15「すぎな先輩を傷つける人」

達巳が長いトイレから戻った後も、その日のサークル活動は特に問題が起こることなく続き、滞りなく終わった。


普段であればまた終わった後に食事会の流れになっただろうが、その日は何もなく、そのままお開きとなった。前回の大荒れだった飲み会の事が皆の頭にまだあったため、暗黙の了解で自粛することになったのだろう。


「お疲れ。どう、元気か?」


解散後の別れ際、達巳は竜胆に声をかけた。彼女は達巳を見て、ゆっくり二回瞬きをした後に答えた。


「元気。谷地は?」


「まあまあかな」


英語の教科書のようなやり取りをした後、達巳は前回の飲み会の話題を出す。


「あの時は、大丈夫だったか?山路さんに絡まれてただろ」


「ああ。まあ」


竜胆はなんと言うこともない、淡白な口調で返した。その様子に達巳は出鼻を挫かれたような気持ちになった。


「あまり気にしてなさそうだな。あの時、機嫌悪そうに帰って行ったから心配してたんだけどさ」


達巳のその言葉に、竜胆は何故かニヤッと笑った。そしてその笑みを止めるように口元を手で覆うが、それでも隠しきれない笑いが漏れている。音も出さず、彼女はしばしの間笑っていた。


「な、なんだよ。何がおかしいんだ?」


「いや、嘘っぽいっちゃん」


そう言ってまた笑う。達巳はばつが悪い気持ちで頭をかいた。


「別になんも嘘なんか言ってないけどさ」


嘘では無くとも誇張はしていたかもしれない。不機嫌気味に帰って行った竜胆を見て気にはしていたが、心配というほどでは無かった。それは確かだ。


「その様子だと、大して気にしてはないんだな」


「過ぎたことやし。確かにあん時はむかついとったけど、今は気も晴れとうよ。毒盛ってやったけん」


「おう。そうか」


それなら良かった。と頷いた後、少しして、達巳は今の会話の違和感に気がついた。


聞き間違いか?と思い、竜胆を見る。彼女の目線は、半崎と話す川澄に向いていた。


「すぎな先輩、最近元気無いんよね」


「あ、ああ……それより、お前、今なんて」


「『それより』やないよ。大事なことやて」


達巳に質問の余地を与えずに、竜胆は話を続ける。


「先輩は、皆の太陽やけん。それが陰るのは……天災やよ。よくないこと」


川澄と半崎。二人をひたすら見つめる竜胆に、達巳は慎重に尋ねてみる。


「お前は、その、何か知ってるのか……?」


「何か?」


「なんつーか、川澄さんが元気無い具体的な理由とか」


「んー」


目線を変えずに少しの間無言で何やら考えた後、竜胆はちらりと横目に達巳を見た。


「半崎さんのせい」


「……なんで、そう思う?」


 達巳は、自身の心臓の鼓動が速くなるのを感じていた。もしかしたら竜胆は、思った以上に真実に近い場所にいるのでは無いのか。


 なぜと問われ、また少しの間無言になってから、彼女はこう答えた。


「理由は無いけど、半崎さんは、そういう人やけん」


「そういう人って……?」


「すぎな先輩を傷つける人」


 彼女の言葉はどれも感情が読み取りずらいが、それでも彼女が半崎を良く思っていないらしいことは達巳にも分かった。


「なんでそう思うんだ?俺には……半崎さんが人を、それも川澄さんを傷つけるなんて、思えないんだが」


それは達巳の本心であった。半崎と長い付き合いがあるわけでは無いが、それでもこれまで見てきた彼の印象からは、誰かに悪い影響を与える姿は想像ができなかった。だからこそ、半崎が誹謗中傷の犯人であるという推理を、自分自身のその考えを、どこか信じ切ることができないでいたのだ。心のどこかで間違っていると、思っていた。


「どんな人にも心の内がある。そこに皆、汚いものを隠しとる。外も内も変わらず綺麗な人なんて、すぎな先輩くらいやっちゃん」


「竜胆、お前……」


達巳の言葉はそこで途切れた。続けて何を言ったら良いのか、分からなくなってしまったのだ。互いに何も言わずに見合う二人の元へ、川澄が駆け寄って来た。


「ゆず〜ごめんね、待たせちゃって。やっちんくんと二人で何話してたの?」


軽い口調で尋ねる川澄に、達巳は「大した話じゃないですよ」とだけ返した。そのタイミングで、竜胆に聞こうと思っていたことを思い出したので、口に出した。


「なんてことない雑談です。例えば、前の飲み会で何飲んだ?とか」


「なるほど。そしてその話題から、あわよくばデートに誘おうとしていたと」


 川澄が揶揄うように笑う。達巳はため息をついた。


「なんでそうなるんすか」


「でもほら、ゆずはいつもオレンジジュースじゃん?前回だってさ」


川澄の言葉に、竜胆は頷いた。


「はい。そのオレンジジュースに毒入れて、山路さんに飲ませましたから」


「また変な冗談言って……」


呆れ顔で笑ってから、川澄は「次のサークルでね」と言って手を振って、竜胆と、伊武と共に帰って行った。


その背中を見送る達巳の脳内に、白眉が語りかける。


——我ら蛇は、オレンジジュースなどで実体化はできないよ


そんなことは達巳にも分かっていた。『蛇』は水を依代にすることでしか顕現できない。水でなければ駄目なのだ。つまり、竜胆が蛇憑きであったとしても、オレンジジュースに毒を盛ることはできないはずである。少なくとも、周囲に人がいる環境では。


