらしい。店に入り、店員に待ち合わせと告げて、指定された番号の部屋に入ると、そこには半崎ともう一人、見知らぬ青年が座っていた。


 訝しみ、青年を睨むと、彼はスマホの画面をこちらへ見せながら言った。


「はじめましてだな。お前が、茶野ちゃのあきら……この暴言の送り主だな?」


 見せてきたそれは、例のDMの画面であった。


 青年はさらに続ける。


「俺の名前は谷地やち達巳たつみ。このアカウントの、新しい管理者だ」


部屋に入ってきた青年に対し、達巳はそう名乗った。立ったまま無言でこちらを睨む茶野に対し、達巳はさらに言う。


「そんなとこ突っ立ってないで、とりあえず座れよ」


少しの間を置いてから、茶野はゆっくりと、達巳の正面の席に腰掛けた。室内が重い静寂で満たされる。どう切り出したものか、達巳が考えていると、横から半崎が口火を切った。


「俺も……正直詳しく理解できてるわけじゃないんだけど、昨日君から聞いた話だと、彰が、すぎなに対して何か嫌がらせのようなことをしてたってことだよな?」


「……まあ、そうですね」


 達巳が返すと、半崎はすぐさま頭を下げた。


「だとしたらそれは俺のせいだ!昨日も言ったけど、俺が例のことを話したから……!」


「落ち着いてください。だいたい、謝る相手は俺じゃない」


 そう言って、半崎を諫めたあと、達巳の目線はまた茶野へ移る。茶野は誰とも目を合わせず、テーブルの下の、自身の手を見ていた。


 達巳は小さく深呼吸をした後、ゆっくりとした口調で茶野に尋ねた。


「お前は……狭山あずさの……いや、茶野茜の弟だな?」


 茶野は何も答えずにただ達巳を睨みつけていた。髪の長い細身の青年だ。顔色が青白く、不健康そうな印象を与えるが、顔立ち自体は姉の面影があり、整っている部類であった。


 達巳は端的に、これまでのことを説明した。川澄の管理するボランティアサークルのSNSに、彼女に向けた誹謗中傷が送られて来るようになったこと。そのことを偶然知った達巳が犯人探しを行い、そしてそれを突き止めたと言うこと。


「茶野茜の弟、茶野彰。お前が……その犯人だ。そうだな?」


 渋谷のサウナで半崎から聞いた茶野茜の話。その中に現れた、彼女の弟の存在と、半崎の地元の後輩とされる、伊武をストーキングしていた元サークルメンバーの存在が達巳の頭の中で繋がった。それが最大のヒントとなり、達巳を答えへと導いた。


 茶野彰は何も答えない。達巳はため息をついてから、半崎へと視線を移す。彼はかなり狼狽している様子で、項垂れながら片手で顔を覆っている。


「大丈夫ですか?」


 達巳の問いに、半崎は無言で頷いた。半崎には昨日、今回の件の全容を話してある。川澄の許可を得て、彼女の父親の件も含めて、全て話した。そして、達巳の予想していた通り、半崎はすでに川澄の秘密に関しては知っていた。しかし、それによって川澄が被害を受けていたと言うことは知らなかった。


 達巳はまた一回呼吸を整えてから、茶野に向けて話を始めた。達巳と白眉が二人でまとめた、この事件に関する推理だ。


「そもそもの始まりは、繁華街で起こっている、『蜂』による通り魔事件だった」


 主に新宿の歌舞伎町を中心とした繁華街にて連続して起こった襲撃事件。犯罪者や、それに近いグレーな職業の人間が何者かにより毒物を注入されるという傷害事件が起こっていた。


「その事件の調査を『探偵』村上上総が何者かに依頼されていた」


被害者は皆、毒物の効果による高熱に苦しみ、また体のどこかに小さな針で刺されたような二つ並ぶ跡が見られるという共通点があった。そして、それらの事件とは一見関わりの無さそうなボランティアサークル内で、同じ特徴の被害者が確認された。


