4「谷地くんのバカァァーッ‼」

「今年の学芸会って、何やるか決まってんの?」


「ああ。白雪姫の改変版だって」


「改変……?」


 達巳が眉を顰めて聞き返す。PTA役員を母に持つ同級生、沢渡が頷いて詳しく説明する。


「元々は原作通りの白雪姫をやる予定だったんだけど、あれって端的に言や、母親が娘を殺そうとする話だろ?そんな話を劇でやるのはいかがなものかっていう意見が保護者会で出たんだと」


「なに、劇に感化されて子供らが反乱でも起こすと思ってんのか親たちは……」


呆れ顔で言う達巳に対し、沢渡は不思議そうに聞き返す。


「にしても、なんで今年やる劇のことなんか気にしてんだ?やっちんって学芸会にやる気出すようなタイプだっけ」


「いやあ、ちょっとだけ気になっただけだよ」


 達巳はそう笑って誤魔化した。


 それから一週間後、担任による正式な発表がなされた。達巳達のクラスは、沢渡の言葉通り白雪姫をやることに決定した。


「——っつーわけで、劇が『白雪姫』に決まったのならやるべき役は一つだな」


 配られたホッチキスどめの台本でパタパタと仰ぎながら、いつもの山道を進む達巳が言う。後ろをついて歩く桜乃がとぼけるように答える。


「……小人?」


「なんでだよ」


「……じゃあ、鏡……」


「脇役根性が染みつき過ぎてる‼」


「それにしても、PTA監修の白雪姫って、どんな話になったんだろ……うぇあっ」


「お前、毎日コケてんな」


 などと話しているうちに、池のほとりの祠にたどり着いた。


 地面に放ったランドセルに腰掛けて、二人は台本を開く。


「沢渡が言うには、ラストの展開がちょっと変わるくらいらしいぜ。白雪姫が母ちゃんと仲直りして、めでたしめでたしだと」


「沢渡くん、詳しいね……すごい」


 桜乃が小さく感心して呟いた。


「ま、この改変は悪くないんじゃねーの?だいたい、原作の方がおかしいんだって。普通母親が娘を殺そうとするか?しねーだろ。親が子供を嫌うわけがねーじゃん」


 冊子をとめるホッチキス針を指で摩りながら言う達巳に、桜乃が躊躇い気味な反論を述べる。


「そ、そうかな……世の中には色々な家族関係もあるし……」


「ま、多少変更があろうが、劇が白雪姫に決まったんならやるべき役はもちろん主人公だな?さっそく練習でもしようぜ」


 そんなことを言いつつ立ち上がり、周囲に落ちている大きめな石を集めだす達巳を伏し目がちに見ながら桜乃は呟いた。


「わたし、姫なんてできるタイプじゃないよ……そんな大役、荷が重い……」


「別に、実際に姫に成れって言ってるわけじゃねーんだ。姫を演れっつってんだ。それに、タイプじゃないからこそ良いんだろ」


 達巳は真顔で言った。


「『自分じゃない誰かになれるから』、だから役者になりたいんだろ?」


「……」


 桜乃はコクリと頷いた。


「それによ、そもそも『白雪姫』って登場キャラそんな多くないじゃん。姫、母ちゃん、小人、鏡に王子……あと狩人だっけ?そんなもんだろ。その中だったら、誰をやりたいよ?」


