「沢渡さあ、お前、役者にいろいろ指図する係だろ?ちょっと提案があるんだけど」


「指図する係ってなんだよ。監督って言え」


 苦言を呈する沢渡に対し、達巳は先日思いついたラストシーンの演出を話す。その内容を聞いた沢渡は顔を顰めた。


「いやそれ、桜乃さんが嫌がるだろ」


「大丈夫だよ。オレが説得するから」


「やっちん、前にあの子泣かせたばっかじゃん」


「うるせーよ。心配すんな、任せとけ」


 達巳の自身ありげな顔を訝しげに見て、沢渡はため息をついた。


「まあ、考えとくわ。お前が桜乃さんを説得できたら、の話だけどな」


「サンキュ!」


「代わりと言っちゃなんだが、やっちんどうせ暇だろ?この冊子留める作業手伝ってくんねえ?」


「断る」


 その日の放課後、いつもの山で達巳は桜乃へのプレゼンを行なった。


「お前の演技について、オレから一つ提案がある」


「え……なに……?」


 あからさまに警戒する桜乃に達巳は若干調子を崩しつつも、一回咳払いをして説明を続ける。


「えー、つまり。前髪を利用しようってわけだ」


「前髪にカンニングペーパーを忍ばすの?」


「……桜乃って、割とボケるよな……っつーかセリフはさっさと暗記しろ」


 桜乃はクスッと笑って頷いた。


「お前の役は悪役だ。だからこそ、その、悪そうな感じっつーか、不気味な——『闇』っぽい面を強調するべきだ。だから前髪で目を隠れてるのはすごく良いと思う。すっげぇ悪っぽく見える。お前の元々持ってるそういう雰囲気はどんどん使っていくべきだ」


「不気味……悪……」


 若干うつむきながら桜乃は呟いた。


「わ、わたしって……普段そういうふうに見えてるの……?」


「おう!……あ、いや、そうじゃなくて……」


 桜乃が肩を落とす理由が自身の言葉にあると気づいた達巳は、慌てて言い直す。


「別に、桜乃が普段悪っぽいとか不気味とか根暗っぽいとか陰があるとか、そんなことは言ってねえよ!」


「嫌な表現が増えてない?」


「いや、だから、目元が隠れて見えないと、そういう悪な感じに見えたりするんだから、かっちりばっちりと前髪を固めて目元をもっと隠すんだよ。より強調するんだって!悪役なんだから、役作りだ。で、最後に全部出す!」


「全部出す?」


「最後、白雪姫との和解シーンで、隠れていた目元があらわになるんだ。そして微笑む。見てる人は思うよ。なんだ、お母さんも不安だったのか、って。ほんとは気が弱くて臆病な……そういう人間だったのかって」


 不安、気弱で臆病。それは、桜乃と白眉が台本を読み込んだ上で出した白雪姫の母に対する解釈である。幼い頃からその美貌を褒められて育ち、王子に見初められて妃となった。しかし風貌の美しさ、若々しさというものはやがて朽ちてゆく。老いる自分と対照的に美しく育つ娘に対し、自分自身の存在価値を揺るがされるような強い恐怖を覚えたのだろう。そういう理解をして、監督である沢渡との相談も経て、桜乃は演じている。


「桜乃の笑い方は、弱々しいっつーか、怖さが無いっつーか、悪いやつに見えないっつーか……つまり、お前らが考える白雪姫の母ちゃん像に合ってるんだ。せっかく持ってるものを、使わない手はねぇよ」


「……なにそれ……わたしの笑い方が変だってこと?」


「なんでそうなるんだよ」


 達巳は困惑して言った。


「お前の顔が……この役に合ってるんだから、演技のためにも出していくべきだってことだよ」


「わたしの顔が、悪ものっぽいって言いたいの?」


「そんなこと言ってねぇだろ!」


「だって、言ってるじゃん!」


「……桜乃、小僧、少し落ち着け」


 池から顔を出した白眉が止めに入るが、二人の耳には届かない。


「だいたい、役者を目指してんだったら、いつまでもそんな顔隠してるわけにはいかねーだろ⁈自信ないのかなんだか知らないけど、そんなんじゃ役者なんかなれねーぞ⁈」


「そんなこと谷地くんに言われなくても分かってる‼︎だから、わたしにはどうせ無理なんだよ‼︎変なまゆげで、情けない顔で……まるで、わたしの心の中をそのまま映し出してるみたい。嫌なの!嫌いなんだよ、こんな顔‼︎」