それは伊武明音にストーカー行為を行なっていた者。つまり。


「それもお前なんだろ?」


達巳は茶野の腕を見て言う。シャツの袖を捲って露出した彼の手首には、小さな二つの刺し跡が未だ残っていた。


「このボランティアサークル内に、『蜂』がいる。そう考えた村上は、サークル内の情報を収集するため、サークル内に乗り込むために、その運営に関わるメンバーに接触した。そのメンバーが欲する情報を手土産に。……ですよね?半崎さん」


半崎を見る。彼は何か重苦しい物に押し潰されるかのような表情で、頷いた。


「四月の頭のことだ。毎年その時期になると……どうしても思い出してしまうんだ。茜のことを。あいつの、最後の手紙が来たのが、この時期だったから。特に今年はちょうどその時期に……例の『蜂』に刺されて、三日くらい熱で寝込んだ。その間、ずっと見たんだ。夢を……茜の夢を。あいつが殺された……悪夢を」


 熱が冷めた後も、半崎の中の衝動は冷めなかった。茶野茜への想い。彼女を殺した犯人、緑川宏輝への憎しみ、怒り。しかし、それらの激情を向けるべき本人はもはやこの世にはいなかった。


「でも、奴の関係者はまだ生きてる。家族や、友人や、とにかく……緑川と関わりがあった人間はまだこの世に生きている。自分でもどうしたいのかは分からなかったけど、でも俺は、自分の気持ちを落ち着けるために、怒りの落とし所を探すために、緑川の関係者の所在を調べていた。見つけて、何がしたいのかは、俺にも分からなかった」


 そんな時に、半崎の前に『探偵』を名乗る男が現れた。


「村上くんは、緑川の家族の情報を持ってるって言った。それを渡す代わりに……自分に協力するよう持ち掛けてきたんだ」


 協力の内容は、サークルへの招待と、そのサークル内の半崎が知る限りの情報の提供というものだった。彼にとってそう難しい内容ではなかったため、彼は即諾した。しかし、いざ望んでいた情報を、緑川の家族の情報を見た時、彼は自分の目を疑った。


「まさか、すぎなが緑川の子供だったなんてさ。さすがに、最初は信じられなかったよ」


 それでも、川澄すぎなと緑川宏輝それぞれの戸籍謄本の写しや、事件当時の複数の報道記事の写し、それぞれの血液型の情報等、村上が提示したそれらの情報源から、半崎はその事実を疑いようがなかった。


「俺は……俺は、どうして良いか分からなくなった。ずっと憎しみを抱いていた、あの男の血を、すぎなが持っているなんて。あの男に育てられて、あの男を父と呼んでいたなんて。俺にとって緑川宏輝は、悪鬼羅刹。同じ人間とすら思いたくない屑。例え死んでいても、何度だって、何度だってこの手で殺してやりたいくらいに憎い相手なんだ。なのに……なのに!すぎなの存在が……あいつが人間だと、俺と同じ一人の人間だということを証明してしまったんだ。俺はそれが不快で……苛ついて、どうしようもなかった。だけど、だけど……だけど‼︎」


 半崎の額から脂汗が流れて、目の横を伝い頬を流れる。その表情は引き裂かれるような苦悶に満ちていた。


「……だけど、それでも……すぎなは、大事な存在だ。大切な…………仲間なんだ。あいつは悪くない。あいつは悪くない。すぎなだって、緑川宏輝に苦しめられた被害者なんだ」


 その理性が、半崎の怒りを収めた。もし緑川の家族がすぎなで無ければ、自分がその相手に対して何をしたか分からない。そう自嘲的に彼は笑った。


 ただ、全ての怒りを抑え込めたわけではない。自分の行動の全てを理性で抑え込めたわけではない。つい、隙間から漏れ出すような、溢れ出すような感情が、行動に移してしまった。


 それは小さな行動だったが、それが今回の事件を引き起こすトリガーとなってしまった。


「……村上くんから得た情報を……すぎなが緑川の娘だっていう秘密を……彰に話してしまったのは、俺だ」


 茜と同じく、幼い頃から共に遊んだ幼馴染。茜の死後もその関係は続き、やがて同郷の後輩としてサークルにも招待した。茶野彰。茜の弟。最も話してはいけない、茶野茜の身内である彼に、半崎は話してしまった。