なんだか煙に巻かれたような気分であった。


佇む達巳に、沢渡と水上が口々に声をかけてきた。


「やっちん、俺らも帰ろうぜ」


「今日、飲み無いの残念だなー。これから三人で飯行かね?」


「ああ……」


心ここに在らずで答える達巳、そのタイミングでふと、スマホを開いた沢渡が言う。


「山路さんが回復したって。そんで、今から飲みに誘われたんだけど、二人とも来る?」


達巳と水上は、同時に顔を顰めた。


「オレンジジュース?俺、そんなもん飲んでないよ」


人々の会話とタバコの煙に包まれた狭い大衆居酒屋の一席にて、山路が言う。水上は帰ってしまったため、達巳と沢渡の二人で彼の相手をしていた。


「俺はあの日、酒しか飲んでねーもん」


それからまたビールジョッキに口をつける山路を見て、達巳は顔を顰めた。


つい最近まで飲み会のせいで体調を崩していたというのに、なんで回復早々飲もうという気が起こるのだろうか。達巳には理解不能であった。


先日の飲み会で、山路が酒以外の飲み物を口にしていないことは達巳も重々分かっていた。悪酔いした山路に何度も水を飲ませようとしたにも関わらず、頑なに飲まなかったのだから。


当時の状況を思い出してげんなりとする達巳をよそに、山路が話を続ける。


「だいたい、なんで俺が竜胆のオレンジジュースを飲むんだよ。まあ、あいつの頼んでた酒はちょっと味見したけどさ」


「え?」


達巳は眉を顰めて山路を見た。その隣の沢渡が、ハイボールを舐めるように飲みながら、尋ねる。


「竜胆さんって、酒飲まないイメージなんですけど、あの日は飲んでたんですか?」


「え、そうなのか?あれ竜胆のじゃ無かったのかな……」


頭を掻きつつ、店員を呼んでビールのおかわりを頼み、また続ける。


「いや、でも竜胆の前に置かれてたぜ。いや、なんの酒かはよく分かんなかったけどよ。ほら、あの時の俺、皆の酒味見して回ってたじゃん」


「はあ。そうでしたね」


達巳は顰めっ面で返した。達巳の飲んでいたウーロンハイも口をつけられ、それ以降飲めなくなったのを思い出した。


「竜胆のやつ、こっそり酒頼んでたんじゃねーの?結構アルコール強めだったぜ」


「まあ、あの子、酒強いらしいですからね。前飲んだ時に言ってました」


「え、お前、竜胆と飲んだことあるの?」


山路が関心を示した。沢渡は達巳と顔を見合わせてから、渋々といった様子で先日の合コンの話を山路にした。


山路の反応は過剰であった。


「はー?お前らそんな浮ついた会を開いてたのかよ⁈けしからんな。俺なんかその日、雄二と二人でサウナ行ってたぜ?方や男女で楽しくコンパ、片や男二人でサウナ。なんだこの違いは?」


ぶつぶつ言いながら、店員の持ってきたジョッキをぐいっと飲む。一度で半分近く減っていた。恐ろしいペースだ。達巳は戦慄した。


「いや、山路さん彼女いるでしょ」


沢渡が言うと、山路は苦い顔になり、声も小さくなった。


「……最近振られたんだよ。あんま人に言うなよ」


「え、なんかすみません」


沢渡の謝罪にため息で答えた山路に、達巳も励ましの声をかける。


「まあ、もっと良い人もいますよ。俺たちも独り身なんで、仲間っすね」


「でも、お前ら合コンしてるじゃん」


「……今度、一緒に行きます?」


そんな不毛なやり取りを断ち切るように、沢渡が話題を変える。


「雄二さんとサウナ行ったって言ってたじゃないですか。どんな所でした?」


山路がまた嬉々として話し始めた。


「おお。渋谷にあるんだけどな、良かったぜ。めっちゃサウナ室の種類が多くてさ。それに、偶然アウフグースのイベントの席が空いてて、参加できたのがラッキーだったな」


「アウフグースってなんです?」


 達巳の問いに、山路は小馬鹿にしたような笑いを浮かべた。


「お前そんなのも知らねーの?ロウリュで出た蒸気を熱波師が仰いでくれるんだよ」


説明されても、そもそも何も知らない達巳には理解できなかった。ロウリュとは、熱波師とはなんなのか。


「そこのアウフグースすごい人気でさ、夜十時にも関わらず、俺らを最後に満席になってて。でも実際やばかったよ。サウナ室の中で音楽が流れて、熱波師のパフォーマンスが……」


話の内容自体に興味は湧かなかったが、山路の言ったある情報が、達巳の中で引っかかっていた。それは、小骨が喉に刺さったような、嫌な違和感であった。


「夜の十時にやってたんですか?」


「おう」


「俺たちがコンパしてたのと同じ日ですよね?」


「そうらしいな」


「半崎さんと一緒に行ったんですよね?」


「だからそう言ってるだろ」


「……サウナ室内って、スマホ使えます?」


「あのなあ……」


 山路は呆れ顔で返す。


「あんな高温多湿の中で使えるわけねーだろ。第一、マナー違反だわ」


そのようなことは、さすがに達巳にも分かっていた。ただ僅かな希望に賭けて抵抗したかったのだ。そしてそれも虚しく、希望は潰えた。


合コンをした日の夜十時は、達巳が白眉と会話しながら公園を散歩して、そこを出て駅に向かっていた時間だ。よく覚えている。なぜなら、あの時、スマホの画面に映っていた時間を見たからだ。


あの誹謗中傷が送られてきた時間、半崎は山路と共にサウナに行っていたのだ。



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