 大粒の涙を流し、嗚咽を挟みながら声を張り上げる。


「……なんで、こんな顔で生まれちゃったんだろう。前の学校でも、いじられて、笑われた。谷地くんだってそうなんでしょ?悪いお母さん役にぴったりな顔だって、バカにしてるんだ!」


「は⁈いつオレがそんなこと言ったよ⁈」


「言ってたじゃん!悪役に合ってるって!」


「どう聞いたらそうなるんだよ‼︎」


 二人は、息を切らして睨み合う。水面から白眉の体がするすると伸びて、二人の間に割り込み、静かで抑揚のない口調で諭すように言う。


「落ち着きなさい。お前達、感情的になり過ぎてはいけないよ」


「……わたし、この役やめる」


 桜乃が、地面を見ながら拗ねたように呟く。達巳が声を張り上げた。


「はぁ⁈お前、なにを自分勝手な——」


「黙れ、小僧。……桜乃、一回落ち着きなさい。滅多なことを言うもんじゃない。なにも君が役を降りる必要は無いはずだ」


 諭すように言った後、今度は達巳の方へ向いて白眉は続ける。


「本人が嫌と言っていることを、無理にさせる必要はないだろう。桜乃が自身の眉の形にコンプレックスを持っていることは知っていたはずだ。そんな彼女の気持ちを無視して強引にお前の考えを押し通すようなことは——」


「そんなくだらない悩み……」


「小僧!」


 白眉は諌めるように、シューっという威嚇音を発した。


「ヒトというものは、皆異なる価値観を持っている。考え方も千差万別。お前のルールが桜乃にも当てはまるわけではない。お前にとっては大したことのない問題でも、桜乃にとってそれは非常に根深い大きな問題なのだろう。人の気持ちを想像し、思いやる努力をしろ」


「……知るかよ、他人の気持ちなんか分かるわけねーだろ」


 達巳が吐き捨てるように言う。桜乃はそんな彼を睨みつけた。


「……そんなこと言ったら、桜乃だってオレの気持ちは分かんねーんだから。そう言うもんだろ。知らないんだよ。なんで自分の顔が嫌いなのかとか、昔なんかあったのかとか、分かるわけがないだろ。人の心なんか読めねーんだから。ただオレは思っただけだよ。最後の場面で白雪姫の母ちゃんが顔を見せて笑えば、絶対に良いシーンになるって」


「わたしは、それが嫌なの」


「なんで」


「変な顔だから。見せたくないの」


「変じゃねーっつってんだろ!」


「変なの!だってそう言われたもん!」


 今の学校に転校してくる前。達巳にとってはどこの者とも知らない誰かに言われた言葉が、何気無く心無いその言葉が、棘のように桜乃の心の奥に刺さったまま、取れない。


「嫌なの!笑われるのも、いじられるのも、もう嫌なの!」


「そんなの、言ったのどこの誰だか知らねーけど、ただのそいつの一意見だろ!」


 達巳はまた声を荒げた。それから白眉の視線に気づき、深呼吸してから続ける。


「じゃあさあ、オレの一意見もちゃんと聞けよ。オレは、お前の顔は変じゃないって思ってるんだってば。嘘じゃねーんだよ。マジで。良いか?お前らの解釈だと、白雪姫の母ちゃんはかつては誰よりも綺麗だったんだろ?そんなキャラクターの素顔を出すのに、変な顔の奴を出させると思うか?オレは……オレは、お前の顔が綺麗だと思ったから言ってんよ」