 しかもそれは五月の半ば。彰が伊武に対して行なったストーカー行為が元でサークルを追放された直後のことだった。彰に引導を渡したのは川澄だ。川澄に対して恨みを持っている可能性のある彼に、その怒りの火に油を注ぐような行為をしてしまった。


「後になって後悔した。もしかしたら、彰が何かすぎなに対して危害を加えるようなことをするんじゃないかって。でも……表向きは特にそんな様子もなく、今まで過ぎてった。だから、杞憂だったって思ってたんだ。……昨日、達巳くんから話を聞くまでは」


 半崎の語りはそこで終わった。達巳は今度は茶野へ目を向けて、話を続ける。


「半崎さんから川澄さんの秘密を知ったあんたは、彼女に対する嫌がらせを始めた。それも川澄さんの個人アカウントではなく、わざわざサークルのアカウントを狙った。川澄さんがアカウントの管理者だってことも半崎さんからさりげなく聞いたんだろう。川澄さんを苦しめるだけでなく、あわよくばサークルのメンバーに秘密が渡って、彼女のイメージを下げることも狙ったんだ。違うか?」


 確認するように達巳が問う。茶野は誰にも聞こえない小声で何か言うのみで、返答らしい返答は無かった。


「……あんたは、自分の中の怒りや不満の捌け口として川澄さんを利用した。そして川澄さんはそれを真っ直ぐに受け止めようとした。……川澄さんからこのアカウントの管理を引き継いで、今までのDMでのやり取りを見て、俺は驚いた。あんたは、川澄さんに慰められてたんだな」


 半崎が顔を上げて、茶野を見る。茶野は自身の下唇を噛み、穴が開くほどに達巳を睨みつけていた。


「茶野彰……あんたは、川澄さんへ怒り、彼女を憎んでいると同時に……彼女に甘えていたんだ」


「……ッ‼︎」


 それは、威圧するように発せられた舌打ちであった。見ると、茶野は何やら口元をモゴモゴと動かして、呪詛のような独り言を吐き出していた。


「……、……。……、…………、……。……そうに」


「ん?」


「……偉そうに。死ねよ」


茶野はゆっくりと、掠れた声で言葉を並べ立て始めた。


「……なんだよお前。言っとくけどさあ、さっきからずっと言ってること的外れなんだよ。ウザいんだよ。誰だよお前、関係ないやつが首突っ込んでくんなよ。これは俺と川澄の問題だろ?」


 達巳は何も返さずに、真っ直ぐに茶野を見ながらその言葉を聞いていた。


「俺が川澄にやったことが悪いって言いたいなら警察にでもなんでも通報すれば良いじゃんかよ。それをネチネチと、長ったらしく嫌味ったらしく俺に説教みたいなこと言って、正義の味方のつもりかよ。結局、お前がただ気持ち良くなりたいだけの自慰行為じゃんよ。キメーんだよ」


「……文章じゃなくてもだいぶ口悪いのな」


 達巳は呆れ顔で呟く。その言葉が癇に障ったのか、茶野はさらにヒートアップしていった。


「……その、冷静ぶった悟ったような態度が腹立つんだよ!自分が全部正しいとでも思ってんだろ⁈言っとくけど、お前のやってること、犯罪だからな?日本じゃ、私刑は禁止されてんだよ。俺はそりゃ、悪いことしただろーが、それを裁く権利なんてお前には無ぇんだよ!」


「落ち着け、別に俺はあんたを裁こうとか、なんか罰を与えようとか言うつもりはねーよ。あんたの言う通り、俺にそんな権利は無い。ただ、川澄さんにあのDM送るのはもう辞めてくれって言いたいだけだ」


 諭すように言いながら、達巳はチラリと半崎を横目に見る。彼はこの会話に入ろうとする素振りは無く、ただただ暗い顔で項垂れるのみであった。また茶野へ視線を戻してから、達巳は続ける。