「……白雪姫」


 桜乃が遠慮がちに答える。達巳はニッと笑った。


「だろ?じゃ、練習始めようぜ。来週、役決めのオーディションやるらしいからな。メジャーリーガーの八良尾選手も言ってるぜ、「悩む前にまず行動を起こせ」ってな」


 そんな話をしているうちに、桜乃の目の前には達巳が石を四角く並べて作った謎のエリアが出来上がっていた。


「これは……?」


「もしかして、舞台のつもりかい?あまりにもお粗末だね」


 いつのまにか池から姿を現していた白眉が嘲笑するように言う。達巳はその姿を睨みつけた。


「そんなん言うんだったらテメーが作ってみろよ」


「構わないよ。お前のそれよりはマシなものを作って見せよう。そうと決まれば小僧、お前の体の支配権を私に寄越しな」


「は⁈死んでもごめんだ!」


 なんてことを言い合っている間に、桜乃は達巳の作ったステージの中心に立っていた。


「なんだ、やる気満々じゃねーか」


 達巳の言葉に桜乃は赤くなりつつ笑った。


 とりあえず、母親役を達巳、鏡役を白眉として練習が始まった。とは言え脚本をあまり読み込んでいないのでほとんどただのアドリブ合戦になるのだが。


「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだれだ?」


「それは桜乃だ。お前では無いよ。だいたいお前のような鼻垂れ小僧が世界で最も美しいなどと、おこがましいことを言う。恥を知るが良い」


「なあ、演技しろや。なんで本人想定でやってんだよ」


 序盤のこの二人のくだりが何度も続いたため、しばらくの間主役の桜乃は一人放置されることとなった。 


 そしてようやく桜乃の演技が始まったのだが、そこで、演技の良し悪し以前に彼女の持つ深刻な問題が明らかになる。


「だから!お前、声が小さいんだって‼」


 達巳が怒鳴り声を上げた。桜乃は俯きながら、拗ねたような恨めし声で呟く。


「……そんなこと言われても……」


「どんなに演技が良くたってな、そもそもセリフが聞こえなかったら意味ねーからな⁉」


 桜乃の一番の課題、それは声量であった。彼女の性格や普段の話し方から、達巳も予想していたことではあるのだが。


 何度も同じことを注意させられて苛立つ達巳を白眉が宥める。


「お前が感情的になっても仕方が無いだろう。声の音量などというものは、個々人の性格にも大きく依存する。一朝一夕でどうにかなるものでもあるまい」


「じゃあ、どうすんだよ⁉」


「そういうものは大抵、ちょっとしたきっかけで大きく変わるものさ」


 チロチロと赤い舌を揺らめかせつつ、年の功を感じさせる落ち着いた声色で、白眉が優しく桜乃に話しかける。


「きっかけとすれば、例えば……そうだな、この山の中に、我々以外誰か人影は見えるかい?」


 そう問いかけられ、戸惑いつつも桜乃はゆっくりと首を横に振った。


「そうだろう。今、この場所に、我々以外は誰もいない。もしここで君が何か大きな声を上げたとしても、他者の耳には届かない。恐ろしい話だね。でも、だからこそ、どうだろう。我々以外に聞くものがいないのならば、恥ずかしがることは無いのだ。試しに一度、君の出し得る最大の声を出してみたらどうだい」


「最大の声……わたしの、最大の声……」


 白眉の言葉を復唱した後、桜乃は小さく息を吸って、深い森林の奥に向けて声を上げた。


「や……やっほー」


「お前、それが全力か?」


 達巳が呆れたように言う。桜乃の頬が赤くなる。白眉は達巳へ角を向けた。


「小僧黙れ、急かすな。……桜乃よ、焦ることは無いが、今度は意識してより音量を上げてみたまえ。発する言葉にも、なにか意味があった方が言いやすいだろう。言葉とは本来他者に意思を伝えるためにあるもの。どうせ叫ぶのならば意味のある言葉のほうが良い」


 白眉の穏やかな言葉に、桜乃は不安ながらも頷いた。


「意味のある言葉……」


「今思っていることで良いのだよ」


 桜乃は意を決し、先ほどより多く息を吸って、叫んだ。


「谷地くんの、バカーっ」


「なんでだよ⁉」


 達巳が抗議の声を上げるが、それを遮って白眉が促す。


「いいね。もっと、もっと声を上げてみるんだ」


「谷地くんのバカーっ!」


「もっと、もっとだ」


「谷地くんのバカァーッ!」


「良いぞ、さらにもっと」


「谷地くんのバカァァーッ‼」


「いい加減にしろよお前らァ‼」


「バカァァァァァ‼︎」


 達巳の怒鳴り声よりも、もはや桜乃の声の方が大きかった。桜乃はどこかスッキリした表情で笑い声を上げた。


「あー、おかしい!」


「おかしいのはお前だよ!どんだけオレに不満あるんだよ⁉︎」


などと口では怒りつつも、達巳もまた笑っていた。


「まあ、でも良かった。ちゃんとでかい声出るじゃねーか」


「……うん、そうだね。谷地くんへの気持ちだったら叫べるのかも」


「恨みつらみか!ああそうかい!白雪姫のセリフにもオレへの愚痴があると良いな!」


 桜乃の声量問題は、とりあえず解決したようだ。


「後は、純粋に演技力だな。それを磨き上げて、他の連中に差をつける」


「では小僧、具体的にどうやって磨くんだい」


「それをこれから考えるんだろーが」


 達巳と白眉が言い合っている一方、桜乃はただ無言で台本を読み込んでいた。


「おい、お前も何か作戦を考え……」


「この台本、白雪姫のお母さんが本当のお母さんなんだね」


 台本に視線を落としたまま、桜乃が呟く。


「……何言ってんだ?」


「『白雪姫』って、継母だと思ってた」


「あー……」


 達巳は桜乃の言っていることを理解したようだった。


「沢渡が言うには、原作は実母らしいぜ。でもさ、さっきも言ったけど、実の母親が娘を殺そうとするのはおかしいだろ」


「……と、言うより——」


 桜乃が冷静に言う。


「——殺そうとした、っていう部分よりも、わたしが気になるのは、なんで実の娘に嫉妬してるのかなってこと。娘の美貌が優れてるってことは、自分も美しいって言われてるようなものなのに……」


「生物が子孫を残すという事は、つまり、次の世代へのバトン渡しだろう?」


 白眉が口を挟む。達巳と桜乃は同時に彼へ視線を向けた。


「その理屈からすれば、子を産んだ時点ですでに親のほうは用済み、ということになるわけだ」


「んなわけねーだろ!」


「小僧、黙って聞け。実際ヒトを除く生き物の中には、子を残した直後に寿命を終えるものも多い」


「……そうか、自分のいる意味が無くなっちゃうって思ったんだ」


 桜乃が納得したように呟いた。


「自分より綺麗な娘ができたことで、自分の価値が無くなっちゃうって、怖かったんだ。多分……それだけが、彼女の誇れるものだったから」


「でも、この台本だと最終的には白雪姫と和解するんだろ?じゃあ、結局娘のことを愛してたってことじゃないか」


 達巳が抗議するように言う。手に持つ台本のホッチキス針を無意識的に摩りながら続けた。


「自分のいる意味だとか、用済みだとか、どう思ってたかなんて知らねえけど、その気持ち以上に、最終的には子供への想いが勝ったんだよ」


「……でも、そこに至るまでにどういう心境の変化があったのかな……」


「つーか、白雪姫の母ちゃんの考えなんかどうでも良いだろ。それより白雪姫の練習をするぞ!」


 そう促す達巳であったが、桜乃は何か考え込みつつ台本を凝視していた。そしてやがて、意を決して達巳を見上げる。


「——わたし、白雪姫のお母さん役やる」


「……え?」


「やる」


「はあ⁉」


「そっちのほうが面白そうだから。色々考察の余地もありそうだし」


 そう言って、桜乃は小さく笑った。



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