 何か言い返そうと構えていた桜乃だったが、達巳の最後の言葉に驚き、なにも言えなくなってしまった。


 達巳はさらに続ける。


「オーディションで桜乃の本気の演技を見た時に鳥肌が立ったし、昨日の笑い顔はめっちゃ良いって思った。こういうやつが、『天才』って呼ばれるやつなんだろーなって思った。夢も特技もなんもないオレからしたら、めちゃくちゃ羨ましい。だからウゼーんだよ。そんなやつがウジウジと自分で自分を卑下するようなことを言って、自分の良いとこを必死で隠そうとしてるのが死ぬほどウゼェんだ」


「うざいって……そんなの、勝手だよ。買い被りすぎだよ……わたしに良いとこなんてない。ダメなとこばかり」


 戸惑いつつも目線を下にして呟く桜乃へ、白眉が諭すように話しかける。


「『天才』と呼ばれる者達が皆、最初からそう呼ばれていたわけではないはずだよ。誰しもが龍になり得る個性を持った蛇なのさ。かつては欠点と呼ばれていたものを才能へと昇華させた者だってたくさんいる」


 桜乃は少しの間何も言わずにいたが、やがて小さく頷いた。達巳が不服そうにぼやく。


「……だから、なんでそのクソ蛇の話は聞けるんだよ」


 舌をチロチロと動かしつつ白眉が答えた。


「年の功というやつだよ」


「あっそ」


 小さくため息をついてから、達巳は改めて桜乃へ向き直り、問う。


「別に、もう強制はしねえ。どうせ、ただのオレの一案に過ぎない話なんだ。上手くいくかも分からないしな。オレの考えたこの演出に乗るかどうかは好きにしろ。どっちを選んでもオレは最後まで練習とか全力で付き合ってやるからよ」


「……これまで小僧がいて役に立ったことは特に無いけどね」


「そんなことないだろ⁉︎」


 それから返事を待つように、達巳は桜乃を見た。しばし無言が続いた後に、桜乃は口を開く。


「……笑われたら、どうしよう。変な顔って言われたら……」


「そんときは、笑った連中オレが全員ぶん殴ってやんよ」


 達巳がきっぱりと言う。桜乃はふふっと笑った。


「……分かった。じゃあ、お願い。信じてるから」


 憑き物が落ちたような声で、桜乃は言った。


 それからの数週間は、長いようで短かった。


 あっという間に訪れた六月の上旬に、学芸会が行われた。


「人、人、人……」


 体育館のステージ横の舞台袖。大きなカーテンで仕切られ、段ボールで作られた大道具が辺りに置かれている乱雑な現場で、桜乃が小声で呟きながら手のひらに指で字を書いている。


「……なにやってんだ?」


 大道具の影から現れた達巳が、呆れ声で話しかける。


「谷地くん!その……人って字を飲み込んだら、緊張が取れるって佳奈ちゃんが教えてくれて……」


「あの白雪姫、妙なまじないを知ってんだな。どっちかっていうとあいつが魔女みてえ」


「でも、これ、どうやって飲み込んだらいいんだろ⁈」


 そう言って手のひらを見せつける桜乃に、達巳はゆっくりと言った。


「なにパニクってんだよ。落ち着けって。まあ緊張するのも分かるけどな……ついに本番。一発勝負。失敗は許されねえんだから」


 達巳のその言葉で、桜乃の顔はサーッと青ざめた。二人の側に監督の沢渡がやってきて、達巳の頭を叩く。


「おいやっちん、演者を緊張させるようなこと言うなよ」


「お、いや……悪ぃ」


「桜乃さん、気にすんなよ。多少失敗があっても大丈夫だから」


「うん……ありがとう」


 それから、桜乃はいつも一緒にいる友人達に呼ばれてそちらへ向かった。そんな彼女の背中に向けて、達巳は声をかける。


「がんば!」


 桜乃はチラッと振り返り、口だけを動かして達巳へ答えた。


ありがと!

 

 見送る達巳の頭の中に、白眉が囁く。


——私も、何か声をかければ良かったな


「大丈夫。届いてるよ、お前の声援も」


「なに一人でブツブツ言ってんだ?」


 訝しげに言いながら沢渡は達巳の背を押した。


「さ、もうすぐ本番だ。お前は演者じゃないだろ、出てけ出てけ」


 そして劇は幕を開けた。

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