「川澄さんへの嫌がらせのDMを辞めてくれりゃ、それで話は終わりだ!」


「……はいはい。分かった分かった、辞めてやるよ。これで満足か?」


 そう言って、茶野は口を噤んだ。しばしの無言の中で、違和感を覚えた達巳は念を押すように茶野へ言う。


「……言っとくが、DM以外の手段も駄目だからな?チャットアプリとか、手紙とか、直接何か危害を加えるとか」


「……ッ‼︎」


 茶野はまた大きく舌打ちをした。


「あー、あー、うるせぇなぁ‼︎そんな指図を俺にする権利がお前にあんのかよ⁈だいたい、どうしようが俺の勝手だろ?お前みたいな奴に俺の行動の自由を制限される謂れはねーよ‼︎」


「謂れとかじゃ無い。俺は、川澄さんから頼まれて、彼女の代わりにあんたにお願いしてるんだ。あんたのその自由とやらのせいで、川澄さんが傷ついてる」


「え?傷ついてる⁈あの程度の悪口で傷つくのは、そちらの心の弱さにも問題あるんじゃないの?今までの人生で辛いことや苦しいことを経験してこなかったから、耐性が無いんだよ。八方美人で愛想を振りまいて、周りから愛されて、優しい環境にずっといたからさ、ちょっとの暴言に耐えらんなくなっちゃってんだ。良くないよ、それ」


 茶野のその言葉に対し、達巳は一回長く息を吐いた後、反論を試みる。


「……むしろ逆だろ。子供の頃に、父親の犯した罪のせいで心無い声を浴びせられ続けた。その時のトラウマが原因で、普通の人間よりもダメージを受けやすいんだ。顔の分からない誹謗中傷は、当時の報道や世間の声をフラッシュバックさせる。その精神的苦痛は、俺やお前じゃ想像もつかないものだろうよ」


 実際、罵詈雑言のDMが送られてくる時の川澄の状態は、普通では無かった。冷や汗を流し、痙攣に近い震えが起こり、場合によっては過呼吸にすらなると言う。


「そんなもん、自業自得だろ」


 茶野は切り捨てるように言った。


「良いか?そもそも根本的に勘違いしてるみたいだけどさ、俺も被害者だってこと忘れるなよ?」


 言いながら茶野は、スマホの画面を達巳へ見せつける。録音アプリが起動していた。


「今までの会話は、全部撮ってある。これを警察に持っていけば、捕まるのはお前の方だからな?」


「捕まる?なんで」


「名誉毀損だろうがよ!」


 拳で卓上を殴り、茶野は続ける。


「さっきから、俺のメンタルに負荷をかけるようなことばかり言いやがって‼︎分かってんのか?それ、犯罪だぜ?ただの言葉だって立派な暴力だ!分かってんのか?」


 達巳は困惑した。なんと言って良いのか分からず、半崎を見る。彼は痛ましげな目を茶野に向けていた。


「……ちょっと、良いか?一応確認しとくが……」


 達巳は頭の中を整理しつつ、言う。


「……お前が川澄さんにやってたことはまさにそれだろ?言葉の暴力……」


「メンタルケアだよ‼︎」


 茶野はさも当然のように言い放った。


「加害者が、被害者に対して償いをするのは当然のことだ!法律でも決まってることだ!川澄は俺から姉ちゃんを奪ったばかりか、サークルからも追い出しやがった‼︎姉ちゃんの死からやっと立ち直って、新しく出会った心の支え、明音さんとの関係性を、引き裂いたんだ!あいつはやってはいけないことをした!」


 今の言葉から、達巳は今更ながらある事に気がついた。茶野茜と伊武明音。どちらも名前が『アカネ』であるという事だ。気づいた瞬間、背筋が凍るような感覚がした。


「あいつが俺のメンタルを保つために働くのは当然の罪滅ぼしだ!それを暴力だの犯罪だの、名誉毀損も良いところだ。俺が正常!お前が異常!俺が正常‼︎お前らが異常‼︎世の中に聞いてみろ、全員俺の味方をするぜ‼︎そうだろ?雄二くん⁈」


