8「アンタは俺のパールハーバーさ」
「『
「俺に関する情報が足りているじゃあねぇか、おっさん。そりゃあアレだな、ヤクザがよく使う「お前のことは何でも知っている」っていう脅しだな」
横山は相変わらずニヤリと笑いながら言う。
「けど残念。今おっさん自身が言った通り俺には家族はいねぇし大切なもんは何もねぇ。車も持たないし犬も飼ってねぇ。自宅すらねぇ。ないないづくしの足りねぇ男さ。嫌がらせなんて俺にはやりようがねーのよ」
「そのようだな……寂しい野郎だよ。まだ若ェんだからよぉ、女の一人や二人作ったらどうなんだ」
「色恋沙汰に興味はねーよ。俺には暴力沙汰の方が性に合ってるし、それはすでに足りている」
「はん。オメェさんが持ってるものと言やァ、『威虎添翼』というグループのみというわけだ……」
指定暴力団『荒國会』の若頭である男は、赤ワインを飲み干した後、ハンカチで口元を拭い、鋭く深い眼光を横山へ向けた。
「……であれば、そいつをオメェから奪い去ろうか」
「良いね。おっさん、殺意が足りてるぜ。ようやく極道のクソ野郎らしくなってきやがった」
言いながら、横山は懐から拳銃を取り出した。男は射抜くような目を細めて銃を睨む。
「坊ちゃん、そんなオモチャ……どこで手に入れた?」
「知り合いに目利きのオモチャ屋がいてね。おかげでこういうブツは十分すぎるほどに足りてるさ」
「国家転覆でもやらかそうってのか」
「いずれはそれも良いかもなぁ……」
席を立ち、銃口を男へ向けて、横山は舌舐めずりをした。
「だがそこに行くまではまだまだ段階が足りてねェ。まずはあんたら『
「坊や、本気で言ってんのかよ?やはりクスリキメてんだろオメェ。それか、物事の尺度を知らねェ大馬鹿かどちらかだ」
「ラリった大馬鹿だよ。けど、机上の空論を語ってるつもりは毛頭無いぜ。今回、アンタらの傘下の『
「この国で戦争でも起こす気か」
「ああ。最高だろ?刺激も緊張も足りてねェ……ぬるま湯に浸ったようなこの国に、消えねェ傷痕をつけてやんだよ。おっさんアンタは俺のパールハーバーさ。開戦の狼煙だよ」
言いながら、横山は引き金に指をかける。男は深く息を吐いた後、ゆっくりと席を立つと、銀色の灰皿に触れた。
「抗争の『こ』の字も知らねェお坊ちゃん。一つだけ、教えといてやる。戦場で……生き抜くための術を」
「先輩からのアドバイスか。ありがたい」
一瞬、横山の指が引き金から離れたのを、男は見逃さなかった。手に掴んだ灰皿を目にも止まらぬ速さで振るい、それで拳銃を打ち落とす。
「ぅおっ⁈」
「チャカ持って無敵になった気になってるようじゃァ……死地で生き抜けァしねェのよ‼︎」
二度目に振るった灰皿が、横山の眉間に直撃した。鈍い音がして、横山の頭から血が噴き出る。横山は勢いよく仰向けに倒れた。
天を仰いで横たわる横山を見下ろしながら、男は一括する。
「その場で手に取ったものを武器に変えてぶち殺す‼︎チャカだのナイフだの、そんなモンに頼り切ってる時点でテメェは三流だっつってんだよコノヤロウ‼︎
「……ははは、なるほどタメになるアドバイスだ。確かに俺にはそういう考え方が足りて無かった……」
額から血をだらりと流しつつ、横山は口元に笑みを湛えて立ち上がる。拾った拳銃を向けてきた男の足を蹴飛ばして体勢を崩すと、男が取り落とした灰皿をキャッチした。
「アンタのその教訓、よーく胸に刻んどくよ‼︎」
その言葉と共に、男の頭蓋に灰皿の角を思いっきり叩きつける。横山の比にならない量の血が吹き出し、男はその場に倒れ込んだ。
横山は灰皿を捨て、口元まで垂れた血をペロリと舐めると、虚な目で痙攣しつつ横山を見つめる男を見下ろして、神妙な面持ちとなって言う。
「おっさん、アンタさっきから……『極道』をさも誇り高き職業みたいに語っていたが、なんてことはねェ。ただのクソみてぇな犯罪者でしかねーんだぜ。アンタらのせいで傷ついた連中、大切なものを失った奴らはごまんといるんだ。俺はそういう奴らの無念を代表して手を下しているんだよ」
「馬鹿馬鹿しい……坊ちゃん、そんなこと本気で思ってんのかい……」
弱々しい呼吸の、掠れ声で、男は笑う。横山もニヤリと笑顔を返して答えた。
「思ってねーケドな」
男はまた一息「ふはっ」と笑った後、そのまま息を引き取った。開いたままの男の目をそっと閉じて無言で手を合わせた後、首を鳴らして伸びをしてから、横山はシェフへ言う。
「店汚して悪かったな。もう帰るぜ、おあいそだ。足りるか分かんねーが……」
「結構です。お代はもういただいておりますから」
シェフの返答に、横山は顔を顰める。
「いただいてる?誰から」
「あなたと同じです。私も一種の疫病神ですので」
横山はさも面白くないといった顔でため息をついた。
「『ヤツ』の差金か……これも、その意思のままってわけかよ。面白くねェ」
「同感です」
シェフは軽く笑う。横山は「まぁ良ーわ」と去ろうとするが、そんな彼の背に向けてシェフがさらに告げる。
「あなたの目的の前に、まず片付けておくべき問題があるのでは無いですか?最近あなたの部下達を襲っている正体不明の通り魔の件……」
横山はゆっくりと振り返ると、小さく舌打ちをした。
「……それも『ヤツ』の指示か?」
「ええ。『ヤツ』の」
横山は深くため息をついた。
「結局また手のひらの上ってことかよ。スッキリしねェぜ。爽快感が足りねぇ。まぁ、しゃーねーけどよ」
「明日、その件に関して情報を持つ者があなたの前に現れるはずですので、受け取ってください」
「『情報を持つ者』だぁ?そいつに関する情報が足りねぇよ。具体的にどういう奴だ?」
シェフは少し考えてから、また小さく笑った。
「そうですね、私も会ったことはございませんが……その青年は『探偵』と名乗るそうですよ」
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蛇憑きコンプレックス 繭住懐古 @mayuzumikaiko
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