 茶野は脅すような目で半崎を見た。半崎は何も言わず、ただ力無く首を横に振った。茶野はまた舌打ちをしてから、達巳を睨みつける。


「で?反論があるか?無ければ、俺の勝ちだから。帰らせてもらうよ」


「……反論しか無くて、なんて言ったら良いか分からねえが——」


 髪を掻きつつ、達巳はゆっくり、なるべく言葉を選びながら、返す。


「——つまりお前は、姉を殺された自分が可哀想っていう意識から、川澄へ危害を加えてもそれが当然っていう歪んだ認識をしてしまってるわけで——」


「はい間違ってる。違ぇよ。俺は俺を可哀想なんて思ってない。『危害を加えてる』っていうのも間違った表現だ。警察が犯罪者を捕まえるのを、『危害を加えてる』って言うか?そう言うとこが名誉毀損だって言ってるんだよ。俺を悪者に仕立て上げようと言う意思があるから、そんなこと言うんだ」


「……別に、悪者にしようとか思ってないよ。そんな議論がしたいんじゃない。ただ俺が言いたいのは、川澄さんへのDMを辞めろと——」


「『思ってない』っていうのはテメーの主観だろ?そっちがどう思ってようが、俺は悪意あるように受け取った。その時点で、そっちが悪いんだよ!いじめだってそうだ。いじめっ子側にそのつもりが無かろうが、いじめられてる側がそう認識したらいじめなんだよ」


「なんでそんな話になってる?俺が言いたいのは、お前がお前の姉ちゃんを言い訳にして人を傷つけるような事をするのは、姉ちゃんのためにもならないから辞めろって——」


「言い訳⁈イイワケ⁈姉ちゃんが殺された事が、ただの言い訳だって、そう言いたいのか⁈」


 茶野のその怒号は、さながら獣の咆哮のようであった。


「俺が、俺達家族が、雄二くんが、どれだけ辛かったか、苦しかったか、分かるか⁈大切な家族が、大好きだった姉ちゃんが、無惨に、無慈悲に、残虐に、最低に、殺されたんだぞ⁈あんなに、いつも笑顔で明るくて、キレると怖いけど優しくて、可愛くて強かった姉ちゃんが!表情の無い、暗く冷たい、何も語らない、ぐちゃぐちゃで力の無いただの死体に変えられてしまったんだぞ⁈あの男の、ただの身勝手のせいで、奪われたんだ‼︎幸せな思い出も、未来も、全部奪われたんだ‼︎どれだけ辛く苦しかったか、テメーなんかに分かるわけがねぇだろ‼︎それを言い訳だって⁈言い訳⁈俺のこの苦痛を、辛い辛い辛い地獄を、取るに足らない、取り上げる価値もない、ただの言い訳だって、そう言いたいのか⁈姉ちゃんとの九年間の思い出も、失って苦しみ続けた九年間も、全部言い訳だって、テメーはそう言うってのか⁈」


「ああ言い訳だっつってんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


マイクを使って放たれた、達巳のその怒鳴り声は部屋の隅から隅まで空気を震わせた。そのあまりの声量に、茶野は怖気て口を閉じ、半崎も顔を上げ、目を見開いて達巳を見た。部屋の外にまで届いたらしく、通路を歩く人々が一瞬室内を覗き見た。


握っていたマイクを置き、息を切らしつつ、達巳は続ける。


「全部言い訳だ‼︎お前の言っている事、全てが言い訳だ‼︎姉ちゃんとの良い思い出とやらも、死んでからの苦しみとやらも、全部全部全部言い訳だ‼︎その思い出や、感情を理由に、川澄さんを傷つけちまったその時点で、お前の語る全てが言い訳だ‼︎良いか⁈分かってんのか⁈お前が、が‼︎それをんだぞ⁈分かってないのか⁈お前のその愚かしい行動が‼︎大切な思い出も、同情されるべき苦しみも、全て、全て、言い訳に変えちまってるんだ‼︎お前自身が、それを言い訳にしちまってるんだ‼︎」


荒く呼吸しながら、達巳は茶野を睨みつける。茶野は何も言えずに、ただ目から一筋の涙を流した。


半崎もまた、動揺した様子で何も言えずに、無意識的に目の前のグラスを手に取って、ストローを咥え、ほとんど残っていないジンジャーエールを吸った。


達巳の言葉はさらに続く。


「本当に姉ちゃんのことが好きだったんなら、失って辛かったのなら、するべき行動はそれじゃねぇだろ!」


 ズズズ、という音がする。ジンジャーエールが空になった。


「月並みな言葉かもしれないけど、姉ちゃんをダシにして人を傷つけるなんて、そんなの、姉ちゃんは望んでないだろ⁈」


ズズズズ、ズーっと、吸う音がする。


「姉ちゃんのためにも、お前はもうこんなことすべきじゃ無いんだよ!これ以上その大切な思い出を歪めるな!」


ズズズズズズ、ズーッ、ズズッズーーーッ、ズッ、ズーーーーーーーー。


「ええい、うるせぇな‼︎」


達巳は半崎へ怒鳴りつけた。半崎はビクッと肩を振るわせ、怖々と達巳を見た。


「おい、ストロー咥えるの辞めろ!そもそも、これは俺が言うことじゃ無いんだ!部外者の俺が茶野に説教するよりも、半崎さん、あんたが言うのが本来の筋ってもんだろ⁈」


 半崎は青ざめて、俯いた。それは彼自身、一番分かっていることであった。それでも出来なかった。


「……姉を失った彰への同情だかなんだか知らないが、甘やかしすぎだ。そうでしょう?ずっと彰のことを全肯定して、なんかやらかしても咎めず、何も言わず、ただ擁護して、守って……彰の兄代わりになろうとしたんだろ?けど、本当はだからこそ時には叱ったり、間違いを正さなくちゃいけなかったんだ。今だってそうだろ。彰に何も言えず、ただ自分が悪いって、それが彰のためになんのかよ?」


 と、そこまで言ってから、小声で「……俺が差し出がましく指摘することじゃ無いっすけど」と付け加えた。


 半崎はひたすら頷きながら聞いていた。それは、まさに半崎自身も分かっていた事だ。思っていたことだ。幼くして姉を失った彼があまりに不憫で、何も厳しい事が言えなかった。間違いを注意出来なかった。茜が死んでから、自分が彰の兄になると決意したのに、この体たらくだ。


 半崎は冷や汗を流しながら、絞り出すような声を出した。


「…………もう、辞めよう」


 茶野は驚愕の眼差しで半崎を見た。半崎はその視線に引け目を感じつつ、はっきりと言う。


「……茜も悲しんでる」


 茶野彰の目から大粒の涙が溢れた。まるで子供のような鳴き声を上げる。


「なんでだよ!雄二くんは俺の味方じゃねーのかよ⁈どいつもこいつも、クソが‼︎どいつもこいつも死んじまえよ‼︎雄二くんは、川澄のことが好きなんだ、だからあいつの味方をするんだろ⁈姉ちゃんのことなんか忘れて、全部‼︎」


「……忘れかけてるのは、お前だよ」


 達巳が静かに言う。


「俺、狭山あずさのファンだったんだ」


 茶野は口を止めて、まじまじと達巳を見た。半崎もまた、驚いた様子で達巳に目を向ける。


「素晴らしい役者だった。あんな天才が、なんで死んじまったんだって、子供心に、他人ごとながらショックだった。だからこそ、その弟であるお前が、これ以上姉への想いを歪めていくのを、俺は見たく無い」


 それから達巳は、無意識下に心に残っていた裏表のないフレーズを口にした。


「もし良かったらお前の姉ちゃんの事をちゃんと話してみてくれないか?……お前の中で、今も生きてる茶野ちゃのあかねの思い出を、俺にも分けて欲しい。忘れないために。この先も、生かし続けるために」



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